『日経研月報』特集より
コモンズ論の系譜とその広がり
2022年11月号
1. コモンズ論とは何か
今日、コモンズという言葉はずいぶん人口に膾炙(かいしゃ)してきていると言えよう。なかにはコモンズ、コモンの関係にユートピアを観て、新しいコミュニズムの基盤として評価しようという動きすらある。さてそのコモンズを深く考えようとするものにコモンズ論があるが、そのきっかけは、1968年、生物学者のG・ハーディンが米国の科学誌Scienceに寄稿した論文『コモンズの悲劇』に始まったと言ってよい。ハーディンの提起した『コモンズの悲劇』とは、資源として利用しようとすれば誰もが利用でき、同時に利用が進めばその分だけ資源ストックは減り、維持コストをかけなければ資源枯渇に向かうような場合が想定されており、維持コストを負担せずただ乗りをする利用者が増加していった場合、資源枯渇が始まり体制を維持できなくなるという意味で悲劇が生ずることを語ったものである。これに対し、共有や共用などの諸制度が必ず資源枯渇を招来するものではなく、実際のコモンズをみると資源の利用はコモンズのメンバーに限られ、利用の仕方や維持管理についてルールをもち、資源の維持管理が有効に行われている場合が多いという反論が、資源管理の現場をよく知る農学、資源学、文化(社会)、人類学、社会学、政治学などの分野から行われることとなった。これが、今日的な意味でのコモンズ論の出発であった。1985年に米国アナポリスにおいて初めて包括的な研究会議が開催されたが、この時点でコモンズ論という広範で学際的な研究分野が登場したことになる。
米国を中心にこのようなコモンズ論を主導したのが2009年にノーベル経済学賞を受賞した米国のエリノア・オストロムであるが、彼女に代表される北米を中心とするコモンズ論の基本的性格として、コモンズという制度を複雑な「社会的ジレンマ」の解決方法として見立て、それを厳密な方法的裏付けをもって発展させて行こうという志向をもっていることが挙げられる。一方で文化・社会人類学者や社会学者、さらに資源学の研究者の場合、あくまで実証研究を主としフィールドでの事実認識からまず出発し、理論を組み立てるところに特徴がある。事実、これまで展開されてきたコモンズ論は、農学や人類学、社会学からの寄与なくして今日の姿はなく、人間-環境系の相互作用やコモンズの置かれた状況(コンテクスト)に発するダイナミズムを重視するB・マッケイや、複雑系からのアプローチなどラディカルな理論による学問的寄与もなされている。
このようにコモンズ論は学際的な広がりをみせるなかで発展してきた学問である。今やコモンズの範囲は伝統的なローカル・コモンズのみならず、この後に触れる都市のコモンズや、地球大の大気やディジタル資源、知的財産権や文化にまで及んでいる。コモンズが外延的に広がるなかで、伝統的コモンズが有していた資源とそれに関わる社会集団との関係には違ったものが現われる。しかしだれもが新しい取組みやその領域の認識としてコモンズと呼称、規定しようとする理由は、その取組みや領域が社会的にみて重要な公共性を有しているからと考えられる。それも政府など公的セクターが担うのではなく市民セクターが担うか、そのイニシアチブをとるところに共通の特徴があるといえよう。一方で、コモンズが社会制度として必ずしも安定しているわけではなく脆弱性をもっていることも忘れてはならない。英国における19世紀後半からのメトロポリタン・コモンズの形成、「歩く権利」の確立など市民側の主張、ある場合は抵抗、そして不断の努力があって辛うじて保全されてきている事実もある。またジェントリフィケーション(注1)を契機にまち場のアメニティが喪失を余儀なくされる場合についても警戒が必要である。途上国においては、国家権力の大幅なレジーム変化のもとで略奪の憂き目に遭う環境コモンズも多い。こうした社会情勢の変化のなかで浮沈するコモンズについては、影響を受ける市民意識の堅持や社会的抵抗が必要になってくる場合があるといえよう(注2)。
2. 入会(いりあい)研究と日本のコモンズ論
国際的コモンズ論の研究組織としてIASC(International Association for the Study of the Commons)があるが、2013年の世界大会は日本の富士吉田市で開催された。そして開催を支援したのは地元に立地する入会団体、恩賜林組合(注3)であった。このような日本での国際学会の開催は、日本の入会が国際的にも注目されてきていることの証でもあった。林野入会(注4)においては、主として林野の生み出す産物を資源とし、入会権者というメンバーシップによる構成員をもち、明確な内部規約をもって入会管理の阻害要因を除去するという仕組みを備え、近代に至るまで長きに亘って制度として続いてきたものであり、そこに典型的なコモンズ的取組みがみられる。オストロムとともにコモンズ研究を率いてきたマーガレット・マッキーンによる北富士の入会研究とその世界への紹介がなされていたことの意味は大きい。そして日本における入会研究は、歴史家、法社会学者によってコモンズ論とは無関係に膨大な蓄積を有していたことは周知の事実である。
