『日経研月報』特集より
メタバースの現状と展望、その社会的意義
2022年4月号
はじめに
石村:本日は貴重な機会をいただきありがとうございます。2021年10月、米Facebook社は自社のイベント「Connect 2021」において、社名をMeta(メタ)に変更すると発表し、メタバースに大きく舵を切るという決意を明確にして話題になりました。その後日本でも、大手企業による、スタートアップに対する巨額の投資などが目を引いているメタバースについて、議論を深められればと思います。
久保田:よろしくお願いします。私は現在、株式会社Moguraの創業者として、VR(Virtual Reality:仮想現実)/AR(Augmented Reality:拡張現実)/MR(Mixed Reality:複合現実)やメタバースについて取り扱うメディア「Mogura VR」を運営しています。「豊かな体験を世界中に」というミッションの元、VR/AR/MRが社会に普及していくにあたって、その障害を一つひとつ取り除いていき、その普及を加速させるお手伝いができればと思っています。そのような思いから、近年では国内最大級のVR/AR展示会「VR EXPO」、VR/ARがテーマのテックカンファレンス「XR Kaigi」や、コンサルティング・開発サービスである「Mogura NEXT」などもリリースしています。
メタバースとは何か
石村:メタバース関連の話題が2021年10月から年末年始にかけて盛り上がり、現Meta社は単年で年間1兆円以上の投資をすると明言しています。また、欧州では1万人以上の雇用計画もあるということで、社会的に大きなインパクトのあるものとなりそうですが、そもそもメタバースとは何か、その定義について聞かせて下さい。
久保田:メタバースについて固まった定義は今のところ存在せず、各プレイヤーや投資家がさまざまな定義を設けています。一言で言い表す言葉が少ないのですが、現時点では三次元のインターネット、すなわち「誰もが現実世界と同等のコミュニケーションや経済活動を行うことができるオンライン上のバーチャル空間」とざっくり言ってしまっても問題はないでしょう(注1)。
石村:メタバースの市場はどのくらいまで成長していくのでしょうか。
久保田:少し大げさかもしれませんが、米モルガン・スタンレーは「メタバースは8兆ドルの市場となる」との予測を公表しています。その中には既存の市場も含まれていると思いますが、大きな市場になることが期待されていると思います。メタバースへの関心は日本でもグローバルでも相当高まっていますね。
石村:そもそも、メタバースは1992年の小説『Snow Crash』で登場するインターネット上の仮想空間がルーツといわれていますね。仮想空間という点でいうと、例えば2009年には細田守監督が手掛けた映画『サマーウォーズ』の中でも、インターネット上の仮想空間「OZ」が登場します。OZでは、アバターを介してショッピングやビジネス、各種の行政手続ができるという、メタバースに近い概念のように思います。そういう意味では、メタバースは新しいようでいて、今に始まった概念ではないですよね。
久保田:そうですね。メタバース自体は新しい概念ではありません。1980年代には初期のネットワークゲームという形でメタバースが表現されていますし、2000年代にはMMORPG(Massively Multiplayer Online Role Playing Game:大規模多人数同時参加型オンラインRPG、インターネットを通じて多くのユーザーが一つのワールドで冒険を行う形式のゲーム)が初期のバーチャル空間サービスとして人々に受け入れられています。最近になって通信速度や処理能力が向上、そしてVRと結びつき、アバターの配信やバーチャル空間という形で進化が行われてきたという流れです。
メタバースの事例
石村:メタバースの事例にはどんなものがありますか。
久保田:例えば米Nike社は、2021年11月にオンラインゲームプラットフォームの米Roblox社との提携を発表し、バーチャルワールドである「NIKELAND」を設置したと発表しています。「Roblox」はプレイヤー自身がゲームを制作したり、他のプレイヤーが作ったゲームを遊べるプラットフォームです。ここ数年、米国で大きな成長を遂げており、2021年11月には日間アクティブユーザーが4,930万人に達しました。「NIKELAND」では、鬼ごっこやドッジボールといったミニゲームをフレンドと楽しむことが可能で、アバターが着用できるNike製品が展示された、バーチャルショールームも設置されています。また、Nike社は2021年12月には「バーチャルアパレル(仮想空間上の衣服)」を手掛けるデザイナーグループRTFKTの買収も発表し、デジタルアイテムの作成や流通にも着手。着々とメタバース事業への本格参入の準備を進めています。
