『日経研月報』特集より

医療介護システムの発展に向けた価値・価格意識の醸成

2022年5月号

田倉 智之 (たくら ともゆき)

東京大学大学院医学系研究科 特任教授

1. はじめに

最近は、1症例1回の治療介入に1億円以上の公的医療費がかかる薬剤の登場や、その薬剤使用を前提としたスクリーニング検査の展開などが散見される。今後も、さらなる新薬の上市が予想され、疾病負担の軽減も期待される一方で、ひっ迫する医療保険財政などを背景に、医療制度自体の持続性にまつわる議論も増加している。このような潮流を踏まえ、提供される価値に見合った診療価格への関心は、我が国のみならず世界的にも拡がりつつある。医療および介護分野は、健康や生命という何ものにも代えがたいテーマを取扱うなか、実体経済との調和無くして制度の持続性も担保されないため、今後とも多様な議論が望まれている。

2. 医療価値の検討や価格意識の醸成の重要性

近年は、病院勤務医師などの医療者の長時間過重労働が大きな問題となっている。この要因として、医療関連制度の複雑化と介護など周辺機能との連携強化、さらには患者中心の医療の進展や遺伝子診断などの医療技術の発展を背景に、書類作成や組織管理などの診療周辺の業務負荷とあわせて、患者説明や診療選択などの診療自体の臨床負担も拡大していることが挙げられる。そのうえ病院経営においては、働き方改革や診療品質の向上に対する投資の負担がのしかかるなか、医療分野を取り巻く社会経済の動向を背景に、診療報酬などが抑制されているため、さらに集患や診療を増やす必要性に迫られる場合もある。その結果として、医療現場の負担はますます増加し、診療パフォーマンスが低下することも懸念される[1]。
実際のところ、既にこれらの懸念や関わる影響は、臨床現場においても顕在化しつつある。例えば、医療財政や病院収入において大きな割合を占める入院料(1件1日あたり、全ての病床種別の平均)については、消費者物価指数で補正を行うと、2000年代後半の平均1,265点/日件に対して2010年代後半は平均1,114点/日件となり、9.82%の減少になっている(図1)。この事実は、医療分野の就業人数の多くを占める看護師全体の診療報酬上の評価(入院基本料など)が、目減りをしてきていることを暗示している。このように、我が国の診療報酬は、技術料部分(主に医療職の人件費に相当する)を中心に経済的な水準が低下していると考えられる。

改めて述べるまでもないが、医療施設が提供する検査や診断、手術や入院、および医薬品や治療材のみならず、介護関係者が提供するケアなどの健康福祉分野に関わる活動には、基本的に全て価格(多くが公定価格)がついている。その価格と生み出す価値や消費された資源量とのバランスが悪い場合には、専門職などの就業モチベーションが低下するうえ、採算が悪化して持続的な施設経営が困難になることも想像される。その結果、その地域の医療や介護の供給レベルが低下することになり、ひいては患者・家族を含む地域住民にとっても大きな問題となる(図2)。そこで、サービスの享受者(保険者含む)側と提供者側の相互が満足(または納得)する価格水準を議論することが重要になる訳である。

一方で、提供する診療サービスや医療現場の努力と医療経営の収入などのバランスが崩れているのならば、それは「価格や価値」の議論が十分に行われていない証と考えられる。そのような状況においては、一般的に、事業運営(病院組織やシステム、または研究開発)は負のスパイラルに陥り、安定的な発展が望めないことになる。ちなみに、普段なにげなく接する価格は、古くから価値の交換などを行うためのツールとして普及してきており、社会の発展に不可欠なものとなっている。また存在意義を表す価値は、多様性が大きく、論じるのが難しい概念であるが、人間の選択、決定、行動を規定するものであるため、社会や医療も価値というDNAから形作られていると解釈できる[1]。

3. 共有されるべき価値評価や価格意識の概念

一般的に、“価値”とは有形・無形を問わず、対象の存在意義(狭義には有用性や重要性)であるとされる。例えば公共分野では、使用価値と交換価値の概念のもとでそれを整理することができる。価値は多様であり、一般に定量化することは困難であるが、社会システムの一部として議論する場合には、関係者に説明し理解を促す必要がある(図3)[2]。このような視点は、公共財の有効活用(公平な配分)において最も重要である。これらを踏まえつつ整理を行うと、生命や健康に関わるテーマは、まず社会を発展させるために「使用価値」の観点から議論されるべきであり、医療分野は、誰もができるだけ低い経済負担で、公平に診療を受けられるようにすべきである(公共的側面)。

