特別研究 (下村プロジェクト)

シリーズ「高まる地政学的リスクと日本経済」第5回

新時代の日本の金融システム

2023年6-7月号

随 清遠 (ずい せいえん)

横浜市立大学国際商学部 教授

1. はじめに

「新時代の日本の金融システム」を議論するのは、本稿の目的ではあるが、ここでの議論は、むしろこれまでの金融システムの変貌と今日における課題に焦点を当てて点検したい。経済社会に対する人間の予知能力が限られている以上、このような点検作業は、起こりうる未知の将来に対して、最善の備えになるといえよう。
戦後の日本経済の成長を振り返ると、1956-1979年度、1980-1999年度そして2000-2021年度の経済成長率は、それぞれ、7.75%、2.66%と0.63%である。「経済成長の奇跡」といわれる1970年代までの成長率を別にしても、21世紀に入ってからの成長率の低さが目立つ。
金融仲介の用語で経済の低成長を表現し直せば、平均的には資金が生産性の高い部門に使われていないことになる。さらにその要因を論理的に整理すると、以下のように分類することができる。すなわち、
(1)そもそも経済には、高成長につながるような生産性の高い部門が存在しない。
(2)仲介できる余剰資金が存在しない。
(3)上記の(1)と(2)はいずれも正しくないが、何らかの理由で効率的な金融仲介ができていない。
(1)の立場は、本稿では採用しない。技術の進展が多くの要因と関わっており、議論は簡単ではない。しかし、1980年代まで各分野における技術的優位性を示してきた日本の産業は、急速にその優位性を物理的に失うとは考えにくい。しかし、生産性の実現は、主観的判断に左右されることがあり得る(注1)。この点について、本論では深入りしないが、客観的生産性は、今日の日本ではそれほど低下していないという仮定の下で議論を進める。
(2)は、日本において成立しないのは、多くのデータから裏付けられている。すなわち、日本がこれまで20年以上にわたって世界においてもっとも多くの対外純資産を保有してきたこと、1990年代半ば以降、法人企業全体が資金余剰部門に転じたこと、法人企業の内部留保の水準は、歴史記録を更新し続けてきたこと、銀行部門においては、いずれの業態においても、受け入れた預金の規模が貸出の規模を上回っていること、などである。
以上のように消去法的に考えると、残された可能性は(3)になる。事実、2023年3月現在、外国銀行支店を含む準備預金制度適用先の所要準備預金額は、12.64兆円であるのに対して、対応する金融機関が実際に日本銀行に預けた準備金額は、473.28兆円に上る。すなわち、超過準備金の規模は460.64兆円に上り、日銀に預けた準備金のうち、97.32%は法定準備として不要なものである。国内銀行に限定して見ると、都銀、地銀、第二地銀と信託銀のいずれの業態も、準備預金のうち超過準備の割合は96%以上に上る(注2)。これらの数値は、教科書において想定される一般的金融仲介の状況から、現在の日本が大きく逸脱していることを示している。
以下の議論では、上に述べた問題意識の下で、再び成長経路に戻るために、金融システム上の課題及びその対処法について議論する。第2節では、金融システムの変貌を示すいくつかのデータを点検し、それらの含意を検討する。第3節では、金融仲介理論の基本発想を紹介するとともに、金融規制の必要性とその難題を確認する。第4節では、日本の金融危機の特徴を分析し、それがもたらした影響を検討する。第5節では、バブル崩壊後の金融行政の特徴を概観する。第6節では、今後金融システムに対する監督規制の問題を議論する。最後の第7節は、議論をまとめる。

2. 日本の金融システムの変貌

2.1 金融業のサイズ

図1は、1970-2021年における、GDPに占める金融・保険業の付加価値シェアの推移を示している。金融・保険業の付加価値シェアは、1980年代のバブルの発生とともに上昇した。1980年頃の4.0%前後の水準から、ピーク時で1989年の6.3%に上昇した。バブル崩壊以降、このシェアは趨勢的に下落し続け、2019年には、4.1%の水準になったが、2020年以降、再び大きな上昇傾向を見せた。この上昇傾向はコロナの影響によって他産業の付加価値水準が相対的に減退したことを反映するものなのか、それとも金融・保険業に何かの構造的変化を示すものなのか、現時点では判断できない。

