日本経済の再出発

2022年7月

宮川 努 (みやがわ つとむ)

学習院大学経済学部 教授

(本稿は、2022年4月19日に東京で開催された講演会(会場およびオンラインWebセミナー)の要旨を事務局にて取りまとめたものである。)

序:マイ・バック・ページズ(本講演の狙い)

新型コロナウイルス感染拡大に続き、2022年2月、ロシアがウクライナへ軍事侵攻しました。今までにない事態が起き、国際秩序が崩壊しつつあります。日本は戦後、新たな国際秩序のもとで復興を果たしましたが、私はその繁栄の基盤が根底から覆されようとしていると認識しています。本講演では、今後の日本が目指すべき方向の手がかりとして、旧・日本開発銀行、日本政策投資銀行に関わった2人のエコノミスト、下村治氏、宇澤弘文氏の考え方を交え、日本経済の過去・現在・未来を考えます。

1. 時代は変わる

この歴史的大転換のさなかに私が思い出したのは、ミルトン・フリードマンの著書『資本主義と自由』です。60年前、彼はロシアを非常に警戒していました。彼は、経済的自由と政治的自由は表裏一体であると本著の冒頭で宣言しています。もちろん、これが必ずしも現状に合っているわけではありませんが、現在のロシアを見る際、彼のこの考察も無視できません。
ただし、フリードマンが言う「経済的自由と政治的自由が世界全体を覆っている」という状況は、現状そうとも言い切れません。それを知らしめたのが新型コロナウイルスの感染拡大です。感染拡大への対応は、各国で大きく異なっています。また、ワクチンの開発力のある国とワクチンを買えない国の差が、各国経済社会への対応差を非常に際立たせています。
新型コロナウイルスの検査陽性者数・死者数を見ると(表1)、日本は人口百万人当たりの検査陽性者数が、欧米の国々に比べて一桁少なく、死者数も少ない。米国は感染者数・死者数ともに世界の約16%を占め、死者数は、ベトナム戦争の死者数を上回っています。そうした多大な死者数を出しながら、医療専門家は予想を上回るスピードでワクチンを開発しています。一方で、その恩恵を受けられない人がたくさんいることが米国の特徴です。北欧を見ると、スウェーデンの行動規制は非常に緩やかです。当初は高齢者施設を中心に死者数は増えていきました。デンマークも百万人当たりの感染者数は多く、人口の約半数が感染しており、集団免疫を達成する寸前でしょう。

一方、日本は行動を厳しく規制するわけでもなく、また北欧のように行動を人々の自由に任せることもなく対応してきました。その過程で一般国民もデジタル化の遅れやワクチン開発の技術力における人材開発の遅れを痛感しました。結果的に、一般国民の自主的な行動規制や我慢に頼るしかなかったので、他国に比べて経済的損失が大きくなったわけです。
次にロシアのウクライナ侵攻です。これは、より深刻な事態であり、第二次世界大戦後の国際秩序の終焉と考えられます。時代区分を見ると、第二次世界大戦後の世界は「冷戦期(1945-1990)」と「ソ連崩壊に伴う冷戦後の世界(1991-2021)」の2つに大きく分かれます。今回、国連の安全保障理事会常任理事国であるロシアが侵攻を行いましたが、これは冷戦期にもなかった事態です。
冷戦後30年間の世界は、実は、ソ連の崩壊により一度勝利を収めた資本主義、自由主義経済が徐々に退潮する過程として位置付けられています。ロシアのウクライナ侵攻はその極端な現象です。資本主義に対抗しているのは、フリードマンが書いた頃の共産主義ではなく、国家、民族の独自性を強調する「国家(民族)本位主義」ではないでしょうか。市場経済をとるか、社会主義をとるかという選択より、国家が重要だという考え方です。一方の極に個人があり、もう一方の極に民族的国家がある、そしてその中間を世界が揺れ動く、という構造です。そして、日本はそのどちらでもない「ムラ本位主義」だからこそ、コロナ禍においては人の目を気にする集団倫理が非常に小さい領域内で働き、皆、マスクを着け、自粛する行動に至ったのではないでしょうか。
冷戦終了後30年間の最初の10年間は、資本主義、自由主義がグローバリズムのもとで大きく勢力を広げていきました。ワシントン・コンセンサス、いわゆる、自由主義経済の制度を採り入れた国々が発展をしていきました。EUの成立もそうでしょう。
21世紀に入り、資本主義、自由主義に対する最初の反発は、9.11に始まるテロとの戦いです。同時期、中国がWTOに加盟し、米国がアラブ世界のテロと戦っている間に台頭してきました。そして米国発の世界金融危機があり、自由主義を伴った市場経済化の流れはここで一旦歯止めがかかり、これまでとは異なるムーブメントが起きました。2010年代に入り、反グローバリズム、反自由主義の政治家である、トランプ氏、プーチン氏、ボアソナーロ氏、ドウトルテ氏などが民族を中心に考えた国家の運営を主張し、「レスト・オブ・ザ・ワールドについては考えない」という反グローバリズムが起きました。