近代日本の入会権は、官民有区分を原則とした明治の近代化が急がれるなかにあっても民法に条文2条が物権として残った。このことは、入会が旧慣習とみなされようと入会林野の社会生活における厳とした存在であったことがそうさせたものとみなせよう。民法263条にある「共有の性質を有する」入会権は、ギールケ研究に基づきゲルマン法にみられる総有(Körperschaftliches Gesamteigentum)に類似するというのが戦前期の中田薫以来の位置付けとなっていた。戦後川島武宜は、入会団体と構成員の権利を分離する必要はなく処分・使用ともに入会権者が持ち、地盤所有へのリンクを強めた「入会私権論」を強調し、この考えが今日の定説を形成した。一方で入会権論の代表的研究者であった戒能通孝(注5)は、ギールケの総有論を日本に比定した総有説を批判し、「事実的収益行為を中心とする入会地への支配内容」、「入会地に対する入会権者の権利内容は抽象的な所有権ではない」としてあくまでも生活実態に基づく権利内容を重視し、入会権者を支える基盤は村落共同体にあることを強調した。これは入会関係において、立地する地盤とその所有からは切り離された使用・利用の権利への注目であった。もうひとつ興味深いこととして、子息の戒能通厚が父への回想(注6)を語るなかで、日本の入会は一般にイギリスと入会構造が違うとされるが、「父にいわせれば日本の入会は非常にイギリス的なもので、まさに現実の利用が前提となる。だから、所有問題ではないのだ」、それは「父のベースにしている議論が、ギールケよりはむしろイギリスの法制史家のメートランド(注7)であることに関係している」と証言していることが挙げられる。このメートランド(Maitland)は、ポロックとの共著『英国法制史』等において自国の入会権(right of common等)を「他人の土地において資源採取が認められる、個人に関わる個別性の強い権利」と規定していることも紹介しておこう。
戒能が「入会」の権利を語るとき「所有の範疇から既定するのではなく、入会権という権利の行使という事実から出発し、この事実的行為が村落における「空気と同じように尊く不可欠な権利」として集団的に行使されるものとして、これを理論構成し、その共同体を通じて「近代」を展望した(注8)」とみられることも興味深い。それゆえにこそ係争の被告弁護人として関わった小繋事件に普遍的な価値を見出したといえよう。戒能にはまた市民主権に基づく「市民法」への希求があり、労働権や社会保障の権利に連なる「生存権法理(注9)」をも並走させていたことを確認する必要がある。これは今日議論すべき現代のコモンズの権利に対しても照射する論拠を与えるものではないだろうか。
さて今日の日本のコモンズ論に連なる研究者についても触れておこう。添付の系譜図を参照されたいが、多辺田政弘や室田武などエントロピー学派の経済学者による独自の問題提起に始まり、宇沢弘文の提唱する社会的共通資本の理論、そして鳥越皓之ほか環境社会学者や人類学者による豊富な事例研究、林政学など農学分野、そしてすでに触れた入会研究に関する法社会学からの寄与といったように、コモンズ論からの影響を受けつつも1970年代から独自に展開してきていたものであった。そこにマッキーンという日本をフィールドにする研究者が積極的に関わることによって、それら学問分野とコモンズ論との交流が一挙に進みだしたのである。このように日本のコモンズ研究は、北米型コモンズ論とは相当に異なった問題意識とアプローチによって研究と実践がなされてきていたといえよう。日本と世界のコモンズを地理的、歴史的に展望しつつ、コモンズの機能を自給的機能、地域財源機能、環境保全的機能、弱者救済機能の四点に分類した三俣学(注10)の知見がある。そこでは北米系のコモンズ論のように単に「社会的ジレンマ」研究に帰結するものではなく、自然と人間が不即不離に関わりをもつその総体を研究対象にするという特徴がみられる。
3. コモンズ・マネジメントのポイント
