明日を読む

「こども家庭庁」と少子化対策

2022年8月号

宇南山 卓 (うなやま たかし)

京都大学経済研究所 教授

この6月に「こども家庭庁」の設置法案が可決された。2023年4月の施行となっており、菅政権の下で検討が開始されてから2年での発足になる。虐待、不登校、子供の貧困など、子供を取り巻くさまざまな課題に対応して「こどもまんなか社会」の実現に向け「こども政策」の司令塔としての機能が期待される。
ただし、こども家庭庁が管轄するのは子供だけなく「家庭」も含まれる。法律の定義によれば「こども政策」には、「子育てに伴う喜びを実感できる社会の実現に資するため、就労、結婚、妊娠、出産、育児等の各段階に応じて行われる支援」が重要な柱の一つとして含まれている。これは、これまで「少子化対策」や「子育て支援」として実施されてきた政策が該当する部分である。こども家庭庁という名称については、当初は「こども庁」として構想されたが、最終的には「家庭」が追加された形になっている。この変更は伝統的な家族観を重視する保守派への配慮と報道され、政治的な駆け引きのように言われるが、新しい庁の管轄が決まった時点ですでに不可避の選択だったのである。少子化対策が「こども政策」として位置付けられるべきか疑問だが、こども家庭庁が少子化対策を担当する組織であることはもっと注目されるべきである。
「家庭」は、日本社会のさまざまな問題が発生する「現場」である。日本では、圧倒的に大部分の子供は結婚をした夫婦を中心とした家庭で誕生しており、少子化は家庭の選択の結果である。また「女性の活躍」についても、家計の担い手の決定や家事負担のあり方など、家庭での状況は変化しておらず、男女の賃金格差の解消の障害となっている。さらに「格差」の問題にも、家庭が大きく関与している。そもそも家庭が形成されるきっかけは結婚であるが、パートナーの選択のステップで格差の一部は発生している。いわゆるパワーカップルとよばれる高学歴・高収入の夫婦の割合は増加しており、若年層での所得格差を生んでいる。子供の教育についても家庭の専権事項である。より豊かな家庭が、より良い教育を与えるような状況では、世代を超えた格差の継承は避けられない。
このように家庭は社会の姿を決定する「現場」ではあるが、一方では政府が介入するのが難しい「聖域」でもある。究極のプライバシーの領域であり、公的権力の介入は望まれておらず、望ましいことでもない。政府にできることは、家庭の意思決定に直接介入することではなく、自発的に社会的にも望ましい選択をしてもらうよう家庭の置かれた環境を整備することである。しかし、家庭は多様であり、一定の選択をするように誘導することは容易ではない。しかも、少子化・女性の活躍・格差は、相反する側面があり、間接的な方法で全ての側面で社会にとって望ましい行動を誘導するのは至難の業である。
たとえば、少子化対策として、子育てにかかる費用を公的にカバーしようとすれば、所得を得る必要性が下がり女性の社会進出を停滞させてしまう。逆に、女性が働きやすい環境の整備を進めることで、結婚をする動機が弱まり、少子化を加速させる。保育所の整備のように、子供と仕事の両立をしやすくすると、その恩恵が高所得世帯に偏り、格差が拡大するかもしれない。
この難しさは、こども家庭庁が管轄するようになっても変わらない。こども家庭庁の議論では、類似の施設でありながら縦割り行政となっていた幼稚園・保育所・認定こども園を一元的に管理するため、いわゆる「幼保一元化」に向けた動きがあった。それに対し、少子化対策については、新しい組織ができただけで、縦割り行政が解消したわけでもなく、問題解決への道筋が示されたわけではない。来年の発足に向けて、「こども」の部分だけでなく「家庭」の部分でどのような動きがあるのか注目したい。

著者プロフィール

宇南山 卓 (うなやま たかし)

京都大学経済研究所 教授