『日経研月報』特集より
DBJライフサイエンスセミナー
コロナ禍で顕在化した日本の医薬品・医療機器開発の課題~VB及びVCを中心とするライフサイエンス・エコシステムの重要性~
2022年5月号
(本稿は2022年2月15日にオンラインにて開催された「DBJライフサイエンスセミナー」の第三部パネルディスカッションを取りまとめたものである。)
コロナ禍では、新たな医薬品や医療機器の開発に対して社会的注目が集まるなか、日本の開発速度の見劣りが顕在化しました。その原因の一つに、医薬品・医療機器開発の鍵を握る「オープンイノベーション型のライフサイエンス・エコシステム」の成熟度の低さがあります。今般、欧米と日本を股にかけて活躍するライフサイエンス系ベンチャーキャピタルの方々をお招きし、ライフサイエンス・エコシステムの本質や潮流について学ぶとともに、日本での発展につき議論するセミナーを開催しました。
第一部、第二部ではライフサイエンス・エコシステムに関する基本的な考え方(注1)を説明するとともに、日本発の実績作りに尽力をされているお三方から話を伺っています。
大下氏はMedVenture Partnersで医療機器分野におけるインキュベーション機能の不足を埋めるために投資活動を行ってきました。日本から成功モデルを生み出すことを通じて「ベンチャーを中心としたエコシステム」を作ることを企図しており、近時は(株)Biomedical Solutions(以下、BSI)への投資なども担ってきました。同社は大塚ホールディングスグループ傘下へM&Aでエグジットをしましたが、IPOだけでない出口環境作りも大きなテーマです。
高橋氏はバイオ分野で投資活動を実施しています。米国との比較でいうと日本では自社以外のリソースを開発に活用するエクスターナルR&Dへの機運が低いと認識しており、Catalys Pacificにおいてその点を構造的に変えるべく活動しています。経験豊富な米国のメンバーなどとチームを組み、日本発で世界に通用するベンチャーを創るための取組みで、Phathom PharmaceuticalsやAculys Pharma(以下、アキュリス)という会社を生み出してきました。
鈴木氏はNewton Biocapital においてベルギー在住メンバーなどとチームを組み、欧州及び日本にてバイオ、医療機器の投資を行うファンドに関わっていますが、その取組みとともにベルギーに存在するエコシステムやVIB、Welbio(注2)など大学横断的な研究機関についてお話いただきました。
第三部パネルディスカッションでは、日本の枠組みに留まらず、特徴的な取組みを行っているお三方に日本の現状とそのポテンシャルにつき語っていただき、本稿ではそのパネルディスカッションの抄録をお届けします。
1. 開発シーズ
-近時、日本人ノーベル賞受賞者の方々からも日本の研究レベル低下について警鐘が鳴らされていますが、現場で案件開拓をされている皆さんから見て、日本の研究現場における開発シーズのポテンシャルをどう考えていますか?
高橋:日本には創薬シーズとしてはイノベーティブなものがまだまだあるのですが、その開発計画に関する戦略に工夫の余地があるように感じます。あるイノベーティブなシーズが存在するとして、そのメカニズムでどの疾病にアタックするのか。対象とする疾病分野を見極めて、戦略的に開発計画を練り込む。目指す疾患領域においてどの様な既存薬と開発中のパイプラインが存在するのかを把握し、これから開発するシーズの差別化要因を示すことのできる開発戦略が描けていなければ、意味のある形で患者の方々に新薬を届けることが難しいという問題があります。
-とはいえ、日本企業もその点に自負をもって対応しているとは思うのですが、「こういう観点が不足している」というポイントはありますか。
高橋:世界で最も大きな市場は米国なので、その米国でどう開発をしていくか、という観点を有することが価値を高めるためには重要です。米国にその分野でどのような薬剤があり、治療プロトコルがあるか。米国の現場を知る開発者や臨床医の目線が必要になります。その専門性を日本企業が欧米企業と同じレベルで持つことができるかが問われています。
-医療機器分野ではどうでしょうか?
大下:医薬品と違って医療機器の場合はニーズから製品が生まれます。バイオデザインプログラム(注3)はまさにそのスタンスを突き詰めたものです。最終的に開発すべき製品を一つに絞り込みますが、その過程に時間と労力を割いていきます。日本でも研究室で開発されている技術と医師のニーズがマッチするポテンシャルは十分にあるのですが、医師側の関心度がそこまで高くないのも実状です。これは成功事例が少ないことも影響しているでしょう。
-方法論が共有されれば変わってくるでしょうか?