コモンズの持続可能性との関係では、オストロムの8つの設計原理が参照されなければならないが、コモンズは原理に即応する限り内部崩壊は起きにくく、外部からのインパクトよって存続が難しくなる場合が多いといえよう。コモンズの成功は、一面でその閉鎖性によって担保されてきたともいえるわけである。一方コモンズの存立には必ずや正当性(legitimacy)が求められ、それは広くは公共性の要請でもあるが、開けたコモンズにこそ正当性があることになるかも知れないのである。コモンズの開閉をめぐっては、コモンズの変容のなかで絶えず問題となるポイントであった。個々のコモンズは、取り巻く周囲と隔絶していない限り必ず広い範囲の利害関係者と関係をもっていることが常態である。熱帯森林政策学者として途上国の森林管理をテーマとし、また現場を豊富にみてきた井上真(注11)は、コモンズを取り巻く自然条件と社会関係の双方での多層性をみるなかで、2つの原則を提案している。ひとつは「開かれた地元主義」であり、もうひとつは「かかわり主義」であり、これらを統合するものとして「協治」と呼ぶガバナンスの提案を行っている。「開かれた地元主義」とは、コモンズの資源とその管理ルールは原則地元のものであるが、一方で否応なく外部者との関係が出てくる場合がほとんどである。また地元として技術・知識の移転が必要な場合もある。その場合に外部者との協働関係を意識したうえで受け入れるという原則を意味している。一方、「かかわり主義」とは主として外部者がコモンズと関わる際の原則、心構えともいえる責任意識である。コモンズを取り巻く広い意味での環境は変化してきており、それは国内的原因による場合も、グローバルな原因による場合もある。コモンズは絶えずそれらに対応・適応していかなければならない。この2原則はとかくありがちなリーダーシップ重視の外部者によるトップダウンの圧力に歯止めをかけ、ボトムアップの地元の意思決定と内容充実の契機を作ろうとするものでもある。これら井上の2原則と協治のシステムは、まずは途上国においての資源管理に適用しようとするものであるが、都市や地域でのコモンズの運営にも適用可能な部分を含み、示唆的である。
4. 都市のコモンズの捉え方
次に筆者の関心でもある伝統的ローカル・コモンズとは異なる、都市に関わるコモンズの問題を取り上げることにしたい。通常コモンズ論は資源管理の問題に適用されることが多いが、都市のもつアメニティ機能はいうまでもなく、都市でこそ必要とされる相互扶助を意識的につくりださなければならないような場合、コモンズの本質を踏まえた議論が必要になると思われるからである。なぜなら都市とは、古来集住の場所であり、隣り合って住み、都市で行き交うさまざまな集団が共同で享受するものがそこにあるからでもある。日本の置かれた状況は、近代化以降、欧米の都市形成を主たる標準に都市整備を行ってきたことによっている。人口全体の増加と都市への集中が起こった20世紀後半までは、人口成長とそれを受けいれる入れ物としての都市のあり方という点に集約してすべてが語られてきたといえよう。しかし少子高齢化の進むなかで、いよいよ人口減少の始った日本、特に大都市において一層進む高齢化と追って始まる人口減少を前提にしたとき、都市のあり方、それもコモンズの問題を考えることが非常に重要になるだろう。人口減少は資源制約との関係ではその制約を緩和する条件である。しかし高齢化が進むなか、生産年齢人口の相対的減少は付加価値生産という経済の現場のみならず、介護を含む福祉作業の担い手不足を引き起こすことになる。その場合、相互扶助を一層進めるなど、地域全体としての対応が必要になり、それは都市経営、まちづくりにおいてコモンズの思想が必要なことを意味している。
(都市のコモンズの二類型)
ここで、都市のコモンズを二つの視点(注12)から捉えてみたい。第一は、従来のコモンズ論の延長として都市内のミクロの空間(緑地・住居、商業集積など)がコミュニティベースで管理されている現象に注目して、それらを個々のコモンズ(commons in the city)として捉える見方である。第二は、都市空間全体をコモンズ(urban space as commons)と捉える見方である。
第一の都市のコモンズとは、都市内においてローカルコミュニティが共同で利用し、管理を行っているようなコモンズのことである。具体的には広場や公園といった住民にとっての憩いの場となっているところである。これら分散して存在する小コモンズは、公設であっても管理は民間委託が進むなかどのようなルールによって利用され、管理されているのだろうか。都市にみられるコモンズは、公園や広場に限定されない。私有地の連なりとして成立する都市景観、地元組織が管理に加わっている中心市街地の商業空間も、ルールの存在によって無秩序な開発を避けて地域の価値を向上させているという意味で、コモンズとして捉えることができる。マンションなどの集合住宅の共用施設のあり方もコモンズの視点から分析することができるだろう。
