『日経研月報』特集より
ウェルビーイングの考察(前編)~先行研究から考える今後の課題~
2024年2-3月号
1. はじめに~ウェルビーイングとは~
ウェルビーイングについて、世界保健機関(WHO)は「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます」と定義している(注1)。
現在、この定義を基軸に国内外でウェルビーイング実現に向けて、幸福度調査をはじめとする分析・評価指標の開発が進められている。例えば、経済協力開発機構(OECD)は2011年から「良い暮らしイニシアチブ(OECD Better Life Initiative)」として、「より良い暮らし指標(Better Life Index:BLI)」を開発し、その傾向や要因分析によるウェルビーイング研究を進めている(注2)。
また、国内では「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」の中で、地域活性化、教育、経済政策のさまざまな分野にて、KPIにウェルビーイング指標を導入することを推進している(注3)。
以上のように、ウェルビーイングが評価指標やKPIとして可視化され、さまざまな分野での計画に反映・実行されることは大変有意義である。しかしながら、「すべてが満たされた状態」とされるウェルビーイングは、評価指標やKPIで設定・評価したり、理解したりすることが可能なのだろうか。
ウェルビーイングについては、研究分野は異なっていても、幸福や価値、評価指標のあり方などに共通する指摘がある。前編では、これらの先行研究を紹介した後、ウェルビーイングを構成する要素からフレームワーク等を考察してみたい。
2. 先行研究におけるウェルビーイングの示唆
(1)京都大学 人と社会の未来研究院 教授 広井良典氏「目的には還元できない新たな意味や価値(注4)」
広井氏は公共政策や科学哲学の観点から、科学や技術の持つ意味や価値について「『競争力、生産性、効率化、イノベーション、投資拡大、経済成長』といったものに限定され矮小化されてしまうことへの疑問」を呈し、前述のような意味や価値があることを肯定しつつ、「そうした目的には還元できないような科学・技術の新たな意味や価値があり、しかもそのような価値は、これからの時代において大きく高まっていくのではないか」としている。
また、現在を成長拡大路線から持続可能性への「せめぎ合いの時代」としたうえで、令和と昭和という時代比較から「『令和』という時代は、人口や経済がひたすら拡大を続けた昭和とは全く逆のベクトルの時代」であるとし、「こうした状況において、昭和的な“集団で一本の道を登る”、あるいは“限りない拡大”の追求という発想で物事に対処していくのは、さまざまな面でかえって逆の効果を生む」のではないかと指摘する。
続けて、これからの幸福やイノベーションについても「むしろ昭和的な思考の枠組みから解放され、個人がもっと自由度の高い形で自分の人生をデザインし、『好きなこと』を追求していくことが、個人の幸福にとっても、またおそらく経済活力や『イノベーション』にとってもプラスに働くと考えられるのではないか」と述べている。
(2)ゲームAI研究者・開発者 三宅陽一郎氏「情報ではない『質』(注5)」
三宅氏は、人工知能について「人工知能というのは情報を操作するだけで完結する『情報処理体』」ではないとし、「こうした情報処理と人工知能の何が違うかという問いは、人工知能の本質につながっている」と述べている。そして、「すべてを情報にしてしまうと、情報の元となった実体について、その実体が持つ情報に還元できない性質は捨てられ、情報の次元だけで分かったつもり」になるため、「情報を用いつつ、情報ではない『質』をいかに出すかを考える必要」があるとしている。
(3)上智大学 理工学部 非常勤講師 大山匠氏「自由(注6)」
大山氏は前述の三宅氏との共著の中で哲学の観点から、「幸福の定量化の問題」として、「その内実はどうであれ、定量化した幸福指標を目的とすることは父権主義的態度を招き、原理的に自由を損なうもの」となると分析している。
さらに大山氏は人工知能にとっての幸福について、以下のように考察している。
まずは人工知能を単なる道具としてではなく、「私たちと向き合う他者」としたうえで「この新たな他者を自由な存在として認めるのなら、私たちは単一の幸福指標を設計して追い求めるのではなく、自由と幸福の間を揺れ動きながら、ともに試行錯誤を繰り返すほかない」とし、「この態度は、相手が人であれ人工知能であれ、相手を他者として、私たちと並び立つ存在として認めるならば変わることはない」としている。