そのため、世界の多くの国では、1978年のアルマ・アタ宣言などにならって、多かれ少なかれ医療分野を公的制度として整備されてきている。我が国の国民皆保険制度も、その流れを汲んでいると推測される。しかし、高度に専門化した専門職や治療材は、その医療資源の開発や育成のために大きな投資を必要とし、その供給も制限される。したがって、医療を社会システムとして運用・発展させるためには、希少性や専門性などに伴う「交換価値」の部分にも着目し、一定の市場原理を取り入れたシステムを構築することが必要になる(経済的側面)[3]。このような観点は、実体経済の潮流とも調和した社会保険制度の経済的なあり方を論じる際にも参考になる。
我が国の国民皆保険制度は、周知のとおり保険料を中心に、公費(税金など)および患者負担(窓口支払)から成る公的な財源を軸に運営されている。すなわち、我が国の医療および介護分野は、市場原理が働きにくく厚生経済的な側面から論じる必要がある。なお、医療製品または委託関連、および健康診査などの事業運営の領域を中心に、その一部において市場原理が作用する。そのため、私的な医療機関の構成割合をも考慮すると準公的市場に位置づけられる。このような市場では、公共財である財政(医療資源)の公平な配分が重要な政策テーマになる。さらに付け加えると、医療分野における最も重要な命題である安定供給や制度持続を盤石にするためにも、効率性や生産性にも配慮した医療資源などの配分や消費が望まれる。この効率面に関しては、価格形成の適正化が果たす役割は大きいと推察される。
したがって、我が国のような国民皆保険制度においては、成熟した医療を低コストで広く提供する一方で、革新的な(あるいは有効な)治療や専門的な医療資源には高い経済水準を設定することが望まれる。このように、システムの継続的な発展には、使用価値と交換価値をバランスよく導入した仕組みが望まれる。しかしながら、医療分野における価値評価にはさまざまな制約もある。その手法として多数の種別が想像されるが、それらは現実の経済との整合性が不十分であったり、費用のみに着目してきたものであったり、そもそも概念の域を出ないものであったりする。そのため、それらの限界を精査すると、医療制度における経済活動や公定価格の議論に資する価値評価として、次の考え方(理論と手法)が挙げられる。
一般にミクロ経済学では、効用理論などを背景とした需給均衡に基づき価格が収斂し、効率が最大化される。しかし医療価値は、衡平性(幸福度)の視点を取り入れながら、患者の効用値(選好、支払い意欲)と医療財政(所得再配分、財政収支)のバランスを公益性から議論する(図4)。そのため、この価値は個人と社会の関係を織り交ぜながら、医療プログラム単位あたりの効用とコストのバランスを高めることを標榜する[4]。その結果、ある予算の範囲内で効用を最大化すれば、費用対効果が高いほど集団全体の効用は高まり、ステークホルダーの「価値」は高まることになる。これは、概念的な価値の議論と比べて、実体経済や一般的な価値との関係性についても検討が比較的可能なため、医療分野の診療価格を検討するのに適していると思われる。
このような概念において、価値は、異なる立場を結びつけるハブやバランサー(均衡調整)にも例えられ、価格は、それらを実現させる共通言語(ツール)であるとも考えられる。

4. 価値評価や価格水準の算定手法と研究事例

前節のとおり、公共部門の医療サービスの価値は、民間部門とは異なる条件や目的のもとで、限界効用理論や選好に基づく尺度を適用することで間接的に評価することができる[5]。ちなみに、医療分野では、健康関連QOLの一種として患者の効用値を測定・分析する方法が開発されている。この考え方を費用対効果分析(CEA)に応用したものが費用対効用分析(CUA)である。これらを踏まえ費用対効果に効用関数を応用すると、医療価値は「資源消費(直接的な医療費用が中心)÷健康回復(効用などの患者アウトカム)」として算出される(図4)[6]。また、アウトカムの一つとして、質調整生存年(Quality-adjusted life year:以下、QALY)というグローバル指標が挙げられる。これは、患者の効用値と生存年を積分する概念であり、量的な成果(生命予後)のみならず質的な成果(QOL)の両方を併せて論じる指標である(図5)。

