『日経研月報』特集より
コーポレートガバナンスを巡るグローバルな潮流~『企業のアーキテクチャー』から見る~
2022年9月号
1. 始めに
本稿の目的は、日本のコーポレートガバナンス改革を、グローバルな文脈の中に位置付け、財務的なパフォーマンスとサステナビリティに関する企業の取組みを促す複合的な政策と、それらに関するリテラシーの浸透の重要性を述べることにある。
「コーポレートガバナンス」という概念が日本で知られるようになったのは、1990年代後半のことである。日本政府が2013年の日本再興戦略に掲げたコーポレートガバナンス改革と、それを受けて東京証券取引所が2015年に導入したコーポレートガバナンス・コードによって、この言葉が浸透した。しかし、そのコードも2018年と2021年に改訂されているように、これ自体に完成形はなく、将来に向けて発展を続ける性質のものである。
本稿では、今年5月に上梓した『企業のアーキテクチャー:コーポレートガバナンス改革のゆくえ』(東京大学出版会)の背景にある、コーポレートガバナンスを巡るグローバルな潮流を中心として、日本の姿を考えるうえでの若干の手がかりを提供したい。
2. 財務的なパフォーマンスとサステナビリティのパフォーマンス
コーポレートガバナンスの源流は、英国政府の委嘱により財界人が作成した報告書に遡るが、この契機は、英国の大企業(マクスウェル)や銀行(BCCI)の不祥事や破綻であった。不祥事や破綻は、端的には株主の損失に結び付くが、株主以外のステークホルダーにも少なからぬ影響を及ぼす。そうした源流から派生して、現代のコーポレートガバナンスは、不祥事の防止を超えて、財務的なパフォーマンスの向上、ジェンダー平等、そして気候変動への対応まで視野に入れた多様なものとなった。これらの観点は、企業や社会の構造が急速に複雑化するなかで、現代が抱える課題を映す鏡であるといえる。
しかし、決算や株価で測定される財務的なパフォーマンスと、社会的な課題の解決に資するサステナビリティのパフォーマンスの間に緊張関係があることは無視できない。
企業が、グローバルな官民連携を含めて、社会課題の解決に貢献する姿が、近時注目を集めるようになった。例えば、コカ・コーラが、政府や非営利組織と連携し、アフリカに張り巡らされた自社の物流網や冷蔵による保管技術を、医薬品やワクチンの物流に提供するといった事例がみられる(Edmans, 2020)。主力の製品は、化石燃料由来のプラスチックの廃棄や肥満など、別の社会問題を生んでいるかもしれないが、確かにこうした取組みは、医療水準の向上や貧困の削減に資する。そして、企業が既に持つ自らの能力を提供することは、それを持たない政府が立ち上げることと比較して効果的である。
また、多様な機関投資家による、株主としての行動もみられるようになった。2021年に、米国のエクソン・モービルは、気候変動への対応の遅れを問題視したアクティビスト・ファンドのエンジンNo.1と、それに賛同した公的年金や大手機関投資家の意向を背景として、株主総会に自らが提案した取締役選任議案の一部を否決される一方、ファンドが提案した取締役3名の選任を可決される帰結を招いた。わずか0.02%の議決権しか有さない新興ファンドが、世界最大の石油会社の取締役会の構成を変化させたことは、大きな驚きを持って迎えられると共に、機関投資家の有する議決権の影響力を広く認識させることになった。
一方で、経営者の注意が財務的なパフォーマンスの追求から逸れたり、「社会的貢献」という言葉がその低迷の言い訳に用いられたりすることに対する警戒も根強い。ノーベル経済学賞受賞者であるミルトン・フリードマンは、1970年に雑誌『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』に寄稿した一篇の記事において、経営者の役割は社会的な政策を担うことではなく、財務的なパフォーマンスの向上にあることを鋭く指摘し(Friedman, 1970)、それが象徴的な意味を持って語られる。