まちづくりの専門家・建築家、コモンズ論研究者の間でも、都市に認められるコモンズのあり様について研究が進んでいる。住環境のあり方にコモンズを認めるもの(注13)、児童公園などの都市の小空間、まち並みやまちを印象付ける景観などを指すケース、商業区域全体を所有・利用・管理の側面からコモンズと位置付けるものなどが注目される(注14)。
次に第二の都市全体をコモンズと捉える考え方とはどのようなものだろうか。経済学者の宇沢弘文の社会的共通資本(注15)としてそれを考えることがその代表的なものとしてあげられる。そこでは、都市はそれ自体として社会的共通資本の塊であるという。道路、交通機関、ライフラインといった社会的インフラストラクチャー、教育、医療、司法といった制度資本、そして人工的な都市にあってもそれを包む自然環境、それら総体が都市を形づくっているという捉え方である。社会的共通資本は、一定の経済的豊かさをベースにしつつ「すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置」、「社会全体にとって共通の財産」として位置付け、権力による統治とも市場原理とも違う、「職業的専門家によって、専門的知見と職業的規範にしたがって管理・維持されなければならない」ものとされている。そこではインフラなど物的素材・資源という側面ではなく、社会的制度として定義したことの意味が大きい。都市の持続的な発展のために、交通政策、水やエネルギー資源の管理、治安、教育などの制度資本の最適な供給方法、とりわけ、サスティナブルな都市のあり方を目指す政策をコモンズの視角から行うことが検討の課題となる。
宇沢について付言すると、後年の社会的共通資本の理論化に先立って『自動車の社会的費用』(1973)をまず著わしたが、注目すべきこととして、人間の「歩行」を自動車に妨げられることなく、その自由を保障するように都市のデザインがなされるべきであると、B・ルドフスキーの『人間のための街路』を踏まえて論じたことである。宇沢は、安全な歩行を保障する道路があれば、それは「社会的共通資本としての道路」が存在することを意味すると喝破しその必要性を説いている(注16)。そのような都市のデザインが可能になるためには、都市像に関する共通の合意が存在することが必要であり、その成立過程に必ずや市民と専門家の積極的参加が必要とされる。
それでは第一のコモンズと第二のコモンズの関係がどうなるかについて触れておきたい。第一のコモンズといったボトムアップの積み重ねが都市を構成する主要な要素となっていけば、その都市は住みやすいものとなるだろう。一方で、都市はそもそも第二の意味でのコモンズでもあるべきであるとの共通の認識、合意が市民、行政の間で得られるならば、第一の意味でのコモンズの形成をも助けるものとなっていくであろう。もともとコモンズには、社会性の追求と個人の利益追求の衝突という社会的ジレンマを解消する仕組みとしての機能をもっていた。これを民主的かつ個人の合理性を尊重する形で解決する方法を社会は求めなければならないだろう。社会の仕組みとともに、市民性を育てるという第二のコモンズの形成があるなかで、両者が噛み合って都市経営がなされていくことが必要なことのように思える。いかにガバメントの統治ではない市民によるガバナンスの利いた都市経営が担保できるかがポイントとなる(注17)。
5. むすびに代えて
以上、コモンズ論の発祥とその展開、日本における入会権論と日本のコモンズ研究の特性、そして後半、都市のコモンズについて検討をしてきた。
主として伝統的ローカル・コモンズの見直しを軸に世界的にコモンズ論の展開がみられてきたが、日本の分厚い学的蓄積を基盤とした示唆に富むコモンズ論があることにも注目をしてほしいと思う。都市を構成するインフラ・機能それぞれが社会的共通資本の要素となるものであることから、それらを市民的思想の深化と参加・実践で支えていかなければいけない領域と考えられる。
翻って世界、特にグローバルサウスといわれる途上国、中所得国では脅かされるコモンズが多く、調査報告や研究は危機意識に満ちている。詰まるところそこでは政治・社会の問題になってしまう。この分野への注視も必要である。
最後に都市のコモンズ論に引き付けた言い方にはなるが、東日本大震災後の主要地域政策であった「まち・ひと・しごと創生」が積み残したもの、さらに新たな田園都市構想の展開で忘れているものはないかといった問題意識をもつとき、引き続きまちづくり、都市計画のあり方、空間管理の手法が問われているといえよう。どこにあっても、持続可能な都市空間とコミュニティ維持に向けてコモンズをどのように形成していくのか、多くの課題が待っている。そのような場において、コモンズ論の視座が有効なのでないかと思われる。