この費用対効果は、我が国においても2019年度より医療保険制度に導入されており、公定価格が高額で市場規模の大きい医薬品や医療機器を対象に、その臨床的な有用性と社会的な費用のバランス(すなわち公定価格の妥当性)を検証するのに活用されている。この費用対効果評価においては、一般にパフォーマンスの水準(例えば傾き)が論じられる。なお、医療技術評価(HTA)や診療技術間で効果と費用の次元やレベルが異なる場合は、追加的な有用性と増加する費用(いわゆる差分)の比率を論じる増分費用効果比(以下、ICER)が選択される[3]。その善し悪しの判断基準は、支払意思額(WTP)などで算出された国民的な経済負担のコンセンサスをもとに、1QALY獲得あたり約500~750万円が許容額とされる[7]。この評価が適用された超高額なCAR-T細胞療法などの価格調整は、記憶に新しいところである。
ここでは、我が国の費用対効果(価値評価、価格検証)の研究事例として、日本全国で患者数が約30万人以上と多く、医療費が年間平均500万円で財政負担も1兆6千億円程度の規模である、末期慢性腎不全に対する腎代替療法(血液透析:以下、HD)の臨床経済研究の報告を紹介する[8]。慢性腎臓病患者は、腎機能障害の進行に伴い、電解質・水分代謝の異常や尿毒症毒素の貯留が健康状態に大きな影響を及ぼし、生命を脅かすことさえある[9]。HDによる治療は、体液の量と組成を正常範囲に維持することを目標とする。この研究では、36ヶ月間の観察で患者の効用の推移を評価してそこからQALYを推定し、医療費は実際の診療報酬の累積請求額をもとに算出された。費用対効果は、仮に腎死(無治療)を対照としたICERのもとで社会的な立場から分析された。研究対象は、437回のHDを受けた患者29名(平均年齢59.9±13.1歳)であった。
分析の結果、効用スコアは0.75±0.21、治療1年間の総医療費は45,200±88,00USドルであった。全体を平均して、ICERは68,800±44,700USドル/QALYとなった。36ヶ月間観察後のICERは、主に65歳以下の患者で増加し(p < 0.01; <65)、高齢患者において悪化することはなかった(p > 0.05; ≥65)(図6)。考察において、HDの費用対効果をさらに向上させるには、栄養失調の予防や最適な1回あたりの透析時間、さらに透析回数(最適透析量)の設定などの対策が重要と示唆された。これらを踏まえ、この研究の意義を整理すると、救命や健康の社会経済的な価値を定量的に示したことが挙げられる。すなわち、年間医療費が高額であり財政負担も大きいHDではあるものの、前述の国民の価値判断の基準から眺めると、公定価格の水準は適切であると理解される。ちなみに、HDの費用対効果は、医療技術の成熟度や患者数の多さなどから、海外においては、公的医療保険の経済的な基本水準と見なされる場合が多い。

5. 医療価値の共有や診療価格の検討におけるハードル

1日あたりの薬剤料の全体平均は、過去の10年間ほど低下傾向にある(図7)。取り上げた指標の制約(定義)もあるが、この傾向は、新薬はともかく多くの薬剤の実質価格が低廉化していることを示唆している。これは、価値に見合った財政規模が確保されておらず、均衡財政の影響を受けている可能性も想像される。つまり、診療価格の適正化には、受益と負担のバランスの中で適正財政も論じる必要がある[10]。医学の進歩にはイノベーションが不可欠であり、そのためには研究開発への積極的な投資(原資の確保)も望まれるが、診療価格の抑制はそれを妨げる可能性がある。

このような背景のなか、医療製品の普及も営利活動の一環として開発および販売がなされるのであれば、経営資本の投資と回収のバランスを企業会計上で担保し、持続的な成長を志向する企業活動との調和が不可欠となる。すなわち、研究開発の段階から対象事業の市場における想定価値を論じることが望まれる。
医療介護を取り巻く社会経済の環境の厳しさがさらに増す場合、ステークホルダーは、必然的に少ない選択肢から将来の方針を意志決定する立場に置かれることになる。そのため、自分たちにとって優先順位が高いものは何であるのかを思索する必要がある。不透明な社会の潮流のなかにおいては、その材料を準備することの意義がさらに増すと思慮される。つまり価値の議論の先には、不確実性の高い医療における選択と決定のリスク軽減のツールとして、予測モデルなどの導入の重要性も高まることになる。
以上も踏まえ、医療介護などのシステムの中における負担の公平化を円滑に進めるためにも、負担によって得られるメリット(価値)や選択肢の長所・短所、またはその理由や根拠について、国民の価値観などにも配慮しながら分かりやすく議論されることが望まれる[1]。すなわち、やや理想論にはなるものの、国民の共有財産の議論を行うには、立場の異なる多様な関係者が円卓を囲んだうえで前提となる要件を定めつつ、共通の価値観をいしずえに意思疎通を図っていくべきと推察される。
その道標となり得る医療価値から導き出される価格水準がもたらす成果は、計り知れないはずである。しかし、実際のところ理論や手法の開発、またはデータの整備が十分でなく、その実現に向けて難しい面も数多くある。ここまで、医療分野の価値や価格の検討方法について整理をしてきたが、それらを促進するにあたって、幾つかの課題が横たわっているのも事実である。
その課題として、患者アウトカムの測定に関わる技術的な議論、各種財源の適正規模やその公平配分に関わる政策的な側面、および価値評価やその共有の意義(必要性)の観点などが挙げられる[1]。患者アウトカムの測定や各種財源の規模と配分の議論は、学際的に裾野の広いテーマであるためここでは割愛をするが、それらの議論の前提とも考えられる価値評価の必要性に関わる印象を簡単に述べる。価値評価やその共有の意義について、疑問を呈する方もいると推察される。また、その議論を行う以前に、そもそも医療分野の価値や価格に対する関心が無く、議論すら存在しないという状況も想像される。
後者のケースはかなり特異的なものと考えられるが、前者のケースは大いにあり得る。その背景として、何ものにも代えがたい健康や生命の価値は理論的な議論の対象外であり、異なる切り口で取り扱うべきという見方も想像される。これについては、哲学や倫理学なども交えながら広く論じる必要があるが、社会経済と調和しないシステムは、やはり持続性が不安定になり、結局、関係者全員(次世代も含む)の幸福にも影響を及ぼすことが懸念される。