例えば、フランスの食品企業であるダノンの会長兼CEOであったエマニュエル・ファベール氏は、食品業界におけるサステナビリティを重視する経営で知られた。ダノンは、ステークホルダーへの配慮を明示するフランスの企業形態である、ソシエテ・ア・ミッション(société à mission)への転換の第1号ともなった。これは、米国デラウェア州などが、ステークホルダーへの配慮を明示する企業形態の選択肢として、株式会社法制の枠組みの下で追加した、パブリック・ベネフィット・コーポレーション(public benefit corporation, PBC)を参考に、フランスのマクロン政権が2019年に導入したものである。しかし、2021年には、米国のアーティザン・パートナーズなど、アクティビストに近い色彩を有する機関投資家が、ネスレなどの競合企業と比較した財務的なパフォーマンスの低迷を批判し、これを契機とした取締役会の決議に基づき、ファベール氏は退任を余儀なくされた。ここには、サステナビリティへの配慮は、財務的なパフォーマンスの停滞の言い訳にならないという厳格な規律が存在する。
財務的なパフォーマンスを中心に置く米国も、サステナビリティに無関心という訳ではない。むしろ、気候変動に関するリスクは、長期的な投資における財務的なシステミック・リスク(個別企業でなく、その基盤である金融システムそのものを揺るがすリスク)であるという理解がある(CFTC, 2020)。2008年にグローバルな金融危機を引き起こし、未だに金融システムの膨張に内在する不安定性を危惧する米国は、そのリスクに敏感である。2022年に、バイデン政権の下で、証券取引委員会(SEC)は気候変動に関する新たな開示基準案を公表し、党派的な対立を孕みつつ活発な議論が進められている。また、このような政府の動きとは別に多様な活動が進むのも、米国の持つ多様性の表れである。非営利組織による自発的な取組みから始まったサステナビリティ会計基準審議会(SASB)は、後述の国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)に統合され、結果として米国の関与が明確になっている。財務的なパフォーマンスへの徹底した執着が、サステナビリティへの関心の根底にあるようにみえる。
3. 日本企業の現在地
日本企業については、各国と比較した財務的なパフォーマンスの物足りなさが、コーポレートガバナンス改革の一つの契機になっている。日本のコーポレートガバナンスは「攻め」と「守り」の両面といわれるが、その「攻め」とは、端的に言えば、各国に比肩し得る株式時価総額の成長の追求である。社会的な価値を引き続き尊重するという意味で、フリードマンの見方とは異なるが、財務的なパフォーマンスがもたらす規律を重視するという点では共通する。各国におけるフリードマンの擁護と批判は、財務的なパフォーマンスから注意が逸れることに対する警戒と、まさにそれがゆえに起こる社会的な課題の深刻化に対する懸念とのせめぎ合いの中で生まれているといえる。
コーポレートガバナンスにおける一つの重要なメカニズムは、株主総会における議決権行使である。これは、外部からの大規模な資本調達を可能にする株式会社のアーキテクチャー(仕組み)に当然に内在する特徴であり、資本の供給主体である株主に適切な保護を与え、市場への参加を促すものである。現代ポートフォリオ理論に基づく分散投資の拡大の下、議決権行使の対象企業が多様化すると共に、そのための評価は複雑化し、議決権行使助言が民間事業として成立している。この内、米国のインスティテューショナル・シェアホルダー・サービシーズ(ISS)は、感染症流行下では一時的に停止しているが、資本効率の指標として、株主資本利益率(ROE)が5%を継続的に下回る企業の取締役選任議案に反対する方針を有している。しかし、この方針は各国で共通している訳ではなく、資本効率の低迷に直面する日本市場に固有のものである。また、ROE自体は間接的な指標に過ぎず、重要なのは株式時価総額の成長である。
日本企業が、相対的に低い財務的なパフォーマンスに甘んじる一方で、社会的な課題の解決をリードしてきたかといえば、残念ながら、必ずしもそうとはいえない。その代表例は、取締役会における女性の比率である。前述のISSは、2022年の方針において、女性の比率として、英国では33%、欧州大陸では30%を求める一方で、米国と日本では1名のみを求めることで、先進的な地域とその他の地域の間で、基準に差異を設けている(ISS, 2022)。ISSの競合企業である米国のグラス・ルイスはさらに高い水準でのジェンダー平等を求め、フランスでは40%、英国では33%、ドイツでは30%とする一方で、米国では2名、日本では1名としている(Glass Lewis, 2022)。政策面でも、女性活躍推進法(女性の職業生活における活躍の推進に関する法律)の成立は2015年と、企業のあり方に焦点が当てられた一連のコーポレートガバナンス改革と同時期のことであり、それに日本企業が先んじてきたとはいえない。
