地域の現場から
備前焼にみる伝統産業のこれから
2023年8-9月号
「備前珈琲玉ってご存知ですか?」
おそらく「なんだそれ」という方ばかりだと思います。玉状の備前焼を珈琲カップに入れ、味の変化を楽しむ贈り物です。備前焼は釉薬(うわぐすり)を使わない陶器で、表面には無数の小さな穴が開いています。その小さな穴に液体(珈琲)が触れると、苦みや酸味が円やかになり、なにより飲後の舌裏や喉の爽快感の違いに「目から鱗」になることでしょう。岡山では訪日観光客にも話題のお土産品でもあります。
備前焼は、平安末期に成立した岡山県南東部を起源とする陶器です。古くから半地下式の穴窯(あながま)で焼成していましたが、燃料を多く用いる割に効率は良くないため、焼け具合にむらが生じます。この焼け具合が、後の時代に「備前焼の生命は窯変(ようへん)」と言われるようになります。
平安時代は椀・皿・鉢・甕(かめ)・瓦などが中心で、鎌倉時代から室町時代にかけて、甕・壺(つぼ)・擂鉢(すりばち)の三器種の販路・販売量が飛躍的に拡大しました。西日本各地に搬出され、発掘された遺跡は京都以西のほとんどの県に分布しています。『一遍聖絵』(1299年)、『道ゆきぶり』(1371年)、『山科教言卿記』(1406年)など、この時代の文献資料にも備前焼が記され、地域の名産品であったことを伝えています。
桃山時代には茶陶として開花し、建水(けんすい)・水指(みずさし)・花入(はないれ)・茶入(ちゃいれ)・茶碗などの茶陶に加えて、徳利・皿・鉢などの食器生産も本格化します。茶の指導者として知られる千利休(1522~1591年)は、備前焼の花入・壺を何度も使用していたことを『利休百会記』に残しています。豊臣秀吉(1537~1598年)が1587年10月1日に京都で開催した大茶会では、備前焼の建水・花入が上席に据えられており、当時の最高権力者にも親しまれたことが確認されます。
江戸時代には、有田焼など施釉(せゆう)陶磁器窯や、各藩に殖産興業目的の窯場が誕生・発展しました。岡山藩は備前焼を重要産業として保護し、陶工に禄を与える優遇策を敷いた一方で、備前焼の伝統技法である箆(へら)による装飾を禁止し、焼き上がりの良いものは藩の買い上げとしました。こうした制作技法や販売方法への規制により自由闊達な作風は衰退し、他の地域に市場を奪われていきます。木造技術が進化し、桶(おけ)や盥(たらい)といった木製の生活用品が代替した影響も大きかったと推察されます。
明治・大正時代には、西洋文化至上主義の風潮を反映して、備前焼の工業化が目指され、煉瓦や土管などの製造会社が創業しました。そうしたなかでも、陶器改選所や陶器学校の設立など備前焼の伝統や技術は受け継がれ、従来の規格品を量産する陶工に加えて、芸術的な茶碗や置物を目指す陶工も現れました。戦後は、日本伝統工芸展の開催や、優れた作家を無形文化財に指定するなど伝統工芸の保護・振興策によって再評価が進んだものの、かつての栄光に比べると、量産品・芸術品いずれも商圏は小さいと言わざるを得ません。
今日では、国内市場が販売量・販売単価ともに低迷するなか、備前焼の陶工(約200人)のうち安定して生活が成り立つ作家は10名に満たないといわれます。個人経営が主体で、製作を得意とするも、概して価格交渉など販売・物流は不得手で、事業としては難しく、ゆえに伝承にも課題を抱えています。
こうしたなか、備前市では、隣の瀬戸内市(備前刀)と一緒に地域商社を設立し、販売・物流を一括して担うことで、伝統工芸品の商圏(販売量・販売単価)を拡大させる検討を進めています。地域関係者が不得手分野を互いに補うことで、事業の収益確保・技能伝承によって、伝統産業をサステナブル(持続可能)にするための取組みです。
2023/10月には北前船の寄港地間の交流や広域観光を狙いとする「北前船フォーラム」がパリ(2022/11月)、沖縄(2023/2月)に続いて、岡山で開催されます。2025年に開催される大阪・関西万博や瀬戸内国際芸術祭に向けて「北前船」の建造も準備が進められており、備前焼をはじめ地域名産品の知名度の向上には絶好の機会ともいえます。
昨年11月に訪れたフランスでは、南部鉄器の急須(きゅうす)など日本文化がブームとなっており、美術館などで展示販売も確認されました。在仏日本大使館によると、フランス人は、①本物志向、②由緒や伝統好き、③自然愛好家が多いとのことで、EU日本代表部の話では、盆栽も脚光を浴びており備前焼の鉢植えも取り扱われているそうです。
マルコ・ポーロ(1254~1324年)が「黄金の国」として紹介した極東の島国「日本」は、大航海時代(15~17世紀)の欧州各国には、独自の自然と文化に包まれた神秘的な国と認識されていたようです。同時代に隆盛を誇った備前焼は、施釉や絵付けを行わず、地肌そのものの焼け味・土味を尊びます。茶道で重んじられる「禅の精神」「侘び・寂び」を端的に現した陶器でもあり、そうした本物・伝統・自然といった情緒的価値は、フランスをはじめ欧州でも関心を呼ぶことが期待できそうです。
岡山桃太郎空港では2023/3月に国際定期線が再開しており、2025/3月にはJR伊部駅前(備前市)に「備前焼ミュージアム」が完成します。訪日観光客をターゲットにした伝統工芸の体験ツアーや物販など、新市場の獲得に向けた取組みも期待されます。また筆者もEU日本代表部やJETRO(日本貿易振興機構)の協力も仰ぎながら、地域の方々と欧州各地での展示販売会の実現などに協力したいと考えています。
江戸時代には、上方(京都・大阪・兵庫)からの「下り酒」は、上質だと重宝されました。「下らないもの」の語源は、「下らせる」(地域に流通させる)に相当する価値がない、ということにあるそうです。北前船は、上方から瀬戸内海と日本海の各地に寄港しながら北海道とを結ぶ国内の航路でしたが、日本の歴史や文化への関心が高まるなか、世界各地に備前焼を「下らせる」ための伝統産業のこれからに、今後とも注目して下さい!
(取材協力・監修・写真提供:備前市)