図2は、同じ期間における金融・保険業に従事する就業者及び雇用者が経済全体に占めるシェアの推移を示している。これらの比率は、1980年代に上昇し、バブル崩壊後になって下落した点は、付加価値シェアと同様の傾向が見られるが、2020年以降の急上昇が見られない。また興味深いのは、雇用者シェアがピークになったのは、資産価格のピーク時より前の1987年であった。銀行経営と金融の環境変化に双方向的因果関係があっても、雇用調整は、金融機関の経営方針をより直接に反映するだけに、金融環境の変化に対して必ずしも受け身的でないことを示している。
オーバーバンキング論などのように、近年の金融業が過大になったことは、しばしば問題視されている。金融業のサイズには、付加価値、雇用、資産規模、機関の数や支店の数などいくつかの異なる側面に基づく判断があり得るが、少なくとも付加価値と雇用面においては、保険業を含む広い意味での金融業は、ほぼバブル発生以前の水準に調整されたといってよい。

2.2 資本市場と銀行

株式時価総額と銀行資産の推移

株式発行と銀行貸出はもっとも代表的な直接金融と間接金融の取引形態である。図3は、1955-2022年における国内銀行の資産総額に対する株式時価総額比率の推移を示している。株式価格が激しく変動する時期は何回かあったが、趨勢的には株式市場の規模が銀行部門の資産を上回るペースで増加してきた。マクロ的には、金融仲介は直接金融の方向へ進んでいるといえよう。

株式・債券発行と銀行貸出

図4は1980-2021年度におけるフロー・ベースの非金融法人企業の資金調達の状況を描いている。
2010年頃まで、バブル期の高い資金不足の局面においても、1990年代の終わり頃から2008年にかけての資金過剰の局面においても、非金融法人企業部門の資金過不足に支配的影響を及ぼしたのは、銀行貸出である。不良債権処理が厳しく求められた21世紀最初の数年間、銀行部門の貸し渋りや貸し剥がしが叫ばれていたが、株式や債券発行の増加を通じて銀行貸出の低減を緩和する動きは見られず、結果的には、資金返済や満たされない資金需要を含めた資金余剰がこの時期に発生した。
非金融法人企業部門の資金余剰は、2010年以降も継続していた。2010年以降の特徴は、資金余剰が銀行貸出の動きに対応しなくなった点である。これは非金融法人企業部門の現預金増加などのような資産や純資産項目の影響が大きくなったからである。

2.3 信用膨張

図5は1955-2021年度における国内銀行の貸出残高対GDP比率の推移を示している(注3)。
プラザ合意後の金融緩和の下で、銀行部門の信用膨張がバブル発生のきっかけとなっていたことが一般的に知られている。しかし、GDPよりハイ・ペースの貸出増加が第二次石油ショックの直後にスタートし、1989年まで銀行貸出がGDPを上回るペースで増加し続けた。約10年間継続して発生した信用膨張は、後の資産価格や金融秩序に重大な影響を及ぼした。クレジット・ブームは景気循環と密接に関連することが多くの論者に指摘されている(注4)。日本においては、このブームがなぜこれほどの長期間に持続できたのか、このブームの背後にある貯蓄と投資のバランス問題をどのように解決すべきか、などの問題は、必ずしも解決されていない。
この信用膨張は、後のバブルの形成の下地を作った以上、バブル崩壊後、しかるべき軌道修正は予測されていた。Hoshi and Kashyap(1999)は、アメリカの経験に基づいて、日本の銀行業は、20-30%の縮小が必要だと予測した。事実、国内銀行の貸出残高対GDP比率は、ピーク時の1989年の97.99%から、2004年の75.89%に低減し、ほぼ1980年代前半の水準に戻っており、Hoshi and Kashyapが予想した通りの展開になっていた。ところが、2005年以降、この比率は再び上昇し始め、2020年以降、100%の水準を超えており、バブル期の最高水準を上回った。
後知恵的な判断になるが、銀行貸出水準の回復が必ずしも生産性の高い活動の実現につながっていない可能性が大きい。Sui(2023)は、2000年以降の金融緩和によって刺激された貸出は個人部門、不動産業、金融保険業に集中しており、製造業貸出には、そういった刺激効果がみられないことを指摘した。

