特別研究 (下村プロジェクト)
『コロナ時代の日本経済-パンデミックが突きつけた構造的課題-』刊行記念インタビュー
2022年6月号
2021年に弊財団にて実施した「下村プロジェクト(注1)」における研究成果として、書籍『コロナ時代の日本経済-パンデミックが突きつけた構造的課題-』が東京大学出版会から2022年5月に刊行されました。今回はその編者である福田慎一教授(東京大学)に、本書で取り扱われたテーマについて伺います。(インタビュー:青山竜文)
-本書の副題は、「パンデミックが突きつけた構造的課題」というものです。本書全般で経済政策・経済社会双方の構造的課題が語られていますが、福田教授からは「構造的課題の多くは、ウィズコロナ時代を経てむしろ深刻となった。」という指摘も為されています。例えば、どのような課題がより深刻になったと考えられるでしょうか?
基本的にまず日本が未だデフレ経済にあるということです。以前の下村プロジェクトで取り上げてきた「少子高齢化」、「財政赤字」といった課題は更に深刻度を増しています。これらの課題が大きくなっている一方、本書で強調したかった点は「新陳代謝」が進んでいないことです。本来、新型コロナを契機に日本は新陳代謝を目指すべきでした。諸外国も最初の数か月は日本と同様に「どのように止血をするか」という方向で対応をしましたが、その後は少しずつポストコロナに舵取りを進めていきました。しかし、日本は依然として経済を止め、それを財政でサポートをする形をとり、ポストコロナに向けた新陳代謝が実現できていません。
新型コロナは非常に大きな課題ですが、やがては収束してくるでしょう。ただし多くの方が言われるように、経済自体は元の形に戻るわけではありません。デジタル化の進展然りです。その流れに対応するには「人材の再教育」の必要性があり、これは第5章で田中茉莉子氏が執筆しています。また、世界をみると、GAFAなど特定の企業が市場支配力を高めていることが大きな課題ですが、第2章で岡田羊祐氏が執筆しているように、日本では競争を規制する議論より、過当競争を解消し、市場にインパクトを与える企業を育成することの方が重要です。
また第3章では長田健氏が地方創生、特に地域金融について執筆していますが、「経済財政運営と改革の基本方針2021」として取り上げられた「4つの原動力」のなかでも、グリーン、デジタル、少子化対策と並び、活力ある地方創生は大きなテーマとなっています。東京一極集中のリスクなどを考えると、構造改革を考えるうえでは全国がバランスよく成長する必要があります。
-世界経済と比較して、日本経済がおかれたコロナ禍における特異性についてもご指摘がありますが、それは例えばどのような項目で明白でしょうか?
日本でも物価は上がってきていますが、それでも欧米と比べると上げ幅は小さなものです。原材料価格や原油価格の上昇は世界共通ですが、日本だけその上げ幅が小さいというのは消費者には好ましい話ですが、結局のところ、各企業がコスト削減などにより原材料価格の上昇を吸収しているという話でもあります。このような消耗戦は、日本企業の国際競争力を考えるうえでは深刻な問題です。
ご存知のように円安も進行しています。日本の製品・サービスが他国に比べて安くなっているわけですが、競争力の観点では「高くても売れる」製品・サービスを作っていくことが重要です。そのように考えると、日本は経済の新陳代謝によって競争力のある企業を育成しなければなりません。
コロナ禍で日本の良かった点は新型コロナの感染者数が少なかった点です。結果的に他国と比べるとはるかに感染者数が非常に少なかったといえます。ただ、それを実現するために使ったコストは膨大でした。ここまでのコストをかけなければ実現できなかったのか、他のやり方はなかったのか、という議論があり、これは第1章で中里透氏が執筆している財政の議論に直結する課題です。
-今の話と関連しますが、福田教授は終章で「動学的不整合性(注2)」の概念をご説明されています。現状はまさにそのような状況ということでしょうか?
