Viewpoint
創造する心
2024年4-5月号
「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことを言う。」アインシュタインが残したとされるこの言葉は創造やイノベーションを行う心の持ち方を表している。
ドイツ南部のウルムに生まれチューリッヒの工科大学に学んだアインシュタインは、1905年26歳の時に特殊相対性理論を発表した。時間と空間に対する人間の認識を改変するこの理論は当時すぐには受け入れられなかったと伝えられている。この理論による時間のずれは中学生レベルの数学で導くことができるのだが、人間の常識を破ることがいかに困難であったかを示している。現在では多くの自然科学の現象がこの理論無しには説明できないし、また例えばGPSの補正がこれに基づいて行われるなど実生活にも応用されている。
同氏は時を経て米国のプリンストン高等研究所の所属となる。その地で数学者のゲーデルを迎えることとなった。オーストリア出身のゲーデルは、20世紀の数学基礎論において最も重要な発見とされる「不完全性定理」を証明した数学の天才でナチスドイツから逃れるために渡米したのであった。晩年のアインシュタインはゲーデルと議論するために研究所に通っていたと言われている。「不完全性定理」は難解だ。大雑把に言うと「数学理論の一分野(自然数論)には矛盾を内包するか、または真偽が判明しない命題がある。」というものだ。当時の数学者の常識を覆す内容であったという。
最近はやりの量子コンピューターがよって立つところの量子論は人間の常識と相容れない理論の宝庫だ。昔、量子力学のさわりとしてシュレディンガーの波動方程式の講義を受けたことがある。シュレディンガーはオーストリア出身の理論物理学者で量子力学を発展させた一人だ。この方程式は、例えば原子内の電子の存在確率を与えるものだが、ここで学んだのは、電子がそこにある確率が2分の1、3分の1ではなく、観測されるまではそこに電子の2分の1、3分の1があると捉えることであった。物理学では「実在性」が否定されるということだそうだ。1つの粒子の2分の1が存在するというのは常識では理解しづらいことだろう。ただ、こうした曖昧さを飲み込んで量子コンピューターは開発されようとしているし、スマートフォンなどの微細設計には量子論が必要だという。量子論のトンネル効果がなければ核融合など起きないということだから、太陽もただの黒い星ということになる。
天才が人間の常識や認識を疑ったときに創造が始まる。数学や物理学の基本概念を変えるような大きな変革ではなくとも、経済的インパクトのある創造は相応の才能が社会的、社内的ルールが緩められた土壌で起こるのだ。サスティナブル、ESGやPBR、ROEなどの様々な縛りの中では自由な創造をする心は息が詰まってしまう。短期的利益を志向する組織では結果が見通せない思考はいつでも劣後にされてしまう。こうした世界と距離を置いたサンクチュアリを作ることが創造する心を育てるためには必要なのであろう。
そして、破壊的創造は常に若い頭脳によって行われる。常識の澱がたまって固くなった頭は創造には向かない。前述のアインシュタインは26歳、ゲーデルは25歳でその偉業を成し遂げている。今をときめく企業の創業ということではビルゲイツがマイクロソフトを、スティーブジョブズがアップルを設立したのはともに21歳の時である。
翻って、こうした常識に挑む才人だけでは組織は成り立たない。そうした創造を大きな成果につなげるためには、それをプロダクト化するチームとそれをまとめ上げるリーダーが必要だ。創造を育みそしてプロダクト化するチームとはどういうものだろうか。自主性を尊重しながらミッションに対する強い遂行意識を共有して特殊作戦に直たるチームのようなものか。以前グリーンベレーの選抜の基準で一番大切なのは「チームワーク」だと聞いたことがある。またリーダーを失ってもミッションを達成する使命感の共有が大事だということだった。意訳すれば「協調性と自律性」ということだろうか。少し前によく言われていた「自立分散型組織」が近いのかもしれない。
こうしたチームを率いるリーダーの大きな仕事は、メンバーに誇りと使命感を持たせることだ。また、時には素っ頓狂な考えも受け入れその責任も負わなくてはならない。
「一見馬鹿げていないアイデアには見込みがない。」というのも多言であったアインシュタインの言葉である。