「スポーツが照らす地域学」第12回(最終回)
スポーツ分野における日本政策投資銀行の取組み
2022年3月号
日本政策投資銀行において「スポーツ」に初めて着目したのは、2012年12月のことであった。
当時、製造拠点の海外移転等に伴う工場の閉鎖・遊休化といった課題が日本の各地で浮かび上がっていた。また、郊外エリアでの大型ショッピングモールの開業のあおりを受けて、中心市街地に立地する多くの商店街ではコンビニエンスストア以外の最寄品や買回り品を扱う店舗が軒並み閉店し、コンビニエンスストアのほかには飲食店や居酒屋くらいしか営業している店舗が残っていない状況となった。
このような状況下、筆者は、欧州ではサッカースタジアムがまちなかに立地され中心市街地の賑わい創出に貢献していること、また米国では、スタジアムやアリーナがダウンタウン再生のアイコンのひとつとして立地されていて、さらに周辺部の不動産再開発により市街地の不動産価値の向上にも寄与していることを知った。
そこで、日本においてもスタジアムやアリーナ等に代表されるスポーツ施設が交流人口や関係人口を創出する拠点として成り立ち得るのではないかと考え、当時からわが国のスポーツによるまちづくりの大家であった早稲田大学スポーツ科学学術院の間野義之教授の指導のもと、スポーツリーグの有識者等を委員に迎え入れた研究会を2012年12月に立ち上げた。今日まで当行が注力しているスポーツを活かしたまちづくりのコンセプトワードである「スマート・ベニュー」を冠した「スマート・ベニュー研究会」である。
スマート・ベニューとは、「賢い活動場所」といった意味を込めて間野教授と当行にて命名した造語であり、「周辺のエリアマネジメントを含む、複合的な機能を組み合わせたサステナブルな交流施設」と定義付けた。地域の交流拠点となり得る賢い活動場所には、周辺地域のさまざまなステークホルダーを巻き込み連携を図ることが必要であると考えたからである。
スポーツ施設は郊外に多く立地され、周辺住民が安い貸館料金で運動をする場所としての機能しかなく、地域のコミュニティ拠点としての交流空間の機能が発揮できているとは言い難い状況だが、スマート・ベニューのコンセプトによりスタジアム・アリーナ等のスポーツ施設をまちなかに整備することで、地域への消費効果といった「経済的価値の創出」と地域のコミュニティや防災拠点といった「機能的価値の創出」の両面の効果が発揮される。
なお、スマート・ベニュー研究会では、これまで一貫してスタジアム・アリーナ等のスポーツ施設だけを対象として調査研究を進めてきたが、決してこれらのみが対象ということではなく、例えば、エンターテインメント施設やMICE施設といったさまざまな交流施設にも当てはめることのできる概念である。
前記のようなコンセプトをスマート・ベニュー研究会の成果として、レポート「スポーツを核とした街づくりを担う「スマート・ベニュー」」を2013年8月に公表した。この報告書は、スポーツ施設を街づくりの拠点に活かしたいと考える設計会社や建設会社の方々等から好評を得た。その後、スポーツ庁が2015年10月に発足し、翌年2016年の政府の成長戦略「日本再興戦略2016」において「スポーツの成長産業化」が掲げられ、その具体施策のひとつである「スタジアム・アリーナ改革」におけるコンセプトとしてスマート・ベニューが記載されたことが、当該レポートの認知度向上に大きく寄与した。「スポーツの成長産業化」や「スタジアム・アリーナ改革」は、政府の成長戦略において2016年以降、毎年記載されている。現在、日本各地で構想計画されているスタジアムやアリーナがスマート・ベニューのコンセプトを採り入れながら多様なステークホルダーを巻き込み、地域の交流空間としての役割を担うことを期待したい。
当レポートを公表して以降、設計・建設会社から始まり、デベロッパー、商社、金融機関、スポーツコンテンツホルダー等との情報交換の機会を得られ、さらに、スポーツ庁のスタジアム・アリーナ改革指針策定検討委員や全国各地のスタジアムやアリーナ構想検討委員会に委員として参画することができた。こういった活動を通じてスタジアム・アリーナ等のスポーツ施設の事業スキームや整備プロセスへの知見を蓄えることができたことから、これらのノウハウを世の中に還元するべく、2020年5月にスタジアム・アリーナ構想を実現するプロセスとポイントを取りまとめた書籍「スマート・ベニューハンドブック~スタジアム・アリーナ構想を実現するプロセスとポイント~」を刊行するに至ったのである。
「スマート・ベニュー」の次に当行のスポーツ分野で取組みを始めた調査研究テーマが、日本のスポーツ産業の経済規模の推計である。
2013年9月の2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会招致決定や2015年10月のスポーツ庁発足等を契機に、当時の日本ではスポーツ産業やスポーツビジネスに注目が集まっていた。ただ、スポーツ産業はその定義と範囲設定が難しい産業である。
そもそも「スポーツ」という用語自体の定義が明確ではない。広辞苑によれば、「スポーツ」とは、「陸上競技・野球・テニス・水泳・ボートレースなどから登山・狩猟などにいたるまで、遊戯・競争・肉体的鍛錬の要素を含む身体運動の総称」となっており、広辞苑の用語説明からしても明確な定義と対象範囲が分かりにくい。また、日本標準産業分類においてもひとつの産業分類に集約されておらず、さまざまな産業分類に分散されているため、範囲を定めることが非常に難しくなっている。