この点は、三宅氏もこれまでは人工知能を単体で探求する一方で、「人工知能を社会の中で形成する」と言う視点が欠けていたと指摘している。重ねて広井氏もAIに関しては「純粋に論理や計算に関する面では人間を凌駕しうる反面(例えば計算スピードや記憶容量など)、その土台にある価値判断や意味の理解、感情と言った機能は持ち合わせておらず、要するにAIはそれだけでは『自立』することはできない」と述べている(注7)。つまり、人工知能は「情報処理体」という道具として見れば、評価指標やKPIという情報の精度を上げてくれるかもしれないが、それ自体が「質」を見いだしてくれるものではない。社会の中で「私たちと並び立つ存在」として「質」をともに見いだす他者とするならば、また違った見方ができるかもしれない。
以上の三者の指摘を踏まえ、以下の通り整理する。
三宅氏が示唆する「質」は、広井氏の「目的には還元できない新たな意味や価値」と類似していると思われる。また、大山氏が示唆する「自由」については、広井氏も「自由度」として言及しており、これらについても、三宅氏の「質」や広井氏の「目的には還元できない新たな意味や価値」と同様の解釈が可能と考える。
つまり、KPIや評価指標を追い求め、ウェルビーイングをその範囲内で理解したと判断するのではなく、それを活用して情報ではない「質」(三宅氏)、「目的には還元できない新たな意味や価値」(広井氏)、そして単一の幸福指標ではない「自由」(大山氏)をどう見いだすのかについて考える、そのことが、これからの社会のウェルビーイングにつながっていくのではないだろうか。
3. ウェルビーイング研究の構成要素
(1)ポジティブ心理学(注8)からの考察
ウェルビーイングの構成要素の考察においては、「社会科学(経済学、経営学、社会学など)や自然科学(生物学、脳神経科学など)によるアプローチ」などにも取り組み、「先行の諸学問分野による多角的研究と有機的に結びつきながら、研究課題としてさらに考察を深めていくことにその醍醐味がある」とする、ポジティブ心理学を参考としたい。
ポジティブ心理学とは社団法人ポジティブ心理学会によると、1998年当時にアメリカのペンシルベニア大学心理学部教授のマーティン・E・P・セリグマン博士によって創設され、主にアメリカの心理学者たちによって研究が進められてきた。
ポジティブ心理学の重要な要素の一つは「道徳心理学の考察方法が根底にあること」であり、「『生きるに値する人生を構成するものとは何か?』について科学的に探究することを通して、個人と組織のよりよいあり方(ウェルビーイング)を目指すあらゆる研究や実践に『包括的な枠組み』」を提供するものとされている。
(2)マズローをはじめとする他の考察
図1のアメリカの心理学者マズロー(注9)の以下の先行研究では、ウェルビーイングの構成要素として、衣食住の確保などの生命維持、生理的欲求を満たすための基盤要素(Deficiency needs:以下、欠乏ニーズ)に加え、好奇心や美的センスといった知的、創造的欲求の充足や自己実現に基づくモチベーション要素(Growth needs:以下、成長ニーズ)の存在を示唆している。
他の先行研究も、各ニーズの表現、構成などに多少の違いはあるが、それを前提に考察すると、欠乏ニーズと成長ニーズの両方が言及されているもの(注10)(タル・ベン・シャハーの「SPIREモデル(注11)」)、成長ニーズの各要素がより細分化されたもの(前野隆司・前野マドカの「幸せの4つの因子(注12)」、マーティン・セリグマンの「PERMA理論(注13)」)などに分類可能と思われる。
加えて注目したいのは、図1の「欠乏ニーズ」と「成長ニーズ」の中間にある「Esteem needs」で「for oneself/by others」として、「自分」と「他者」の視点を明確に分けている点である。他の先行研究でも、ウェルビーイングの構成要素を「個人内要因」と「個人間要因」として分類し、例えば「思いやり」や「共感」についても、「自己」へ向けられるもの(自己の肯定)と「他者」へ向けられるもの(良好な関係性)とを区別している(注14)。類似の区別は上記の成長ニーズにフォーカスした先行研究にも見られる(注15)。
(3)ウェルビーイングの構成要素として必要なもの
以上、ウェルビーイングの構成要素は大きく欠乏ニーズと成長ニーズからなり、その間には自分と他者のふたつの視点があることが分かった。そこで、本稿でのウェルビーイングの概念を特に自分の視点を起点とする成長ニーズを中心に整理したい(注16)。その理由は、前述の広井氏が、これからの幸福として、既存の思考の枠組みから解放され、個人の自由度を担保し、人生をデザインしたり、興味関心を追求したりすることと指摘する通り、このことはまさに成長ニーズであり、その効果が個人だけでなく、社会への還元も期待できるからである。
