World View〈アジア発〉シリーズ「アジアほっつき歩る記」第97回

タイ トラン 交易で栄えた美食の街へ

2023年4-5月号

須賀 努 (すが つとむ)

コラムニスト・アジアンウオッチャー

最近タイ、中国、イスラムが混在するタイ南部に興味を持ち始めた。今回はそんななか、日本ではあまり知られていないトランという街を紹介してみたい。

トランはプーケット島の南東約140㎞、アンダマン海に面した南北約120kmにわたる長大な海岸線を持ち、コロナ前はプーケットやクラビに続いて欧米などからの個人旅行者が訪れていた。また20世紀初頭まで国際交易の拠点、マレー語で「夜明け」を意味するその名のとおり、連日外国からの船が暁の港を発着していた。街には当時の繁栄を物語る古びた建物が残り、中華系住民がいまも大切に守り伝える信仰や暮らしがある。

100年以上前に繫栄した街

街を歩いてみると、駅から伸びる道には古びているがおしゃれな洋風建築がいくつかあり、時計台が十字路に建っている。1915年創建、今は歴史的建造物となっているトラン教会もいい感じで佇んでおり、観光客が写真を撮っていた。この街が昔はかなり栄えていたことを示している。
所々に中国的建物もあり、『董里』がトランの漢字名だと知る。広東、潮州公所など華人会館の立派な建物も存在している。古びているが、市場(いちば)の規模もかなり大きい。散歩していると大きなタイ寺があり、その向かいに天福宮の文字が見えた。中に入ると管理人が出てきて、きれいな華語を話す。100年以上前に移民してきたらしいが、自らの原籍を知らないというので、交易に長けた福建系ではないかと想像してみる。華人の年配者はちゃんと華語を学んでいたことも分かる。ただ今の若者は華語を知っていても、全てタイ語で話してしまうようだ。

ここから観音様が見えたので、登って行ってみる。途中道を間違えそうになったが、車に乗った華人女性が英語で道を教えてくれた。更に細い道に入ると自転車に乗った華人の老人とすれ違う。彼も普通に華語を話したので聞いてみると、姓は黄、タイ最南部ヤラー県生まれの潮州系であり、薬屋を開くためにここに移住して数十年が経つらしい。
トランの華人勢力は広東系、福建系、潮州系の順番だと黄さんは言う。100年以上前貿易で栄えた街で、ペナン、プーケット方面から移ってきた華人が多く住んでいる。黄さんが若い頃は華人学校で皆が華語を学んでいたが、今はバラバラになっているため、華語を話す人は確実に減っていると、少し寂しそうに教えてくれた。
観音様まで登ってみたが、誰が建てたのか、説明もなくよく分からない。そして特に寺もなく、人も常駐していない。ただただ街の(華人の)シンボルのように小高い丘に建っている。近所に天后廟があったので寄ってみたが、タイ人の管理人一家が廟を守っていたのは意外だった。タイ語が分からないため、その経緯などを聞くことは叶わなかった。この付近には犬が多く、吠えられるので早々に退散した。
街中にはチュワン首相生家というのがあった。チュワン・リークパイ(中国語:呂基文)は、1938年にこの地で生まれた華人であり、タイの首相(第27・30代)にまでなった人物である。現在も政治家を続けており、ある意味でトランを象徴する人ともいえる。実は私にホッキンミーの店を教えてくれたのも、このチュアン一族の一人であった。

美食の街トラン

名物だと教えられた「ホッキンミー(福建麺)」にありついた。これは濃厚なスープともちもち麺の組み合わせで確かに安くて美味い。観光で来ていたタイ人の若者も迷わず頼んでいた。ペナンで以前食べたものとよく似ており、福建系の繋がりが感じられる。駅近くを歩いていると何とも美味しそうな匂いがしてくる。店の前で潮州系の焼きそばが作られており、思わず入ってしまった。こちらももちもち卵麺にいい感じのソースが絡まっており、何とも旨い。

朝は狙っていた近所の早茶屋へ向かう。完全な華人経営(元は旅行会社もやっていた)であり、客も華人の顔をしており、この店にいるとトランは華人の街だなと実感できる。ただ店員はタイ人が多く、華語を使う場面はない。華人オーナーに話しかけようとしたら向こうから英語が飛んできた。点心は魚のすりみなどが実に旨い。
その翌朝も同じ早茶屋へ行った。店が気に入ったこともあるが、この店では点心だけでなく、「ジョーク(お粥)」が旨いとの情報を得たからだ。食べてみると確かにめちゃくちゃ味付けが良い。更にトラン名物「ムーヤーン(豚の丸焼き)」も小皿で出してくれるので、一つの店でいくつも味わえて大満足となった。豚肉はジューシーで、点心と合わせて食べると、何となく香港の街角を思い出す。
タイのカレーといえば「マッサマンカレー」というのがある。これもトラン名物だと聞き、ネットで調べた店を雨が降りしきる中、歩いて探した。ところが情報が正しいのかどうか、かなり歩くもなかなか見つからない。タイ語が出来ないとGoogle検索もできないので諦めかけたその時、奇跡的にその店は目の前に現れた。
ここはイスラム教徒の経営だったが、マッサマンと言うと何とか通じる。取り敢えずチキンを注文。美味しそうなカレーにきゅうりが付け合わせで付いてくる。ここではきゅうりを食べないのは反則らしい。調理場を覗くとチキンだけでなく、魚や煮卵など美味しそうなものが並んでいたので、思わず皆注文して合わせて食べると更に美味。
ちょっとスパイシーだが実に美味しく、日本人に合うお味だ。応対してくれたのは高校生ぐらいの女の子。英語ができるので、少し話したところ、日本人がこの店に来るのは珍しいらしく、とても喜んでくれた。最後に支払いをしたら、お釣りが無いと言って、隣の店に走っていく姿が何とも愛らしい。

著者プロフィール

須賀 努 (すが つとむ)

コラムニスト・アジアンウオッチャー

東京外語大中国語科卒。
金融機関で上海留学、台湾2年、香港通算9年、北京同5年の駐在を経験。
現在は中国を中心に東南アジアを広くカバーし、コラムの執筆活動に取り組む。