通商産業省が1990年10月に発表した「スポーツビジョン21」において、日本におけるスポーツ産業の経済規模が初めて試算され、その後2002年に早稲田大学スポーツビジネス研究所が、2012年には当行が同様の試算手法により推計を継続した。ただしこの推計方法はスポーツに関わる財やサービスの最終消費額を積み上げる方法であり、他国で同様の手法が行われた事例がなく国際比較は困難であった。
一方、欧州では、スポーツ産業の勘定体系としてスポーツサテライトアカウントという考え方が開発され、(日本でいえば)総務省が公表しているSNA(国民経済計算体系)産業連関表を元に求められる計算とスポーツシェアを掛け合わせてスポーツGDPを算出している。
日本でも毎年掲げられる政府の成長戦略において、スポーツの市場規模を継続的かつ国際比較可能な形で推計する手法として、当行等が開発したスポーツGDPを基準として評価すると記載されている。当行は、当手法の開発元であるSheffield Hallam Universityに設置されているSport Industry Centreのサポートのもと、同志社大学スポーツ健康科学部の庄子博人准教授および株式会社日本経済研究所等と共に、日本版スポーツサテライトアカウントの推計を継続している。
直近では、2021年8月に2018年時点のスポーツGDPの推計を約8.7兆円と公表しており、2011年時点の約6.9兆円から約1.8兆円のプラス成長となっている。
ただ、同時に、一部品目を用いて2020年時点でのスポーツGDPをサンプル的に推計したところ、2019年比で13.3%の減少と試算され、スポーツ産業におけるコロナ禍でのダメージも合わせて浮き彫りとなった。
これからは、地域版スポーツGDPの推計を広めていくこともわが国スポーツ産業経済規模推計における課題のひとつであると筆者は考えている。一例として、釧路公立大学経済学部の川島啓准教授による調査研究のもと、日経研月報2020年10月号において広島県を対象とした地域版スポーツサテライトアカウントの推計を行ったところ、2016年時点でのスポーツGRP(地域の場合、県民経済計算がベースとなるためスポーツGDPではなくスポーツGRPという呼称になる。)は1,789億円と試算された。今後、本連載シリーズのテーマ(スポーツが照らす地域学)という観点からも、地域版スポーツGRPの推計事例が増えていくことを期待するところである。
また、当行では、2018年よりスポーツ産業分野での投融資への取組みへのチャレンジを開始した。これには、2016年の政府の成長戦略においてスポーツの成長産業化が明記され、また2019年ラグビーワールドカップ日本大会、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開催も控えているなかでスポーツビジネスへの国内での関心が高まってきていること、さらに、当行においてスポーツ施設やスポーツ産業について調査研究に基づく知見が蓄積されてきたことが背景にある。まず、2018年10月に世界有数の育成型クラブを目指す一般社団法人セレッソ大阪スポーツクラブへの融資を実行した。2020年3月には通年型アイスリンクをベースとしつつ、アイススケート競技利用にとどまらず、日本初のフロアスイッチング機能によりアイスリンクから一晩でフロアチェンジが可能であることを活かしたBリーグクラブ開催等、トップレベルのスポーツイベントを開催している。さらに、「FLAT HACHINOHE」を保有するXSM FLAT八戸株式会社への出資を実行し、2021年3月には世界最先端のアリーナを実現することを目指す愛知県新体育館整備・運営等事業にもコンソーシアム構成企業の一員として出資にも取り組んだ。
ただ、日本におけるスポーツ分野に関しては、これからの新しい成長産業でありこれまでの事業実績に乏しいことや公共スポーツ施設の貸館料金に代表されるように収益性が低い事業が多いことから、現状では事業への先行投資、観光・教育・健康分野等他産業との連携、社会・地域課題解決のためのツールという側面が強く、スポーツ分野そのものへの金融投資については、スポーツ分野の事業実績や長期安定収益が確保出来るというエビデンスが積み上がっていくまではまだ難しいのかもしれないというのが現状であろう。
さらにコロナ禍により、スタジアム・アリーナにおける無観客試合開催、フィットネスクラブの営業休止等の影響を受け、多くのスポーツ関連事業者の業績が低迷した。そこで当行では、スポーツが地域にもたらす価値には、事業者の決算に現れる財務価値だけではなく、広告露出効果等の潜在的財務価値、地域や他産業への経済波及効果や地域住民の繋がりやコミュニティの強化といった社会的価値もあるのではないかと考え、有限責任あずさ監査法人の執筆協力のもと、2020年3月に「スポーツの価値算定モデル調査」のレポートを、2021年6月には有限責任あずさ監査法人、株式会社日本経済研究所による執筆協力とJリーグクラブ川崎フロンターレや川崎市からのサポートを得て、スポーツ庁との共同調査として「スタジアム・アリーナおよびスポーツチームがもたらす社会的価値の可視化・定量化調査」のレポートを公表した。
スポーツの価値には、売上等数値で明らかになる財務価値だけではなく、数値には表しにくい無形の価値もあるということは、スポーツ業界に関わる関係者から常々言われていることである。しかし先に述べたように、スポーツ分野への投資を金融の視点から行うことがまだ難しいかもしれない現状下において、スポーツ分野に資金を環流させるためには、スポーツが持つ社会的価値に着目した投資の呼び込みが重要になると考えるのである。