3. 金融仲介理論

銀行はある意味で非常に脆い基盤の上で経営が成り立っている。例えば、国内銀行のうち、2021年3月期の現金対預金比率がもっとも高いのは、沖縄銀行の2.34%、もっとも低いのは、新生銀行の0.09%であった。国内銀行全体の平均値は、1.12%であった。すなわち、銀行は不特定多数の預金者から預金を受け入れ、引出に備えてただちに用意できる現金はわずかである。
これはいわゆる銀行の資産変換機能に対応する現象である。銀行は要求払預金という流動性の高い資金を受け入れて産業貸出など流動性の低い資金需要を満たしている。まるで銀行の内部に何らかの資産変換の技法をもっているかのようにみえる。銀行の資産変換機能は、このような流動性に関するものだけでなく、資金規模、満期期間、リスクの度合いなどの面においても、銀行が預金者から受け入れる資金と産業に対して供給する資金とかなり性格が異なっている。
Diamond(1984)は、理論的にこのような資産変換機能のメカニズムを分析した。その要点は、現代の金融仲介理論の中核になっている。すなわち、資金余剰者と資金需要者の間の情報非対称性問題を何らかの形で解決しなければならないという状況において、銀行のような仲介機関は専門的情報生産者として情報生産を効率的な形で行うことができる。さらに重要なのは、銀行は多数の収益の独立である企業と取引することによって自身の収益を安定化することができる。極端な場合、もし銀行の収益にリスクがなくなれば、銀行に対して、預金者による情報生産の必要がなくなる。そうなると、銀行は預金者に委託されたモニターとなる。預金者による金融仲介機関への信頼が維持される状況においては、大数の法則により、預金者が銀行に委託するための費用が発生しなくても済む。
Diamondの分析は、金融仲介の本質について重要な示唆を与えた。同時に、金融秩序の維持の問題点も示してくれた。資産変換機能が成り立つメカニズムの本質はその情報生産にあるが、銀行業は、潜在的には非常に脆い基盤の上で経営が成り立っている点に変わりがない。銀行の保有資産あるいは銀行の融資先に対して預金者がもし何らかの不安を感じたら、情報生産の重複が発生し、金融仲介の有効性がなくなる。したがって、規制当局として金融秩序の維持のために預金者側の不安を最小限に抑える必要がある。経済発展にとって金融取引の重要さと並んで、この経営基盤の脆さも金融の監督規制が重要である理由となる。
また、銀行が専門的情報生産者として融資先企業に対して、さまざまな段階の情報生産をした結果、融資先企業の収益性や安全性(仲介機関の資産健全性の決定要因でもある)について、必然的に第三者より情報優位な立場に立つ。これは、金融の監督規制の現場において、深刻な問題をもたらす。つまり、情報劣位の立場にある規制当局は、情報優位の金融仲介業者にその融資の健全性や資産の安全性を求めなければならない。融資先企業に関する銀行経営者と規制当局との情報格差には、ソフトな情報も含まれる。ソフトな情報とは明文化した契約に反映したり、第三者に立証したりすることが困難な情報を指す。よく見られる資産査定においては、財務情報や帳簿資料に基づいた審査が行われており、そういう意味で規制当局はハードな情報にしか頼ることができない。
この矛盾は、今日に至るまでどの国の金融監督規制においても、十分解決されたとは言い難い。各国の監督規制の歴史をみると、経済の繁栄に伴う規制緩和と金融危機に伴う規制強化が繰り返されてきた。また、規制の内容と強度は、金融危機の後始末やアッドホックな再発防止策を色濃く反映している。日本も例外ではなかった。

4. 1990年代の金融危機

20世紀最後の数年間、日本において深刻な金融危機が発生した。この危機は、銀行経営のあり方、金融の監督規制のあり方を含む日本の金融カルチャーそのものを大きく変えた。今後の金融のあり方を考える際、この危機の長期的影響を分析することは必要不可欠である。
経済の歴史には、金融危機が繰り返し発生しており、毎回の危機の特徴は必ずしも同じではない。1990年代の日本の金融危機においては、銀行部門の貸出債権の不良化に問題が集中したことが特徴である。教科書的議論においては、金融不安に伴う銀行取り付けの発生は金融危機のシグナルになるケースが多い。取り付けをきっかけに企業の連鎖的倒産につながる。しかし、日本では、バブル崩壊後、顕著な銀行取り付け騒ぎは発生していない。もともと融資を受けるべきでない企業の倒産は、数多くあったものの、銀行取り付けから発生した倒産はなかった。銀行破綻によって預金者が損失を被るケースは、日本振興銀行を除いて発生しておらず、銀行に対する預金者の信頼は基本的に維持されていた(注5)。また、かつて東南アジア諸国で見られたように、金融危機の発生に伴い、海外の投資資金の引き上げや為替レートの乱高下もよく観察されるが、これらの点についても、日本ではそれほど深刻な問題にならなかった。もともと対外資産の多い日本に対して、一部の例外時期を除いて円が不安視されることはなかった。さらに、2007-2008年頃の世界的金融危機をもたらしたアメリカにおいて複雑な証券化を一時可能にした格付け機関などの広汎な機関が関わっていたが、日本の金融危機では、そういった問題もなかった。日本の金融危機において、問題の所在は、銀行部門の貸出債権の回収可能性に集中的に現れていた。危機後の監督規制は、必然的に貸出債権の健全性維持を強く反映する形で行われてきた。このような金融行政は、金融仲介のあり方に大きな影響を及ぼした。これは今後の金融システムを考える際、重要なポイントとなる。

