『日経研月報』特集より

将来を見据えた再分配政策

2022年7月

井堀 利宏 (いほり としひろ)

政策研究大学院大学 名誉教授

1. はじめに

社会保障予算

1990年代以降マクロ経済は低迷している。こうした経済の停滞は特に低所得者層の雇用不安、生活不安を拡大させ、彼らの厳しい経済状態は大きな政治経済問題の1つとなっている。なかでも、公的年金の削減やひいては老後破産など、高齢者の経済問題が注目されている。たしかに、高齢者になるほど、同じ年齢階層での資産格差、所得格差は拡大する。裕福な高齢者も多いが、貧しい高齢者も多い。さらに、我が国では高齢化のスピードが速いから、高齢者のうちで貧困層にある人数は増加している。
他方で、高齢化社会では高齢世代の政治的力が強い「シルバー民主主義」になりやすい。その結果、高齢者への年金給付、医療サービス、介護保険サービスの効率化はなかなか進まず、むしろその維持拡充に多額の社会保障予算が配分されるようになる。図1は2022年度の一般会計予算の総額とその内訳を示しているが、社会保障予算は最大規模の36兆円である。

図2は社会保障関係費36兆円の内訳を示している。年金(公的年金)と医療の補助金がそれぞれ12兆円ほど、介護(介護保険)の補助金も3兆円ほどである。公的年金の受給者は高齢者であり、医療給付や介護保険給付の受給者の多くは後期高齢者である。これらの給付財源は本来なら勤労世代が負担する社会保険料で賄う建前であるが、それで賄いきれない財源不足が生じているため、その不足分を一般会計からの補助金で穴埋めしている。このように、一般会計の社会保障費の大部分は高齢者対応となっている。

若年世代への政策対応

高齢者への支援も重要だが、格差是正や貧困問題は高齢者ばかりに関わる現象ではない。むしろ、将来の日本経済社会を見据えるとき、社会保障制度のみならず、国民生活の持続可能性を高めるうえでより重要なのは、若い世代への政策対応だろう。
高齢者と比較すると、若い世代への財政支援になかなか政治の手が伸びてこない。親の介護、教育費用の膨張、非正規雇用、精神疾患、女性と子育て、家出少女など、低所得にあえぐ若い世代の貧困問題は深刻である。高等教育を十分に受けられない若者も多くいるし、親が貧しいと、その子供が困窮した状況から脱却できる可能性は低くなる。社会保障費の中でも生活保護費やその他の貧困対策費は、若い世代も対象とした格差を是正する重要な手段である。政府の財政状況が悪くなれば、こうした生活支援の財源も制約される。財政危機が現実のものになると、一番困るのは貧困に直面している人々である。若い世代や将来世代の利害は政治的に軽視されやすいため、痛みを伴う改革は先送りされ、財政赤字は累増する。若い世代や将来世代に配慮する社会保障制度の抜本的な改革が望まれる。
本稿は、こうした視点で将来を見据えた再分配政策のあり方を考えてみたい。

2. 格差是正の課題

一時的な給付と人への投資

2000年代初めの民主党政権では、「コンクリートから人へ」とのスローガンで、教育投資や子育て支援への政策が重視されるようになり、その後の自公政権でも子供手当の拡充や高等教育無償化の動きがみられる。これらは若い世代にとって歓迎される政策である。しかし、子育て世帯への支援は、単に一時的に給付を拡大すればよいというものではない。
経済環境の悪い若い世代が貧困の連鎖から抜け出せて、自力で生活基盤を確立できてはじめて、貧困対策も「投資」としての効果が大きくなる。給付で貧困を減らすだけでは一時しのぎの対策でしかない。若い世代が十分な賃金所得を自力で稼げるようになってはじめて、社会保障の負担能力も高められるし、治安も良くなり、良質の労働力も確保できる。それには、勤労意欲が高まるような賃金の上昇が不可欠であるし、最低賃金が引き上げ可能となる経済環境も重要だろう。困窮している家計を支援するだけでなく、強い企業を育成することも効果的である。生産性の低い中小企業を保護する政策は、自助努力を促す人への投資とは矛盾する。企業の活気が盛んであれば、労働者のやる気も引き出せる。

社会資本と共助・自助

東日本大震災などを経験して、人とのつながりを示す絆の重要性が再認識されている。若い世代が孤立して引きこもってしまうと、貧困の罠から抜け出せない。社会全体でのネットワークでつながっているという実感を持つことが、若い世代の活力を発揮するうえで重要になる。したがって、若い世代の貧困対策には、個別の経済的支援と同時に、地域社会における社会的つながりの再構築が有効である。
ところで、最近の実証研究では、他人との人的な関わり方の弱さが経済的な貧困と重なることで、厳しい現実に直面することが指摘されている。これは、ソシアルキャピタル(社会資本)のあり方とも関わる。表1は社会資本を人的資本や物理的資本と比較したものである。