もう一つの事例は、企業が与える環境負荷に関する対応と開示である。1960年代から70年代のいわゆる四大公害訴訟の反省とその後の普及活動を背景として、製造業を中心として、日本企業の環境問題に関する洗練度は高い。企業にとっての重要な課題は透明性であるが、環境負荷に関する一つの主流の基準となり、コーポレートガバナンス・コードの2021年の改訂においても盛り込まれた気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)の提言への賛同企業数では、日本は世界トップの地位にある(TCFD, 2021)。しかし、2011年の福島原発事故とその後の石炭火力発電への依存や、財務的なパフォーマンスとのトレードオフに直面して、思うに任せないが如く、その資格があったはずの、グローバルなサステナビリティの基準策定の主導権を手放したかのようにみえる。
サステナビリティのパフォーマンスを測定し、開示する枠組みとして、国際会計基準と同様、欧州を中心として、2021年にISSBが設立され、翌年には米国のSASBを統括する組織(VRF)とも統合された。開示の比較可能性を高め、作成に際しての恣意性を排除することは、企業の広告宣伝と区別するうえで重要である。同じ業種に属する企業間であっても、サステナビリティのパフォーマンスには大きな差異があり、重要なものは財務的なパフォーマンスの差異にも表れることが知られている(Kahn et al., 2016)。サステナビリティのパフォーマンスの差異を目に見える形にすることは、業種内の比較を容易にし、収斂を促すうえでも重要である。ISSBの初代トップに就任したのは、前述のダノンを去ったエマニュエル・ファベール氏である。
ここには、米国で象徴的な財務的なパフォーマンスへの執着と、欧州で象徴的なサステナビリティのパフォーマンスへの強い意思が、価値観として強い形で対立する姿として現れ、そしてそれぞれが影響力を及ぼしている。そのうねりの中で、日本は、いずれの面でも中途半端な形に終始し、その背景には熱気を失ったガバナンスの真空地帯があるようにみえる。
4. 真空を埋める新たな力の創出へ
このようななかで、長期的な視座に立って何らかの希望を見出すとするならば、その鍵は、その真空を埋める、多様な存在に目を向けるシフトにあるように思う。それは、企業が伝統的にメインバンクや、株式の相互保有先を中心に向けてきた注意とは少し性質が異なるものである。日本では、戦後の貯蓄奨励政策や郵便貯金制度によって、金融教育といえば預金の奨励が中心であった。米国と異なり、子に定期預金を勧めた親は多くても、長期的な株式投資を勧めた親は少なかっただろう。その代わりに、戦後の資本自由化と企業法制の下での敵対的買収の脅威を一つの背景として、メインバンクや親密企業が、相互保有を通じて安定株主となった。しかし、多様な企業の創出と成長を促し、株式の価値を高めるためには、裾野の広い、株式への長期的な分散投資の浸透が重要である。実際、貯蓄から投資へのシフトは静かに進んでいる。銀行自体も、持株会社の解禁と共に、むしろ若い世代を含む資産運用や証券業務に注力し、メインバンクとして蓄積してきた顧客情報の共有が、市場の競争条件を決定するうえでの重要な論点となっている(金融審議会,2021)。
このような新しい経路においては、企業に対する投資判断や議決権行使のための評価を通じて、メインバンク制度とは違った形での情報生産が行われ、ガバナンスの真空が埋められる。例えば、公的年金の年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)による上場株式投資において、ESGインデックスの選定を通じたサステナビリティの重視が、既に企業のプラクティスに影響を及ぼしている。その原資は言うまでもなく、個々には少額であるが、集約すれば約200兆円となる年金の積立金である。このような、伝統的な銀行とは異なった経路に正面から向き合うことが、ますます重要になっている。