(参考文献)
井上真(2004)『コモンズの思想を求めて』、岩波書店
井上真(2009)「自然資源「協治」の設計指針」室田武編著『グローバル時代のローカル・コモンズ』、ミネルヴァ書房
宇沢弘文(1974)『自動車の社会的費用』、岩波書店
宇沢弘文(2000)『社会的共通資本』、岩波書店
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戒能通孝(1943)『入会の研究』(1958年に復刊)、一粒社
戒能通孝(1977)「人権」『戒能通孝著作集2』、日本評論社
西郷真理子(2006)「A街区再開発事業の特徴と意味」『季刊まちづくり』13号 学芸出版社
西郷真理子・太田隆信(2008)「対談:地方都市の中心市街地をデザインする―高松丸亀町の「通りを中心とする」再開発」」『新建築』83(1)
齊藤広子・中城康彦(2004)『コモンでつくる住まい・まち・人』、彰国社
椎名重明・戒能通厚(2008)「資料研究 イングランドにおける土地囲い込み一般法案とその周辺」『早稲田法学』83巻3号
高村学人(2009)「コモンズ研究のための法概念の再定位-社会諸科学との協働を志向して-」、『社会科学研究』、東京大学社会科学研究所、60(5・6)、81-116
平竹耕三(2006)『コモンズと永続する地域社会』、日本評論社
三俣学(2009)「『グローバル時代のコモンズ管理』の到達点と課題」室田武(編)『グローバル時代のローカル・コモンズ』ミネルヴァ書房、263-275.
茂木愛一郎(1994)「世界のコモンズ」宇沢弘文・茂木愛一郎編『社会的共通資本 コモンズと都市』、東京大学出版会
茂木愛一郎(2012)「都市のコモンズ」、総合地球環境学研究所「シーダー」編集委員会編SEEDER 第7号、昭和堂
ルドフスキー、R.(1969)『人間のための街路』(平良敬一・岡野一宇訳、鹿島出版会、1973年)
Standing, Guy. (2019) Plunder of the Commons: A Manifesto for Sharing Public Wealth, Pelican Books, UK.
(注1)地域の建物の改修や再開発の結果、居住空間の質は向上するが、同時に投資回収に見合った負担のできる階層への住民の上層化が起こり、しばしば旧住民がはじき出される現象を指す。
(注2)Standing(2018)
(注3)正式名は「富士吉田市外二ヶ村恩賜県有財産保護組合」。富士山の北山麓(旧11ヵ村)の林野を保有するが、明治44年県下の御料林下賜に因んだ名称となっている。
(注4)日本のもうひとつの代表的入会として漁場、漁業権があるがここでは割愛している。
(注5)戒能(1943)
(注6)戒能(2008):119
(注7)自身英国法制史家である戒能通厚は、メートランドの残した言葉として「イギリスという国には、国家の概念がない。むしろ国家というより社会がある。しかもイギリスの国家というのは、決して国家として自ら強大になることを欲していない」を挙げ、メートランドの母国には共同体の伝統が非常に強いことを指摘している。この共同性は、権利としてのコモンズの個別性や個人性と並走する形で存在することによって、19世紀半ばから始まる都市等におけるオープンスペースの形成などを通じコモンズを変容させ、現代の都市のコモンズにつながる公共性の回復を生みだしている点は英国の状況として注目されてよい(椎名・戒能(2008)、茂木(1994))。
(注8)椎名・戒能(2008):246
(注9)戒能(1977):208
(注10)三俣(2009):268
(注11)井上(2004)、同(2010).
(注12)都市のコモンズを捉える2つの視点は、間宮陽介、高村学人両氏の立論に基づく。
(注13)齋藤・中城(2004)
(注14)平竹(2006)の一連の研究では、高松市丸亀町商店街再開発、長浜市の黒壁、京都市祇園町南側のまち並み保存、同上京区相国寺一帯、松阪市の御城番屋敷、野洲市のグリーンちゅうず、飯田市の川路地区などの事例がある。このほか五十嵐敬喜提唱の「現代総有論」がある。人口縮減過程に入るこれからの都市において要請されるような共同的取組の重要性と政策を論じている。また、西郷(2006)、西郷・太田(2008)などが参考になる。
(注15)宇沢(2000)
(注16)宇沢(1974):172
(注17)茂木(2012)