6. おわりに

以上から、医療および介護制度の整備を進めるには、社会的な存在としての人間を前提に公助・共助などへの想いを集約する必要があるものの、個々人の意志や理解・希望がやはり関わる価値の源泉でありその見える化が不可欠であることを認識すべきである。そのうえで、その一部なりとも効用理論や費用対効果のような理念で明らかにしつつ、医療介護の大切さを関係者で再認識することは、国民の財産である医療介護システムを育むにあたり大いに意義があると考えられる。その結果、適正な経済負担の進展、適正な価格水準の形成、安定的な医療経営の拡大、医学の進歩と国民福祉の向上、という正のスパイラルが生み出されるものと期待される。

参考文献

1)田倉智之. 医療の価値と価格-選択と決定の時代へ. 東京. 医学書院;pp.0-276. 2021
2)田倉智之. “看護技術の価値とその報酬のあり方(第8章論点2)”. 看護管理学習テキスト第三版-経営資源管理論(井部俊子監修,金井Pak雅子編集). 東京. 日本看護協会出版;pp.244-255. 2020
3)Takura T. An evaluation of clinical economics and case of cost-effectiveness. Intern Med. 2018;57(9):1191-200.
4)Takura T. Health Insurance - Socioeconomic considerations of universal health coverage: Focus on the concept of health care value and medical treatment price. 2022. London; IntechOpen. In press(ISBN 978-1-80355-871-4).
5)Mitchell RC, Carson RT. Using surveys to value public goods. 1989. Washington DC; Resources for the Future:484.
6)田倉智之,村上晶,宇津見義一,植田喜一. コンタクトレンズ販売と眼障害リスクについて. 日本コンタクトレンズ学会誌. Vol.56 No.3,pp.193-198. 2014
7)費用対効果評価制度の当面の運用について(中医協総-9:3. 2. 10). 厚生労働省. 2020 https://www.mhlw.go.jp/content/12404000/000736552.pdf(アクセス:2022.3.31)
8)Takura T, Nakanishi T, Kawanishi H, Nitta K, Akizawa T, Hiramatsu M, Kawasaki T, Kukita K, Soejima H, Hirakata H, Yoshida T, Miyamoto T, Takahashi S. Cost-effectiveness of maintenance hemodialysis in Japan. Ther Apher Dial. 2015;19(5):441-9.
9)Liyanage T, Toyama T, Hockham C, Ninomiya T, Perkovic V, Woodward M, Fukagawa M, Matsushita K, Praditpornsilpa K, Hooi LS, Iseki K, Lin MY, Stirnadel-Farrant HA, Jha V, Jun M. Prevalence of chronic kidney disease in Asia: A systematic review and analysis. BMJ Glob Health. 2022;7(1): e007525.
10)田倉智之. “日本の保険医療における費用対効果評価のあり方(第2部日本の医療の「現在」と「未来」がわかる-第6章)”. 医療白書(西村周三監修). 東京. 日本医療企画;pp.160-169. 2016

著者プロフィール

田倉 智之 (たくら ともゆき)

東京大学大学院医学系研究科 特任教授

大阪大学大学院医学系研究科 特任教授を経て、2017年より現職。専門は、医療経済学、医療政策学など。博士(医学)、修士(工学)。厚生労働省 費用対効果評価専門組織(中医協)委員長、内閣府 客員主任研究官、大阪大学大学院医学系研究科 招聘教授、東邦大学医学部 客員教授、順天堂大学保健医療学部 客員教授、日本心臓リハビリテーション学会 評議員、日本人工臓器学会 評議員、日本循環器学会 英文誌Associate Editor、BMC Pulmonary Medicine Associate Editor などを歴任。