5. バブル崩壊後の金融行政

民間経営者は、つねに利潤最大化を行動基準にすると仮定すると、今後の金融システムのあり方は、ルールの設定変更、特に監督規制のあり方に依存することになる。かつて「貯蓄増強中央委員会」が発足されるほど、経済発展を促進するために、貯蓄は重要な成長の源泉として重要視されていた。今日の景気対策の議論においては、例えば「需要喚起のために、家計部門に支給された補助金や手当がもしそのまま貯蓄に回されたら、意味がない」と貯蓄行動を総需要の低迷ないし景気回復のマイナス要因として捉えられる傾向がある。貯蓄の増加は、消費の逓減につながるからである。しかし、高度成長期と21世紀以降との違いは、高度成長期においては、投資需要が旺盛であった。貯蓄増による消費減は、ただちに貯蓄によって支えられた投資に置き換えられるので、貯蓄増は、必ずしも需要減を意味せず、むしろそれによって生産の拡大につながっていた。「投資が投資を呼ぶ」というフレーズもその状況を反映した言い方であった。高度成長期の金融行政は、「護送船団方式」、「箸の上げ下ろしまで」、「法的根拠が必ずしも明確でない行政指導」などいろいろと批判されてきたが、結果的には、そのような規制体制の下で、高度成長が実現できており、また「金融システムの高度な安定が保たれてきた」(注6)。人為的低金利政策が預金者の犠牲をもたらしたという見方もあるが、21世紀に入ってからのゼロ金利政策の影響と比べたら、その時代の預金者の犠牲はそれほど大きなものではなかったといえるかもしれない。しかし、1980年代の信用膨張がそのままバブルの発生をもたらし、後に困難を極めた不良債権処理が余儀なくされたことは、かつての金融ビジネスモデルないし監督規制体制の有効性の終焉を意味する。
日本の金融機関は、かつて世界の銀行番付のトップ12を独占した時期があった。しかし、バブルの発生及び崩壊、またその後の不良債権の処理を経て、現在は当時と同じ銀行名で存続している大手銀行はひとつもない。不良債権処理は、「3、4年で実現できるはずのことに14年もかけた」と、嘆く声もある(注7)が、十数年のうちに、GDPの数百パーセント相当の資産価額の上昇と下落を経験した経済において、大量の失業が発生せず、大きな社会的混乱も起きなかったのは、ある意味では奇跡に近い。
金融行政は時代とともに変化しなければならない。問題は、今日の日本経済にふさわしい監督規制体制はどのようなものか、という点である。金融危機を経験した経済においては、問題の再発防止のために、危機後の監督規制はどうしても過剰規制の方向に傾いてしまう(注8)。事実、金融機関の資産査定の厳格化を主な内容とした金融検査マニュアルの実施は1999年から2019年までの金融行政において、重要な位置を占めていた。金融庁(あるいはその前身の金融監督庁)及び財務省(あるいはその前身の大蔵省)の金融検査に従事する職員の数は、1992年の364名から、2004年の1054名に増加した。しかし、金融仲介理論の観点からみれば、専門的情報生産者である銀行に対して、部外者である監督規制担当者から、厳しく資産の健全性を求めるのは、論理的矛盾を孕んでいる。
統計学では、適切なものを不適切なものと判断するエラーと不適切なものを適切なものと判断するエラーを区別している。前者が第一種エラー、後者が第二種エラーと分類される。多くの場合、両者はトレードオフの関係にある。すなわち、片方のエラーが生じる可能性を低く抑え過ぎたら、もう一方のエラーの発生可能性が大きくなってしまう。いずれのエラーもゼロにすることができないなら、二種類のエラーの発生可能性をバランスよく調整するのが望ましい。後知恵的議論になるが、1980年代の銀行融資は、結果的には後に多額の不良債権を作り出したため、適切でない融資先に貸出を供給したことになる。すなわち、融資に関する第二種エラーを多く発生させた。バブルの崩壊や不良債権処理を経験した後、不良債権問題再発の可能性を最小限に防ぐために、もし貸すべき相手に資金を十分融通していないなら、これは第一種エラーの発生を意味する。厳しい資産査定や金融検査は、第一種エラーの発生確率を高くした可能性がある。もし生産性の高いプロジェクトが実現されれば、スピルオーバー効果も期待できたであろうから、21世紀最初の20年間に行われた資産査定重視の金融行政は、経済社会全体の成長を萎縮させた可能性が大きい。