石村:将来的にはバーチャル空間で実際に購入する前に衣服の試着を行う事ができるようになるかもしれませんね。
久保田:それもそう遠くない未来だと思います。身体をスキャンして、3Dのモデルを作ることは既に多くの企業が取り組んでいます。あとは服の皺やフィット感などが正確に表現出来れば、新たに「バーチャル試着」の市場が立ち上がっていくことになります。
石村:コロナ禍で多くの人が店舗に行かずとも購入する体験ができるようになることを望んでいるでしょうから、そういった技術にはニーズがありそうです。
久保田:日本でもサンリオが2021年12月に「バーチャルサンリオピューロランド」を構築し、リアルアーティストとバーチャルアーティストが出演する大規模なバーチャルイベントの開催などで活用されています。また、2021年11月にNTTドコモ社はHIKKY社に65億円の出資を行い、メタバース事業を推進するとしています。
石村:日本でも大手企業が参入し始めているわけですね。そうなると、多くの業者が乱立し、沢山のメタバース、沢山の世界ができてしまい、混乱するようにも思えますが、どうでしょうか。
久保田:現時点でもゲームも含めれば沢山のメタバースが既に存在しますが、ユーザーの多くは使い分けていると思います。二次元のインターネットともいえる現在のインターネットでも、ユーザーは複数のSNSを使い分けていますよね。とはいえ、長期的に見ればプラットフォームの統合や相互乗り入れをすることで、各メタバース間の垣根をなくしていくことが必要かもしれません。
石村:人々はプラットフォームごとに自分なりのアバターを持ち、プラットフォームAでは仕事の打ち合わせを、プラットフォームBでは日用品の購入を、プラットフォームCでは友人との待ち合わせを、プラットフォームDではバーチャル市役所で行政手続を……といった感じですね。一つのIDでそれらが出来るようになると、利便性も高まりそうです。
久保田:利便性が高まるには、各プラットフォームが相互に関連していること、すなわちインターオペラビリティ(相互運用性)が重要ですね。仰っていただいたように各プラットフォームを行ったり来たりできるイメージです。アバターやアカウントが単一であるとより便利かと思います。インターネットでも単一のSNSアカウントのIDでさまざまなプラットフォームへのログインができると思いますが、それに近いイメージですね。
メタバース≒宇宙開発?
石村:先ほど既にメタバースがいくつも出来ていると伺いましたが、もっと本格的なメタバースができるには何が足りないのでしょうか。
久保田:今できているようなメタバースと、将来できるメタバースは全く違うものになると思います。それは先ほど言及したような相互運用性の面もそうですし、もしかしたらブロックチェーンのような分散型のネットワークを使って、管理者のいない(中央集権的でない)メタバースのようなものも生まれるかもしれません。そうなるまでには、とにかく色々なものが足りませんね。例えば、コンピュータの処理能力にもボトルネックがあります。米インテル社は2021年12月にメタバースについて声明を発表しており、「メタバースの実現には現在の1000倍のコンピューティング能力が必要である」と述べ、今後はメタバース分野への対応を強化していくとしています。
石村:コンピューティングだけでなく、ストレージ、ネットワークインフラの不足も課題ですね。
久保田:はい。メタバース内では3Dモデルがリアルタイムに動いて描画される必要がありますし、同時に何人もが現実世界のように動くことを考えると、その動作のデータを動かすための低遅延・広帯域のデータ転送を行う必要がありますから、インターネットの回線もコンピュータの処理能力も格段に必要です。また、メタバースにVRヘッドセットでアクセスして没入するのであれば、そもそもVRヘッドセットの普及も必須になってきます。現在ではまだまだVRヘッドセットを持っている人が少ないですからね。あと、意外かもしれませんが、現実世界からメタバースにアクセスしてデジタルな情報を体験するいわゆるARでのアクセスも構想されています。その場合はARグラスの普及が必須になりますね。
