World View〈アジア発〉シリーズ「アジアほっつき歩る記」第103回
ベトナム ホーチミンの今
2024年4-5月号
前回ハノイを紹介したので、ベトナムの2大都市であるホーチミンについても述べておきたい。2023年には2度訪れたが、コロナ以前とは少し変化があるようにみえた。また日本のインバウンドとの比較にもちょっとだけ触れてみた。
深夜の羽田と早朝のホーチミン空港
羽田空港から深夜便に乗ってホーチミンに向かうことになり、空港で飲み物でも買おうと探したら、何とセブンイレブンが夜10時過ぎには閉まっており、外国人が珍しそうに写真を撮っていた。24時間営業が普通のセブンで、何とイレブンまでも開いていないとは。まあ自販機が定価でドリンクを売っているので困りはしないが、お土産などを買いたい客もいるのに、商機を逃しているようにみえて残念だ。
一方午前5時に到着したホーチミン空港。まだ夜明け前であり、他に到着したフライトもなく、入国審査がちょうど開き始めたところだった。気がかりだったのは、スマホ用のSIMカード購入と両替。羽田空港なら当然開いていない時間だろう。事前のネット検索でも8時頃からしか開いていないと書かれていた。
ところが行ってみると、ちゃんと両替ができ、SIMを買うことも出来た。決められたフライトに乗ってくる観光客がいれば必ずニーズがあるのに、商売をしない(出来ない)日本各地の空港はもう完全に負けていると思ってしまう。インバウンドが好調と言いながら、本当に対応出来ているのだろうかと心配になる日本の旅行業。
台湾人が連れて行ってくれた2つのレストラン
ホーチミン在住台湾人の知り合いと会ったが、2回とも大変興味深いレストランに連れて行ってくれた。1つ目は大きなショッピングモールに入っていたイタリアン。デザインの素敵なお店は、ランチ時にベトナム人サラリーマンで賑わっていた。
何とここを経営しているのは日本人だという。ピザやパスタなど、日本のイタリアンを持ち込み、ベトナムで何店舗も出店しているらしい。カンボジアにも進出し、何と東京へも逆上陸したという。出てきた料理はどれも美味しく、和テーストの寿司まで出てきたのには驚いた。
これからの時代、日本人は和食屋、という発想はもう古いのかもしれない。東京には世界の旨いものが集まり、外国人もそれを求めてくる時代なのだから、日本の洋食が海外へ出て行ってもおかしくはない。料金が手ごろで、ベトナムで勃興している消費力の向上した中間層にとっては和食より寧ろ手が出しやすいのかもしれず、目の付け所が実に良いと感じられた。
2回目に彼が予約してくれたのは、中国で10数年前から流行っている海底撈火鍋だった。東京にも出店しており、アジア各地に展開している火鍋屋だ。ホーチミンの中心街のオフィスビルの中にあったのだが、午後5時過ぎにはかなり席が埋まっており、帰る頃には長蛇の列ができていた。
この店の特徴は『待っているお客を飽きさせないサービス』であったように記憶しているが、確かにきめ細かいサービスが展開されており、それがウケているように思われた。店内ではベトナムの若者たちが誕生会などを開催し、店員も一体となって盛り上がっている。変面ショーなど中国的要素の娯楽が店内で繰り広げられ、すごい熱気に包まれている。まるでバブル時代の日本や近年の中国を思わせる盛況ぶりだったので、驚いた。料金は決して安くはないと思われるが、現在のベトナム人の消費志向の一端を垣間見ることが出来た。ベトナム経済も低迷しているというが、ここにはその影は見られない。
ホーチミンのチャイナタウンへ
ホーチミンのチャイナタウン、ショロンにも行ってみた。ベトナムは長い間中国の影響を受け続けてきたが、それは北部だけでなく、南部にも展開されていた。華人の移住は18世紀ごろから顕著に増え、ホーチミンには貿易などで財を成した華商が多く現れたという。
ショロンでは、まず華人廟を探す。現在ホーチミン市内は基本的に華人の存在感が薄い。ハノイほどではないが、ベトナム戦争及び中越戦争の関係で、多くの華人は国外に脱出してしまったからだ。その当時の悲惨な状況をある華人が語ってくれたが、ベトナムに残った華人は財産を没収され、商売を禁じられ、排斥された過去をなかなか拭い去れずにいるという。
所々に漢字を見ることが出来るだけでホッとしてしまうのは、筆者がベトナム語を理解しないからだろうか? 歩いて5分ぐらいでかなり立派な天后廟を発見する。中には穂城会館とも書かれている。創建事情を知りたいが説明書きはない。続いて義安会館は、福建出身の華人により1872年に建てられたとある。更にいくつもの同郷会館がみられ、さすがにチャイナタウン、ショロンには華人の痕跡が溢れていた。といっても、それはほんの一部だけで、ここもベトナム人中心の街になっているようにも思われる。いずれにしてもほぼ華人の影を見かけない、抜け殻のハノイとは違い、ここでは人が感じられる。
フラフラ歩いていると15年前に訪ねた茶荘らしきものがあった。ただ扉はほぼ閉まっており、歴史などの話を聞くことは出来なかった。そのすぐ近くには、ショロン出身と思われる華人経営の現代的なカフェがあった。今やチェーン展開するきれいなカフェ形態でないと、やはり生き抜いていくのは難しいのだろう。人口が1億にならんとするベトナムはやはり若者が多く、彼らに合わせたビジネスが求められており、華人ビジネスマンもそれに合わせて工夫を凝らしている。一方子供らを海外留学させた教育熱心な華人の中には、ベトナムでの役割を終え、静かに退場していく人々もいるようにみえた。