明日を読む
中国の大国主義とは
2023年8-9月号
かつて2010年、ハノイで開催されたARF(ASEAN地域フォーラム)で、南シナ海における中国の一方的行動と人工島の建設・軍事化が中心テーマとなったことがある。このとき楊潔篪外相(当時)は「中国は大きな国である、ここにいる、どの国よりも大きい、これは事実だ」(J・A・ベーダー、『オバマと中国』、2013、193)と言い放ち、席を蹴って出て行った。南シナ海には領有権問題も国連海洋法条約に規定された航行の自由の問題も存在しない、中国がそう言っているのだ、小国はつべこべ言うな、ということである。
こういう大国主義は近年、国際社会における中国の行動の大きな特徴となった。首脳外交では、この大国主義に、その時々の国際政治状況を反映した、いかにもわかりやすい機会主義的計算(transactional calculation)がつけ加わる。それがどんなものかを見るには、この1年、習近平が他国首脳との会談でなんと言ったか、想起すればよい。昨年11月、習近平はバイデン大統領に「中米双方は歴史、世界、人々に対して責任を負う」、両国に「幸福」を、「世界に恩恵を」もたらす必要があると述べた。ドイツのショルツ首相には「中独は影響力ある大国として」、「第三者に支配されない」ようにしよう、フランスのマクロン大統領には「2つの重要なパワー(大国)として」「自主独立、開放・協力の精神を堅持」すべきだ、と言った。韓国の尹錫悦大統領との会談では、「中韓は引っ越すことのできない隣人であり、切り離せない協力パートナー」である、と述べた。
新興国・途上国首脳への発言はかなり違う。インドネシアのジョコ大統領には「インドネシアが・・・発展と協力に焦点を合わせ、より緊密な中国ASEAN運命共同体を構築することを支持する」と述べた。中央アジア諸国首脳にはもっと踏み込んだ。この5月、カザフスタンのトカエフ大統領には「互いに信頼できる良き友人、良き兄弟、良きパートナー」として「中国カザフ運命共同体の構築を推進する必要がある」と言った。ウズベキスタンのミルジヨエフ大統領、トルクメニスタンのベルディムハメドフ大統領、キルギスのジャパロフ大統領にも「運命共同体」構築を呼びかけた。タジキスタンのラフモン大統領には「共同体構築は喜ばしい進展」を遂げていると述べた。
では、岸田首相にはなんと言ったか。「中日関係の重要性は変わっておらず、今後も変わることはない。」「戦略的観点から」「大きな方向性を・・・把握し、新しい時代の要請にふさわしい中日関係を構築することを望む」と言った。
長々しいコメントは不要だろう。世界を仕切るのは中国と米国だ。EU主要国はその時々の都合で「大国」になる。韓国は「大国」ではないが、「パートナー」にはなる。しかし、日本には「大国」とも「パートナー」とも言いたくないらしい。一方、新興国、途上国は「運命共同体」構築の相手である。では、「運命共同体」とは何か。行き着く先が新疆、チベットであれば、多くの国は御免だろう。
ここに見るように、中国の行動は大国主義とわかりやすい政治的打算の上に組み立てられている。中国の行動準則は主権国家の形式的平等と国家間における富と力の分布の実質的不平等を踏まえたものであるが、実質的不平等はときに国家間の形式的不平等を前提としたヒエラルキー(序列)にすり替え変えられる。これは特に途上国・新興国について言える。この20年余、「中国」の企業、銀行、党・政府機関は、これらの国々で、人、モノ、カネの流れの拡大する中、自分たちに都合の良い環境(milieu)を作ってきた。このsinicization(中国化/中華化)のプロセスは国内と国外では違う政治的社会的効果を生む。国内ではナショナリズムをくすぐるだろう。一方、国外での効果はその国と国民の決めることである。しかし、習近平、楊潔篪、あるいは王毅のような人物がどこまでこれをわかっているか、大いに疑問である。