6. 新時代の金融システム

冒頭にも述べたように、金融システムの将来の姿について、著者の予知能力は限られている。しかし、以上の点検から、今後解決すべき課題を整理することが可能である。この節での議論は、回答より課題提示のほうが多いかもしれないが、重要なポイントを述べておきたい。

貯蓄と投資のバランス。年度別の法人企業(金融・保険業を除く)の経常利益がバブル期の水準を上回ったのは、2005年3月期であった。その後、世界的金融危機やコロナの時期を除いて、法人企業部門が経常利益の記録を更新し続けてきた。2022年3月期はさらに2005年3月期の44.70兆円の約倍の83.92兆円に達した。同時期の内部留保(利益剰余金)も、203.92兆円から516.47兆円へと倍以上増加した。しかし、従業員に支払われる、賞与を含む給与は、146.22兆円から156.97兆円へとほぼ横ばいになっている。明らかに生産性の低下をもって賃金水準の低迷を説明することができない。
あり得る解釈として、賃金水準の低迷は、法人企業部門が極端な予備的動機に基づいて支払うべき対価を抑えて、内部留保を優先的に積み上げた結果とみることができる。その背後には、投資資金が必要な時、あるいはいざという時、金融機関に頼って資金調達する経路に対する不信があったように思われる。したがって、賃金上昇を実現させるために、働き方改革や人材育成、技術力の向上と並べて、金融機関が安心して資金調達できるビジネス・パートナーであるという信頼回復も重要な課題である。

金融規制の根拠と必要性。銀行業に対する規制の根拠として重要な部分は、銀行が、決済手段にもなる要求払い預金を不特定多数の人から引き受ける唯一の機関である点と関連する。決済システムの安定は重要であるうえ、零細な預金者は預金を引き出す以外、積極的に金融機関に対するモニタリングのインセンティブを持たない。
表1に示されるように、日本においては、経済規模と比べて要求払預金の相対的規模が大きい。中には、必要な決済手段というより、貯蓄性資金が多く含まれているように思われる。預金保険のペイオフに限度があるとはいえ、現行の制度設計では、貯蓄性預金と決済性預金はほぼ同様の保護を受けている。金融システムの安定の観点から、家計部門にある巨額の余剰資金のうち、貯蓄性資金と決済性資金に同格の保護を与える必要がないように思われる。

銀行の自己資本と自己資本比率規制。1990年代以降の金融行政は、自己資本比率規制を中心に行われてきた。しかし、複雑な計算式と評価手順に基づいて行われてきた8%前後のリスク・ウエート付きの自己資本比率を巡る攻防がどれほどの意味を持つのか、疑問を持たざるを得ない。日本においても、アメリカにおいても、破綻した銀行が破綻の直前に公表した自己資本比率には業態の平均水準より高いケースが少なくなかった。このようなケースでは、自己資本比率規制は金融システムの安定維持にとって、有用な情報として役に立っていない。
「箸の上げ下ろしまで」細かく規制されていた高度成長期においては、銀行部門の自己資本比率はそれほど重要視されていなかった。重視されていたのは、むしろ大口融資規制、収支比率などのような指標であった。事実、全国銀行協会が開示情報として発行した『全国銀行財務諸表分析』においては、1991年度まで個別銀行の自己資本比率を集計すらしていなかった。本稿はむしろ別の角度から銀行の自己資本の重要性を強調したい。家計部門が巨額の金融資産を蓄積しており、本来、より高いリスク吸収能力を持つ金融システムの形成に条件を与えたはずであるが、負債契約なかんずく決済性預金のウェートが高い金融機関のリスク吸収力が限られてしまう。貯蓄性資金が豊富に存在する場合、銀行も株式契約に基づく資金調達のウェートをもっと高くしてしかるべきである。