さらに米国においては、ベンチャーキャピタルやプライベートエクイティ・ファンドによる投資とその後の関与の質が、経営に重要な役割を果たしているが、その米国においても、国民一人ひとりから少額の資金を集約し、長期的に企業に投じることが、当たり前に行われてきた訳ではない。個々人の長期投資を促す税制上の優遇政策、手数料の低位な投資信託を開発したバンガードなどの資産運用会社の市場参入、年金によるベンチャーキャピタルやプライベートエクイティ・ファンドへの長期的な投資を可能にする受託者責任の再定義、そしてそれらを受けた人材の流入などの組み合わせによって、初めて実現されたものである。
ただし、投資さえ拡大すれば企業の成長やイノベーションが実現されるというものではなく、欠かせないのは政府による研究開発投資である。政府の資金の原資は、現役世代からの税金や、将来世代からの借金である。個々の納税額は小さいかもしれないが、政府を介して、それは巨額の資金となる。世界最大の株式時価総額を誇る米国市場では、大手のテクノロジー企業の成長がそれを牽引しているが、その重要な起源は、政府による基礎研究投資の成果としてのインターネット技術の発明である。事業機会を発見し、それを株式市場における価値に結び付ける経営手腕には巧拙があるが、政府による長期的な研究開発投資も同様である。その際、日本を含む他国もインターネット技術の恩恵を受けているように、技術のスピルオーバーは、ある意味での利他性を伴い、それが利己として跳ね返ってくる姿となっている。ワクチンの研究開発と供給も同様である。安全保障上の観点から、グローバルな連携の選択肢は以前より狭まっているようにみえるが、研究開発と技術水準の向上には広い外部性、言わば相互的な利他性が伴う。
資金を集約し、投資することは、企業の成長の必要条件であるが、このような資金には、保護された預金とは異なり、常に発言力が伴っている点が重要である。投資信託にせよ、年金にせよ、細分化すれば、投資の原資は個々人の少額資産である。日本の自動車や電機産業が厳しい消費者の目によって鍛えられたように、そのような広い裾野があって初めて、洗練された多様な機関投資家が生まれる。発言力の具体的な一つの経路は議決権行使であるが、議決権行使助言会社の活動は、分散した投資家に検討の契機を与え、間接的に、その細分化された声を集約する作用を及ぼしている。そのような声は、ダノンが経験したように、財務的なパフォーマンスを求めるものかもしれないし、逆に、エクソン・モービルが経験したように、気候変動への対応を迫るものかもしれない。両方の方向から企業に規律をもたらす力となり、資本効率の向上や社会的な課題解決の原動力になる。そして、そのような多様な投資家の継続的な流入は、長期的に株価を引き上げる要素となり、対応する企業内部にも、一層の多様性を必要とする。財務的なパフォーマンスの追求にせよ、サステナビリティの重視にせよ、その根源にあるのは、適切な開示に基づく、投資家の意思の過不足ない表現と、それを精細に聞く企業の力である。そのような資金と知識のやり取りを媒介するものは、分散投資の知識に止まらない、共通言語としての財務とサステナビリティに関するリテラシーと、10年前には普及していなかった数々のテクノロジーである。
5. 結 論
コーポレートガバナンスの姿は、企業の方向性に間違いなく影響を与えるが、その一つの原動力は、当たり前に預金をするように企業に投資を行う、投資家の裾野の拡大と、それに支えられた多様な機関投資家の洗練である。このような広がりは、海外と地続きになっている。そのためには、財務とサステナビリティのリテラシーの浸透、長期的な投資を促す複合的な政策、そしてこのつながる世界におけるグローバルな連携が必要である。インターネット技術の発明に触発されたグローバル化は、各国が相互に影響を与え合う緊密な世界を生み出した。次世代に誇りを持って振り返ってもらえることを願って、現代のコーポレートガバナンスの姿を考えたいものである。
謝 辞
拙著に過分な序文をお寄せいただいた神田秀樹東京大学名誉教授に、この場を借りて改めて深く感謝申し上げたい。本稿はJSPS科研費(JP21K01640)の助成を受けている。
参考文献
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