大下:そうした期待は当然あります。ただし現時点で海外企業にとって日本のベンチャーは買収対象としてのスコープに入っていないでしょう。そこがバイオ分野とは異なるところです。海外からの目線を集めるためには、まず日本でしっかりとした成功を示していく必要があります。その結果、日本の現場に日本発の製品としてこうしたベンチャーが存在するということを認識してもらえるのではないでしょうか。
-欧州から見た日本の魅力はどうでしょうか? また、VIBのような横断的な組織が日本でもできないだろうか?、という質問も来ています。
鈴木:ノーベル賞受賞者の方々の憂いはまさに警鐘として存在しますが、論文引用数、パテント数、ライセンス状況などをみても私自身は日本のライフサイエンスの価値が低下しているとは考えていません。ただし、そのポテンシャルを使いきれていない、という思いはあります。先程の高橋さんの話にもありましたが、最適な適応症を選ぶなど戦略面をブラッシュアップしない限り、欧州市場から見ても魅力のない製品に留まってしまう可能性があります。
またVIBのような取組みは素晴らしいのですが、日本に馴染まない部分もあります。それは横断的な組織を作ること自体の難しさがあると思うのです。TTO(技術移転オフィス)を統一することなどはやはり容易ではありません。たとえばVIBでも25年かかってきました。ただし、Welbioなどの事例にもあるように「ワンストップ」で支援を行う組織の必要性はあります。
2. ベンチャーにおける人材
-次は人材についてです。日本のライフサイエンス・ベンチャーによい人材を呼び込むための方策はあるでしょうか?
高橋:上手くいったベンチャーが少ないことから足を踏み入れるのに躊躇する部分はあるでしょう。一方で、最近はベンチャーキャピタルに集まる資金も増え、大きな資金を調達できるベンチャー企業も徐々に増えており、給与水準も上昇傾向であると聞いています。その意味では日本でもチャレンジがしやすくなってきています。近時、アキュリスの動きが幾つかのメディアで取り上げられた結果、ベンチャーへの転職に関する問い合わせを受ける件数が増えてきました。よい事例が出てくると、実は「ベンチャーにチャレンジしたい人材が多い」ということに気づかされます。
-大下さんは現在のファンド運営会社を開始して以降の8年間でも変化を見てきたと思いますが、いかがでしょうか?
大下:結論はいつも同じになるのですが、やはり「どれだけ成功事例が出せるか」ということです。医療機器分野ではグローバルな意味での成功事例が過去に1件もなかったことを考えると、大手企業にいることのベネフィットは高く、ベンチャーに移ることはリスクでしかない、といわざるをえません。しかし、現場を見ていると近時は大手からベンチャーに行きたいという人も増えています。
2000年代に米国でベンチャーキャピタリストとして投資をしてきましたが、そこではベンチャーで働かないと損だという考え方があり、優秀な人はベンチャーに行く流れができています。街のなかにそうした成功者が多々いることはやはり大きな話です。
日本のバイオデザインプログラムでも、いざ起業という話になると創業候補者もなかなか勇気をもって辞めることが難しくなります。そうしたなかで、医師のようにセーフティネットがある層が最初に出てきています。その後は企業から、という流れになるでしょう。そのような形で動きは生じています。
-欧州ではどういう人材がベンチャー企業に入っているでしょうか?