上記内容を踏まえ、本稿のウェルビーイングを成長ニーズ関連の構成要素(知性:おどろき・ひらめき、創造性:ときめき)と、それを支える構成要素(認知:きづき、関係性:つながり)に精査したものが、図2「ウェルビーイングのフレームワーク」である(注17)。
このフレームワークの各要素及びその充足度(minimum⇔max)は、図1の(補足)の通り暫定的であり、前述の大山氏も指摘するように、各要素の間を揺れ動きながら適宜変化すると想定する。よって「その要素はウェルビーイングではない」「この要素はmaxレベルであるべき」と解釈を固定化したり、優劣をつけたり一概に判断するものではないと考える。
このフレームワークの肝は、各要素を階層化して優劣をつけることではなく、それぞれがつながりバランスをとっているものと捉えることである。そもそもフレームワーク自体がカスタマイズ可能であり、最適解を更新していくことにあると考える。
4. 「超越」の概念とは
前述のマズローのモチベーションモデルをはじめポジティブ心理学では、ウェルビーイングの構成要素として「超越(Transcendence needs)」という概念を含んでいる。この概念は、人生の意義・目的、社会的責任など自己の存在や行為をも超えた精神性や大局的視点と理解するが、解釈や表現は先行研究によってさまざまである。そこで図3の通り、これまでの考察に加え、大局的視点に関する以下の先行研究も参考に、本稿での「超越」の概念を整理してみたい。
天文物理学者BossB氏(注18)は、「解釈は視点に依存」しており、「あなたの視点に依存した解釈(観察や測定結果)は、現実の側面での解釈でしかない」と指摘する。「見えないものの重要さ、素晴らしさに気づけたら、モノの本質及び人の本質が少しずつ理解できるようになる」とし、「見ることができない現実を、より正確に見るためには、探検し、違いに触れ、より多くの多様な視点を養うべき」と述べている。それにより多様な視点で見たものごとの「部分と部分は補い合い、全体を描写」していくとしている。
このBossB氏の「視点」と「補い合い」に着目し、「超越」を相反する要素も含めて多様なものがそれぞれを補完し合いながらも、どの要素にも分類されない、輪郭のない不明瞭なものと仮定する。そのうえで、本稿では「超越」を「なにものでもない」つまりは「ニュートラル(中立)」であると定義する。さらに「ニュートラル(中立)」には、不明瞭な要素をつなげ補完を促し、バランスをとる重心的な要素「コア(芯)」でつながっているとイメージする。つまり「超越」は相反する要素をも含めた多様な要素の補完性を担保しながら、複層的につながりバランスを保っている状態と考える。
以上を踏まえ、「超越」の観点からウェルビーイングの概念を捉えると、単眼的に要素を固定せず、複眼・複層的に要素を捉え補完性を見いだせばその解像度は上がり、本質をつかもうとすればするほど、無限に可能性が広がるものといえるのかもしれない。
このことは第2節で触れた、情報ではない「質」、「目的には還元できない新たな意味や価値」、そして定量的幸福ではない「自由」にも通ずる概念であるといえる。
5. 今後の課題~成長ニーズをどう支えるか~
以上、本稿はウェルビーイングの概念について、先行研究を参考に図式化するなど実態の把握を試みた。その結果、ウェルビーイングとは成長ニーズの探求・充足を通して最適解を更新していくこと、つまりはさまざまな要素を複眼・複層的に捉え、補完性を促し、情報ではない「質」、「目的には還元できない新たな意味や価値」、そして定量的幸福ではない「自由」へと変換させていくことではないかといった一定の方向性を示せた。
しかし前編では、最適解の更新のカギとなる「複眼・複層的/補完性の担保」の具体的な検討までには至らなかった。そこで後編では、事例などとともにそれを考察してみたい。
(注1)公益社団法人 日本WHO協会 世界保健機関(WHO)憲章とは
「https://www.japan-who.or.jp/about/who-what/charter/
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.」
(注2)経済協力開発機構(OECD)より良い暮らし指標(Better Life Index: BLI)について
https://www.oecd.org/tokyo/statistics/aboutbli.htm