社会資本が大きい地域では、共助も盛んである。再分配政策は公的な補助=「公助」である。これが拡充すると、民間もこれに期待して、同様に弱者を助ける効果を持つ私的な補助(=寄付、NPO団体によるボランティア活動)や町内会など近隣住民での助け合い=「共助」の活動が減退するかもしれない。しかし、社会資本が大きな地域ではむしろ公助が刺激となって、共助も増える可能性がある。たとえば、恵まれない人への公的支援が増えれば、そうした支援の必要性が理解されて、同じように恵まれない人を支える民間慈善団体への寄付も増えるだろう。そうなると、全体としての再分配効果は大きくなる。
さらに、弱者自身も共助に刺激されて、自らの自助努力も増えるかもしれない。たとえば、我が国の生活保護制度では、生活保護を受ける場合、生活保護費は受給者の生活に必要な金額で決まっているので、受給者が自前で稼ぐと、その額だけ保護金額が差し引かれる。これでは、公助が自助を抑制する。しかし、みんなで助け合うことで、それぞれが自助努力にやりがいを感じやすくなれば、自立を支援する効果は、受給者の行動によって促進される。
こうした共助が自助を刺激する効果(=クラウディング・イン効果と呼ばれる)は、再分配政策の有効性にも関係する。公助が共助と同じ内容であれば、こうした効果は期待できない。政府の再分配政策は公助しかできない援助に特化し、民間でもできる支援はなるべく民間の共助に任せるなど、官と民の得意分野での棲み分け、役割分担が重要である。

長期の視点とやる気

現在、失業して困っている若者がいるとしよう。失業者への支援が正当化されるとしても、無条件にお金を失業者に給付するだけでは、失業者はそれを飲み食いに回すだけで、いつまでも失業者にとどまっているかもしれない。たとえば、EU諸国の中には、失業給付が充実しているために、それに頼りすぎて就職せずに、無駄に時間を過ごす若者が多い国もある。職探しに精を出したり、自分のスキルを向上させたりする自助努力よりは、政府からの援助で飲み食いする方が、若い失業者にとって楽である。その結果、失業率が高止まりしてしまう。
本来であれば、就業の可能性を大きくするため、失業期間中に自分の人的スキルを高める努力が重要になる。しかし、それには強い意志が必要である。貧困者を支援するやり方が甘すぎると、若者は将来の人生設計への努力をやめてしまう。
したがって、使途を限定しない一括の現金給付よりは、資格などの技能向上訓練に限定した失業給付が望ましい。弱者への給付がその場しのぎにならないで、弱者の経済環境を改善する努力と結びつく結果、技能が向上すれば、新しい就職の機会も増加する。教育訓練を伴う失業保険給付はそうした努力効果を意図している。
しかし、実際にはこうしたスキルを高める教育投資は、うまくいっているとも言えない。将来を見越した生活設計ができないと、たとえ幸運に恵まれて多額の所得があったとしても、それをすぐに散財してしまうので、将来は惨めな経済状態になる。その結果、貧困者となった将来は再分配政策の受給者になりやすく、政府による再分配政策の助けも必要になる。
人々が将来のことを真剣に考えて行動をしているのかどうかは、再分配政策の有効性にとって重要である。給付期間がずるずると続くと期待すると、自分の生活習慣を変えようとしないで、政府の補助に安住してしまう。職業訓練や教育投資の形でスキルを磨くなどの自助努力は短期的には成果がみえない。したがって、短期の損得しか考えないと、長期的メリットが大きいときでも、短期的には自助努力に消極的になりやすい。将来大きなリターンがあることを実感できる人だけが、スキルの蓄積に精を出す。そうでない人が自助努力でスキルを蓄積させるように仕向けるには、政府の給付に期限を設定して、長期的視点で行動させることが有効である。
また、再分配政策は給付金の一括的な支給でなく、給付の条件としてスキルの蓄積を義務づける(職業訓練、各種学校などでの技能習得、企業に入ってインターンシップでの実地学習など)紐付き支給が重要である。政府は金を出す際に、口を出すことで給付期間内に長期的な視点で生活スタイルを改善させることができる。

再分配政策の功罪

富裕層からその一部を税金で取り上げて、それを貧しい人に補助金として再分配する政策は、再分配政策の有力な手段である。累進的な所得税や相続税などで徴税し、生活保護などで貧困層へ給付するのは、そうした再分配政策の代表例である。コロナ危機で格差が2極化している現在、再分配政策はますます重要性を増している。
常識的には、富裕層から所得や資産の一部を取り上げて、それを貧しい人に給付することに、多くの人々は納得するだろう。しかし、問題はその対象と程度、つまり、どのような富裕層を対象に、どの程度の規模で再分配の資源を確保し、また、それをどの範囲の貧しい人にどの程度給付するかである。
富裕層の人でもIT企業の創業者のように、その資産を自分の才覚と努力で積み上げてきたとすれば、その多くが政府に徴収されることに抵抗するかもしれない。汗水垂らして努力した果実である所得や富が大きく減少するのでは、努力の成果を実感できない。事後的な再分配は経済活動の成果に直接介入するため、やりすぎると経済的な弊害も大きい。
図3は我が国の相続税率の仕組みである。相続資産が所与であれば、税率を高くするほど、税収も多くなる。しかし、高い累進税率では節税のうまみも増すため、合法・非合法の節税や脱税行為も多くなる。また、こうして得られる税収の再分配先が真の弱者でない人に向けられるなら、富裕層のみならず一般の納税者も徴税に抵抗するだろう。再分配政策では政治の信頼性が最も問われる。公平で効率的に再分配政策を実施することは、政治の大きな責務である。