鈴木:二種類の人材がいると感じています。一つ目は、自身のアカデミアでの成果を社会実装することに野心を持っている層。そして、もう一つは製薬メーカーを経験して、外に出るという層で、この二つ目は日本でも似た部分があります。
一つ問題となるのは、日本ではエグジットがIPOに限られ、M&Aが少ないという点です。M&A案件でのエグジットが出てくると人材の環流が起こってきます。ベンチャーにおける人材層を厚くするためにもエグジットの改善が必要です。
3. 投資資金の過不足
-ライフサイエンス分野におけるベンチャーキャピタル向け投資は足りているか、という問いがあります。
高橋:創薬ベンチャーについては全く足りていないというのが正直な気持ちです。シリーズAで20~30億円の資金調達ができることがグローバル水準ですが、そうした事例は日本では片手に留まる程度です。創薬ベンチャーが自社の化合物を次の治験ステージにもっていくための資金が不足している場合、「限られた資金でやれることは何か」という発想になります。その結果として、治験を通じて揃えた各種データがグローバルファーマの観点から見ると不十分という状況となる場合、当該創薬シーズを取り込む意義が明確ではなく、M&Aも起こらないわけです。
大下:医療機器分野は違うように感じます。そこまで開発に金額が必要なものがなく、実際に臨床で使用する開発を行う場合も桁がもう少し小さくても問題がない。そこまで資金が足りていないという印象はありません。それよりも危惧することは、資金が増えて、適切でない企業の開発に充当されることです。失敗事例が増えすぎるくらいであれば、逆に資金はそこまでない方がよい。「量ではなく、質が重要」というのが自分の考え方です。資金だけでなく、その後のサポート及び事業計画のブラッシュアップが重要であり、それらが無いまま過剰に企業価値だけが開発途中で上がることも起きていますが、そうならないようにすることが重要です。
鈴木:自分はバイオという観点では高橋さんの意見に賛成で、フェーズ2a(治験の段階の名称で、第II相試験(注4)の前期)以降の資金が幾何級数的に増えていきますが、その段階への資金が足りていない。こうした段階に対する投資家が限られているため、その代わりになるような存在が出てこないとどうしてもこの議論は袋小路に入ってしまいます。
4. まとめ
-視聴者の方から「地域エコシステムの成功例の輸入ではなく、グローバルなエコシステムのなかで日本の役割を果たしていく方がいいのでは?」というご意見がきています。議論のまとめとして皆さんはこの意見についてどう思われますか?
高橋:大事なポイントだと思います。日本のエコシステムをどう作るのかという発想ではなく、既にグローバルにエコシステムは存在しているので、それを自分達がどう利用できるかという発想で捉えるべきだと考えています。グローバルのエコシステムをどう利用するか。そこは各人が自問いただきつつ、自分の抱える課題解決手段をエコシステムに求めるという観点で考えると面白いのではないでしょうか。
大下:質問者の方の仰せの通りで、既にエコシステムは存在しており、そこに日本が入れるようになることが理想です。将来そこを目指すためには、まず世界から認めてもらうのが第一歩。創薬が先を進んでいると感じていますが、医療機器もそれに次ぐ形となり、両方が加わっていくことが望ましいのですが、医療機器分野についてはもう少し時間がかかるかもしれないと思っています。
鈴木:日本という市場をどう考えるか、という必要もあります。日本の市場を念頭におきながら、日本から生まれたよい製品に欧米のベンチャーキャピタルが支援する、というような枠組みがあってもよいかと思います。
さまざまな課題を抱えつつも日本のライフサイエンス・エコシステムは少しずつ意味のある形を有してきています。「グローバル目線でのルール」を理解する人材が増え、かつ、実際に起業に挑む人材も医師をはじめ増加してきました。しかしながら、バイオ分野での資金や世界にも通用する明確な成功事例がまだ不足しています。重要なことは、こうした動きを視野に入れ、その過不足を議論しつつ、その不足を埋めるための実践を行うことでしょう。それが、最後の問いにあったように「日本をグローバルなエコシステムのなかに位置づける」ための動きとなるはずです。そのための活動を今後も続けていく必要があります。
(注1)詳細は日経研月報2021年9月号・10月号掲載「ライフサイエンスのエコシステム形成に何が必要か?(その1・2)」参照。https://www.jeri.or.jp/data/pdf/feature_2021_09_03.pdf
https://www.jeri.or.jp/data/pdf/feature_2021_09_06.pdf
(注2)同じくライフサイエンスにおける画期的な戦略的基礎研究に明確な焦点を当てた非営利研究機関で、VIBはベルギー・フランダー地域、Welbioはベルギー・ワロニア地域に所在
(注3)2001年にスタンフォード大学のポール・ヨック博士らが、デザイン思考をもとにした医療機器イノベーションを牽引する人材育成プログラムとして開始。2015年より大阪大学、東北大学、東京大学による「ジャパン・バイオデザインプログラム」も開講。
(注4)適切な疾病状態にある限られた数の患者において、治験薬の有効性と安全性とを検討し、適応疾患や、用法・用量の妥当性など、第III相試験に進むための情報を収集することを目的とする試験