(注3)内閣府 経済財政運営と改革の基本方針におけるWell-beingの記載
https://www5.cao.go.jp/keizai2/wellbeing/action/20230726/shiryou2.pdf
(注4)科学と資本主義の未来 広井良典著 東洋経済新報社 2023年4月
本項の内容は本書を参考とし、表記箇所を筆者にて抜粋・引用のうえ、編集
(注5)人工知能のための哲学塾 未来社会編 三宅陽一郎 大山匠著 株式会社ビー・エヌ・エヌ新社 2020年7月
本項の内容は本書を参考とし、表記箇所を筆者にて抜粋・引用のうえ、編集
(注6)脚注5に同じ
(注7)科学と資本主義の未来 広井良典著 東洋経済新報社 2023年4月 P.37 L.7~L.12を筆者にて抜粋・引用のうえ、編集
(注8)一般社団法人日本ポジティブ心理学協会(国際ポジティブ心理学会(IPPA)日本支部)
https://www.jppanetwork.org/ 本項の内容は本HPを参考とし、表記箇所を筆者にて抜粋・引用のうえ、編集
(注9)simplypsychology https://www.simplypsychology.org/maslow.html
Maslow’s Hierarchy Of Needs By Saul Mcleod, PhD Reviewed by Olivia Guy Evans Updated on May 10, 2023
(注10)欠乏/成長の両ニーズが言及されるとは、生命や身体に関する要素(マズローのモチベーションモデル:1.Biological and physiological needs 2.Safety needs、SPIREモデル:Physical Well-Being)が分類・明記されているものとした。
(注11)株式会社YeeY https://yeey.co/wellbeing_pj_onenessfoundation
ワンネス財団 https://oneness-g.com/well/
ハーバードの人生を変える授業 タル・ベン・シャハー著 成瀬まゆみ訳 大和書房 2010年11月
(注12)ウェルビーイング 前野隆司 前野マドカ著 日経BP日本経済新聞出版本部 2022年3月
Well-Being~幸福の4因子~ 前野 隆司 TEDxShintomi YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5Uo5_-kq4j0
(注13)Flourish ポジティブ心理学の挑戦 幸福から持続的幸福へ マーティン・セリグマン著 宇野カオリ監訳 ディスカヴァー・トゥエンティワン 2014年10月
(注14)わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために 渡邊淳司 ドミニク・チェン監修・編著BNN新社 2020年3月
(注15)マーティン・セリグマンの「PERMA理論」:「Engagement(没頭・没入)」と「Relationship(人間関係)」、前野隆司/前野マドカの「幸せの4つの因子」:「ありがとう因子(つながりと感謝の因子)」と「ありのままに(あなたらしく)因子(独立とマイペースの因子)」に類似しているものと考える。
(注16)欠乏ニーズ、特に(1.Biological and physiological needs 2.Safety needs)は人間の尊厳や生命維持などの根幹と理解したうえで本稿ではあえて言及しない。
(注17)〈フレームワーク参考〉
一番大切なのに誰も教えてくれないメンタルマネジメント大全 ジュリー・スミス著 野中香方子訳 河出書房新社 2023年2月 P.313 図13 P.354「価値観の星」
ポジティブ心理学入門 クリストファー・ピーターソン著 宇野カオリ訳 春秋社 2012年7月 P.187 図7.1. 「価値観の間におけるトレードオフ」
四半期ごとの日本全体&都道府県別GDW~Well-being(生活の豊かさ)実感について~一般社団法人ウェルビーイング学会 副代表理事 鈴木 寛(東大・慶應)「ウェルビーイング(生活の豊かさ)実感の測定方法」
https://society-of-wellbeing.jp/wp/wp-content/uploads/2022/12/221208_presentation.pdf
〈構成要素参考〉
上記資料9,11~14
(注18)宇宙思考 天文物理学者BossB著 かんき出版 2023年2月 本項の内容は本書を参考とし、表記箇所を筆者にて抜粋・引用のうえ、編集