3. おわりに

給付の効率性と公平性

少子高齢化社会では社会保障制度を支える側の勤労世代の人口が減少する一方で、支えられる側の高齢世代の人口は増加する。したがって、勤労世代が高齢世代を支える賦課方式の公的年金や医療保険制度は、長期的に維持できなくなる。これまで保険料や給付水準、あるいは給付対象などについて、何度も制度の微調整が行われている。しかし、制度が複雑になると、不透明感も増すので、若い世代が将来を見越した人生設計を立てにくくなる。
この懸念を回避するには、個人ベースで受益と負担のリンクが見えて、制度の骨幹が長期的に維持可能になる透明性の高い制度を確立することが必要になる。財源を負担する勤労世代の人にとって、将来高齢になって社会保障の受給世代になる場合、過去の自分の負担額と比較が可能になるから、生涯を通じて受益と負担のリンクを感じることも可能になる。
2020年のコロナ危機の際に、弱者の世帯に30万円を給付する案を政府が決めようとしたが、弱者の定義が曖昧で不公平だと多くの国民が反対し、結局、全国民への10万円給付に変更された。これは弱者の正しい情報を政府が把握し切れていないことからくる混乱であった。コロナ危機でどの程度経済的に困窮したかが客観的にかつ迅速に把握できれば、対象を絞った手厚く手早い給付も可能になる。
すなわち、政府は客観的な情報で各個人の経済力(資産や所得状態)を包括的に把握する必要がある。たとえば、全国民に付与されているマイナンバーカードを納税者番号や社会保障番号、健康保険証と包括的に連動して用いることで、所得獲得の履歴、資産蓄積の履歴、保険料納付の履歴、年金や医療、生活保護などの給付実態の履歴を一括して管理する。総合的な個人情報を一元的に政府が持っていれば、誰がどの程度生活に困窮しているのか、あるいは、弱者を支える家族や地域社会のネットワークがどの程度あるのかを、客観的に判定できる。
北欧諸国では納税者番号制度が完備されており、政府が全国民の所得や資産の情報を把握できている。また、ドイツでは2009年から納税者番号制度が導入されている。すべての納税者を11ケタの数字で管理し、毎年の所得と税額をデータベース化する仕組みで、税務処理を簡素化するとともに所得把握を円滑にすることを目的としている。これに対して、我が国のマイナンバーカードでは、所得や資産の捕捉が不十分である。多くの国(特に欧米諸国)で1970年代までにこうした番号制度が導入されている。

国民・政治家の視野

民主主義社会では、多くの(あるいは、中位の)有権者が持っている公平性に関する価値判断が政治家の政策を決めるから、彼らの価値判断如何で所得や富の再分配の程度が決まる。シルバー民主主義では、どうしても高齢者優先の価値判断になりがちであり、若い世代や将来世代への政策的配慮は欠けがちになる。受益と負担が乖離する再分配政策では、給付は政治的支持を得られやすいが、負担は敬遠されがちになる。その結果、財政赤字が累増して再分配政策の持続可能性が危うくなる。給付の効率化、無駄な給付の削減と負担の適正化、税や保険料の引き上げなど、痛みを伴う改革が先送りされる大きな理由は、有権者や政治家の視野が短期化することによる。
見直しを先延ばしにすれば、ますます問題が深刻化することがわかっていながら、そして、いずれは見直しを実施せざるを得ないこともわかっていながら、困難な処理をするのをいやがるために、見直しが先送りされてしまう。政策当局や国民にこのような非合理性があるのは、確かだろう。
高齢化社会で年金給付も含めた社会保障財源確保のため、中長期的に消費税の増税が必要だという主張がもっともらしいとしても、政治が信頼されないと、それを政府与党が国民に説得することは難しい。2019年には「公的年金だけでは老後の生活を維持できず、自助努力で2000万円程度の準備が必要だ」という金融審議会でのもっともらしい指摘が、政治的に評判が悪いとなると棚上げされ、財務大臣や与党政治家が火消しする事態となった。
政治家は短期的な損得勘定に流されず、見直しの長期的なメリット・デメリットを判断すべきであり、将来を見据えた再分配政策には、有権者が将来世代のことも考慮して、信頼するに値する政治家を選出することが重要である。

著者プロフィール

井堀 利宏 (いほり としひろ)

政策研究大学院大学 名誉教授

政策研究大学院大学名誉教授。東京大学名誉教授。1952年岡山県生まれ。74年東京大学経済学部卒業、81年ジョンズ・ホプキンス大学大学院経済学博士課程修了(Ph.D.取得)。東京都立大学経済学部助教授、大阪大学経済学部助教授、東京大学経済学部助教授、95年同教授を経て、97年から同大学院経済学研究科教授、2015年に同名誉教授。同年4月より政策研究大学院大学教授、2022年4月より現職。