『日経研月報』特集より
変化に挑む日本企業と直面する困難
2023年8-9月号
日本企業が変わろうとしている。そのことを強く印象付けたのは、予想を大きく上回る賃上げ機運の高まりである。連合調べを基にすると、今年の春闘賃上げ率は、第二次安倍政権の「官製春闘」期のピークだった2.4%を遙かに上回る3%台後半、90年代前半以来30年振りの高さになったとみられる。しかも、今年の賃上げの大きな特徴は、労働組合が強気の賃上げ要求を掲げた結果というより、企業が積極的に賃上げを認めた結果という色彩が強いことである。
その背景にある理由の一つは、言うまでもなく物価高であり、実質賃金が大きく低下する中で、社員のモチベーションを維持するには賃上げが必要と経営者が考えたのは当然である。それにもう一つ、いい加減賃上げをしないと優秀な社員を確保できなくなるという危機感が経済界に拡がっていたという事情がある。昨年中の円安進行もあって、グローバルに事業展開する企業では、日本人の賃金が安過ぎるという意識も強まっていたようだ。
企業の前向きの動きは賃上げだけではない。設備投資に関しても、積極的な投資が続いている。6月の日銀短観によれば、全規模全産業でみた設備投資額(含む土地投資)は22年度実績が前年度比+9.2%で着地した後、23年度計画も+11.8%という高い伸びとなった。中でも、ソフトウェア投資や研究開発投資が堅調な増加を続けているのが近年の特徴である。90年代末の金融危機以来、日本の企業行動の最大の特徴は、儲かっても賃金を上げず、投資もせず、内部留保ばかりを貯め込むというものだった。言わば「倒産リスクの最小化」であり、現に3年前のコロナ危機でも、大企業の倒産は殆どみられなかった。しかし、最近の賃上げや積極投資などをみると、日本企業が「金融危機の呪縛」から解放され始めたようにも感じられる。
今年に入って日本株が比較的大きく上昇し、日経平均がバブル後高値を更新した背景に、外国人投資家による積極的な投資があることは周知の通りである。そこには、インフレと金融引き締めが続く欧米株などに比べて日本株には買い安心感があるという事情は言うまでもないが、同時に日本企業の変化の兆しに外国人投資家が敏感に反応しているという面も指摘できよう。
このように、日本企業が変わろうとし始めたのは確かだと思うが、本当に変わることができるのかとなると、話は別だ。ここ30年近く、物的投資も人材投資も怠ってきた結果、日本企業、日本経済の足腰は相当に弱ってしまったからだ。この点、内閣府アンケート3~5年間の企業の期待成長率をみると、1%強でそれ以前に比べ大きな変化はない。企業に前向きの動きがみられるとしても、それは必ずしも明確な成長期待に支えられたものではないことが分かる。
より心配な変化の一つは、資本財の国際競争力低下である。15年前のリーマン・ショック時には、日本は金融面の痛手は浅かったのに、景気へのダメージが大きかった。これは、世界的な設備投資の落込みを背景に、日本の資本財輸出が激減したためである。つまり、日本の資本財産業の競争力の強さが仇になったと言える。しかし、最近のデータをみると、資本財の輸入が急増しており、その内訳ではデジタルや脱炭素関連が目立つ。つまり、企業はDX、GX を盛んに唱えながらも、そのための設備は海外からの輸入に依存しているのだ。また、資本財輸入の増加と円安が重なって、昨年度は設備投資デフレーターが4%超上がり、名目設備投資を押し上げている。
もう一つ心配なのは、国際収支の中で「その他サービス収支」の赤字幅が顕著に拡大していることだ。ここには知的財産権の使用料や、通信・コンピューター・情報サービス、専門・経営コンサルティング、研究開発サービスなどの先端サービスが含まれており、やはり日本の競争力劣化を示唆するものである。この赤字拡大のため、インバウンド急増にもかかわらずサービス収支の赤字がなかなか減らないのである。
さらに、日本が誇る最大・最強の製造業であった自動車産業も、ここ数年の間にEV の開発・生産の面で米国や中国の企業に明確に遅れを取ってしまった。これらを踏まえると、仮に日本企業の姿勢の前向きな変化が本物であったとしても、それが生産性の向上などを通じて日本経済の復活に繋がって行くには、なおかなりの時間を要すると覚悟すべきであろう。