情報的優位者に対する規制のあり方。金融庁は多くの反省に基づいて、金融検査マニュアルを2019年4月に廃止した。今後の金融監督の進め方について、金融庁(2019)では、監督する側とされる側の「対話」が強調されているが、監督規制の具体的方針を明示したわけではない。特に重要なのは、金融仲介機関は融資先企業に対する専門的情報生産機関であり、情報劣位の立場に立つ規制当局が、いかに金融仲介機関の優位性を発揮させるかである。経済が変化していくなか、かつての金融正常化や近年の貸出債権の証券化及び市場型間接金融などさまざまな試みが実践されてきたが、未だにベストな監督規制のあり方が確立されていないといってよい。今後の試行錯誤において、金融システムの安定と経済成長を促進する監督規制の体制を築いていくしかない。

7. おわりに

本稿において、これまでの金融システムの変貌に関していくつかの重要な指標をまとめた。また近年の経済理論に基づいて金融仲介の本質を整理した。さらに1990年代の金融危機の特徴を確認したうえ、それが後の金融規制に与えた影響を検討した。これらの議論を踏まえて、今後解決すべき課題をリストアップした。議論の根底にあるのは、日本経済の潜在的ファンダメンタルズの高さを実現させるには金融面での創意工夫が必要だということである。
データに基づく検証が必要とする課題については、今後の研究で解決したい。

参考文献

金融庁(2019)『検査マニュアル廃止後の融資に関する検査・監督の考え方と進め方』、ディスカッション・ペーパー。
財務省財政史室(2019)『平成財政史 平成元~12年度6金融』、白峰社。
櫻川昌哉(2006)「金融監督政策の変遷:1992-2005」、『フィナンシャル・レビュー』、86、122-141.
Dimond, D.(1984)Financial intermediation and delegated monitoring”, Review of Economic Studies, 51, 3, 393-414.
Friexas, X., Laeven, L. and J. Peydro(2015), Systemic risk, crises, and macroprudential regulation, MIT press.
Hoshi, T. and A. Kashyap(1999)The Japanese banking crisis: Where did it come from and how will it end? NBER Macroecnomics Annual 14, 129-201.
Sui, Q.(2023)Quantitative Easing and Easy Lending, memo.
Schularick, M. and A. Taylor(2012)Credit booms gone bust: monetary policy, leverage cycles, and financial crises, 1870-2008, American Economic Review, 102(2), 1029-1061.

(注1)例えば、多くの論者が、日本社会の高齢化を生産性の低下と同意語のように議論している。しかし、高齢化は、かつて平均的に50歳までの人しか担当できない仕事を、現在70歳の人が担当できることを意味する。高齢化自体は生産性の低下を意味するわけではない。
(注2)この変化は、単純に日銀が銀行部門保有の国債を大量に購入し、銀行部門が保有する国債を日銀当座預金に形を変えたに過ぎないと思われるかもしれないが、国内銀行の(国債保有額+日銀預け金)/総資産比率も、2012年1月から2023年2月にかけて、19.70%から27.30%に上昇した。金融政策の影響だけでは超過準備の変動を説明できない。
(注3)国内銀行のデータは1993年10月からしか公表されていない。それ以前の時期については、国内銀行貸出の増加率は全国銀行のそれと一致すると仮定してデータを遡及した。
(注4)例えば、Schularick and Taylor(2012)。
(注5)2010年9月破綻した日本振興銀行の預金総額は約5,800億円であり、全額保護の対象とならなかったのは、そのうちの120億円程度であった。
(注6)財務省財政史室(2019)、46。
(注7)櫻川(2006)、138-139。
(注8)Freixas et al.(2015), 331.

著者プロフィール

随 清遠 (ずい せいえん)

横浜市立大学国際商学部 教授

1962年 中国天津市生まれ、1986年 筑波大学第三学群社会工学類卒業。1992年 東京大学大学院経済学研究科満期退学。博士(経済学)。
1992年4月-1993年3月 東京都立大学助手を経て、1993年4月 横浜市立大学商学部講師、助教授を経て現在、2007年3月より横浜市立大学国際商学部教授。
主な著書 Money and Government、Springer(単著)、2022年。
『金融システムと金融規制の経済分析』(編著)、2013年、勁草書房。
『銀行中心型金融システム バブル期以降の銀行行動の検証』(単著)、東洋経済新報社、2008年。