そういうことになるでしょう。「動学的不整合性」は、短期的な利益や目先の人気取りを行うと長期的にはメリットにはならない、という議論です。目先の緊急事態への対応は大事ですが、どこかでより先を見据えた政策に切り替えていく必要があります。
これができない要因は日本の国民性にもあります。しかし、それだけではなく、コロナ禍の選挙という不運な要素もあり、これについては終章で述べています。実は菅政権自体は先を見据えた構造改革への姿勢を示していました。ただし、残念ながら支持率は高くありませんでした。そうしたなか、岸田新政権のもとで選挙が行われ、結果として「感染者数を減らす。困っている事業者を徹底的に助ける。」という目先の政策に移っていきました。
こうした動きは他国もある程度同様なのですが、切り替えのタイミングが異なります。例えばアメリカも失業率はコロナ禍で大きく上昇したのですが、その後、急速に下がり、現在はかなり回復しています。これは新陳代謝が起こった証左です。
アメリカ以外の国ではそこまで極端な動きはありませんが、欧州各国などでは2019年に選挙があった国が多く、コロナ禍での選挙は少なかったので、構造改革を行いやすい環境にあったと思います。そうした意味でも日本は特異な状況でした。
-ウィズコロナを経てより重要になった課題として、本書終章でも「デジタル化」や「気候変動問題」を挙げられています。これらに対応することが構造的課題の克服につながる要素はあるのでしょうか?
この二つは、「ルール作り」という点において全く異なる視点で捉える必要があります。この二つの事象は「一度ルールが作られると、それに基づいて色々な投資や事業活動が行われる」という点が共通しています。
例えば第6章で花崎正晴氏が気候変動について執筆していますが、気候変動であれば「何が『グリーン』なのか?」と定義することから始まります。実際、欧州はタクソノミーを作り、日本のハイブリッド車はその枠組みから外れてしまいました。気候変動に関連して、どのような産業や製造工程が合致しているのか、というルール作りが行われたわけです。日本はこれに対してトランジションという形で巻き返しを図らんとしていますが、大きく遅れていることは否めません。
デジタル化も同様の側面があります。経済学では「ネットワークの外部性」と言いますが、最初に仕組みを作った人が市場を占有できる、支配的な力を持ち得る、という流れがあります。アメリカではGAFAを中心にそうした力を持ち、中国、欧州も各々の形でこれに対抗せんとするなか、日本の関与が聞こえてきません。
デジタル化については長期的な取組みも重要ですが、まずはルール作りや先行者利得が喫緊の課題です。しかし、日本では対応が後手に回り、コロナ禍で時間だけが進んでしまっているようにみえます。
こうした話にも構造的課題が関連しています。日本が欧州発のタクソノミーに乗れなかった理由として、ガソリン・エンジンによる自動車の生産を捨てられない、という側面がありました。ガソリン・エンジン向けの部品でなければやっていけない企業は下請企業まで含めれば多数存在しており、その存在を考えると新陳代謝が十分にできない、ということですが、結果として構造改革の遅れにつながったと考えています。
-最後に、本書で描かれている時期より少し先の話にはなりますが、今般の世界情勢(ウクライナ侵攻など)に関する日本経済への影響をどのように考えるべきでしょうか?
経済的に、今回のウクライナ侵攻は過去の戦争とは全く違う性格を有しています。過去の戦争では、戦争当事者国は大きなダメージを被るものの、直接的に当事者でない国は逆に経済的に利益を得ることも少なくありませんでした。第一次世界大戦における日本などもそうで、その時期に成金が生まれた、という話があります。
しかし今回は様相が異なります。「西欧がロシアを制裁する」という構図のなかで、ロシアにとって大きなダメージが生じますが、制裁する側にも大きなダメージがもたらされています。そのような構図として見ていく必要があるでしょう。
構造改革との関連では、サプライチェーンの再構築を更に見直す必要があり、これは第4章で佐藤正和氏が執筆している内容とも関連します。地政学的リスクを踏まえて、どのようにサプライチェーンを再構築するかという点で、企業のグローバル展開にも影響が出てくるでしょう。
編集部註. 尚、5月の東京講演会では本書にまつわるテーマを福田教授よりご講演いただき、その模様を8月号の弊誌に掲載予定です。
(注1)弊財団の会長でもあった故下村治博士の誕生100年を記念した特別研究事業。
(注2)当初は最善と思われる政策が、実行されるにつれて望ましいものでなくなる現象