石村:メタバース内で使われる通貨のようなものも必要ですね。例えば、メタバースの中に暗号資産を仕組みとして入れ込んで、そのワールド内の通貨として使えるようにするとか。Meta社はDiemという独自の暗号資産を開発していますから、そういった仕組みをメタバースの中に組み込むことも、あるかもしれないですね。
久保田:そうですね。メタバースではクリエイターがバーチャルなワールドやアイテム、ほかにもさまざまなものを創り、売買できることで経済圏ができてきますので、通貨の概念は重要ですね。とにかく、まだまだメタバースは期待先行で、一度ブームがしぼんだりするかもしれませんが、辛抱強く取り組んで行くことが重要だと思います。
石村:さまざまな要素技術が高度に組み合わさってはじめてメタバースが完成に近づいていく……という意味では、メタバースは総合芸術的なものともいえますが、この状況は宇宙開発と非常によく似ていると思っています。宇宙を目指すにはロケット技術や素材技術、衛星技術などさまざまな技術が必要で、その集大成として宇宙開発があります。それと同じように、メタバースを目指す時にもサーバー技術、コンピューティング技術、通信技術、VR/AR、ブロックチェーンなどが高度に重なり合ってはじめてメタバースができると。逆に、日本企業全体でメタバースについて研究・開発を行うことで、様々な技術が育っていく素地になるところもあると考えています。
久保田:確かにそうですね。
メタバース構築のキー・サクセスファクター
石村:メタバース構築を目指すうえで、ポイントになることがあれば教えてください。
久保田:ゲームプラットフォームを提供する米Beamable社のJon Radoff CEOによると、メタバースには7つのレイヤーが存在するということです。まず中心にあるのは①Infrastructureです。5G(6G)やクラウド、GPUなどの基盤となる技術が中核にあります。その外側には②Human Interfaceがあります。スマホやスマートグラス、ウェアラブル機器、ハプティクス技術など、メタバースにアクセスするには何らかのインターフェースを使う必要がありますね。そして③Decentralization。これは、先ほど述べたブロックチェーンのような分散型ネットワークのほかに、メタバース全体を統括してくれるAIの存在などが挙げられるでしょう。④Spatial Computing、これは3Dの空間を作るためのミドルウェアだとか、3Dの地図情報などが要素として重要になってくるということです。さらに⑤Creator Economyも大切で、今後はメタバースの普及に伴って、色々なアセットやビジネスモデルが出てくるでしょう。例えば先ほどのNike社が買収したバーチャルアパレルのグループなども一つのアセットの形だと思います。⑥Discovery、これもメタバースの普及に伴って、新しい広告媒体の形や食べログのような評価付けシステムなどが必要になります。そして最後に⑦Experienceです。メタバースは体験が命です。例えばバーチャル試着による購入体験とか、人とコミュニケーションをしたときにメタバースだと「会う」というこれまでにない体験になって楽しかった、とかですね。この7つの要素を重要視してメタバースに取り組んで行くことが重要でしょう。
石村:わかりました。最後に、メタバースやVR/ARに対する久保田さんの想いがあれば聞かせてください。
久保田:最初にお話したように、Mogura社は「豊かな体験を世界中に。」というミッションで動いてVR/ARとメタバースの専門家集団を自負しています。PC、インターネット、スマートフォンとこれまで新しい技術が世の中にもたらされると、普及後にはそれらがあることを前提にした全く新しいビジネスが生まれ、社会として人々の価値観が変わってきました。VR/ARとメタバースといった分野はまさにその次の波だといわれています。今はまだまだ実験的な取組みが多い業界ではありますが、この業界で何年かやってきて、徐々に産業全体が成長している実感があります。しかし、世界ではもっと多くの会社が巨額の投資額でメタバースの構築に乗り出しています。願わくは、日本からも世界で注目されるメタバースを構築する会社さんが出るよう、私たちも全力でサポートしていきたいと思っています。
石村:ありがとうございました。
(注1)詳しくは、日本政策投資銀行『AR/VRを巡るプラットフォーム競争における日本企業の挑戦』(https://www.dbj.jp/topics/investigate/2021/html/20211129_203602.html)にも記載