2. 転がる石のように-平成・令和の日本経済

さて、その間の日本経済を振り返ってみましょう。ソ連崩壊と同時期に日本は昭和から平成に移り、そして現在、令和の日本経済は、欧米先進国に先んじて金融危機を経験し、そこから立ち直れずに2020年代の大きな危機を迎えてしまいます。長期停滞の主な要因は2つです。1つ目は少子高齢化の急速な進行です。そして2つ目は1990年代のバブル崩壊に伴う不良債権処理の先送りによりIT革命が起きていた時期に金融危機が起き、産業構造の転換チャンスが失われてしまったことです。
もちろん長期停滞から脱する解決策がなかったわけではありませんが、結果的には中途半端な解決策でした。グローバル化、自由主義化への構造改革が望まれ、海外からのアドバイスもそうした方向でしたが、21世紀に入り、この方向への抵抗が強くなったために中途半端な改革が続けられてしまったと考えます。
図1を見ると、この30年間での日本の実質GDP成長率は年率1.21%です。米国の成長率はその2倍となります(図2)。1.21%の成長率というのは、歴史的にみると江戸末期から明治初期までの重工業化前の時代の成長率です。中国と日本のGDPが逆転したのは2010年です。1989年、中国のGDPは日本の約6分の1だったのですが、今は約3倍近くに上昇しています(図3)。



韓国も1人当たりGDPで日本を抜いています(図4)。韓国経済はアジア通貨危機、世界金融危機で落ち込みましたが、現在は上昇トレンドにあります。一方、ロシアは、実は1990年代、平均寿命が50歳代に下がったほど厳しい経済状態でした。その後、ヨーロッパ経済がEU統合による恩恵を受けて成長するなか、ロシアもヨーロッパ経済の恩恵を受けてはいたのですが、世界金融危機の影響でヨーロッパが停滞すると同時にロシア経済も停滞し、さらにルーブルの下落でドルベースの評価が落ちています。このあたりは日本とよく似ており、2010年代、ロシアも日本もドルベースでは成長していません。つまり、貧しくなったということです。

再び日本の状況を見てみます(表2)。今、失業率は2%台、物価は30年間安定していますが、これから上がる可能性はあります。為替レートは、2010年代に110円台でしたが、今は10円近く円安となり、日経平均株価は、1988年12月末に3万円でしたが、今はその3分の2に下落しています。一方、平成の30年間、ニューヨークダウは10倍になり、すでに3万ドルを超えています。ここが日本と最も違うところです。

日本は近年、人手不足、人口減少が問題ですが、2010年代から就業者数は大幅に増えています。しかし、それは経済学の観点から見ると、「経済が成長していないのに労働供給が増え、その結果賃金が上がらない」という状況です。そのため1人当たりGDPは上がらず、労働生産性も低迷しています。平成30年間の経済は日本の一人負けとなっています。
また財政について、私は2つの警告をしています。1つ目は、1990年代、米国との日米構造協議において、日本は10年間で400兆円の財政拡張をすると約束をしましたが、経済成長率は2%台のままでした。財政政策を講じても経済成長率が上昇しないことは実証されています。ではなぜ、財政拡張論者は声高に発言をするのか。最近ではMMT(現代貨幣理論)の議論がありますが、これは財政拡張論者にとっては借り物の議論です。財政拡張論者はこれにより景気が上がるとは思っていません。景気が上がらなければ人々はますます政府に頼ります。そして、人々が、「自分では活力を失い、ますます政府に頼る」という負の循環が財政拡張論者にとっては逆に都合が良いので、その議論に乗っかっているのです。そして、もう1つの警告は、「財政政策が支持されるのは、構造改革に比べて痛みを伴わないから」ということです。財政政策で良い効果が発揮されないとしても、人々がそれに頼る傾向となるでしょう。
そして令和の経済の動きは、新型コロナウイルス感染拡大の影響でほぼ説明がつきます(表3)。日本は他国と比較した場合、死亡者数、感染者数は低いのですが、経済にかなり負担がかかっています。2020年、GDP成長率は-4.5%でした。死者数が一番多かった米国よりも低いのです。2021年、菅前総理は「コロナ前に経済を戻す」と発言しましたが、緊急事態宣言が長引いて実現せず、いまだに戻っていません。韓国はプラスに転じているので、その差は広がっています。中国はここに来てゼロコロナ政策が影響していますが、それでもプラスの成長です。日本の場合、2年間の自粛の影響が強く、供給に対して需要が抑えられてしまい、消費者物価の上昇は緩やかです。しかし原材料価格は急上昇しているので、企業物価指数の方は高い上昇率となっています。

心配な点は今回のコロナショックが2008年の世界金融危機並のショックであることです。世界金融危機の際、中国、韓国は、早々に回復しました。一方イタリアは、現在も2008年の水準に回復していませんが、日本も回復スピードは遅いものでした。日本の回復スピードが遅れた理由は、輸出が抑えられたためです。今回、再びそうなるのではないか、という危機感がありますが、中国のおかげで輸出は早々に回復しています。
一方、コロナ後の回復の決め手は「消費がどの程度回復するか」です。政府の給付等により失業率はそれほど変わらず、倒産件数も増えていません。しかし休業者数は増えています。鉱工業生産は回復していますが、宿泊業、旅行業、航空運送業等はコロナ前の5割程度の回復であり、厳しい状況です。これら産業の従事者は約300万人おり、いまだ厳しい状況に置かれています(図5)。

3. 風に吹かれて-構造変化に直面する日本経済

新型コロナウイルス感染拡大による経済活動の制限がすでに2年以上続いており、人々の行動も変わってきました。そしていくつかの変化は元に戻らないでしょう。こうした不可逆的な構造変化をhysteresis(履歴効果)といいます。百貨店やホテルの身売りが行われ、鉄道の減便も元には戻らない。テレワークの進展はありますが、都心近郊以外の地方ではなかなか厳しいでしょう。また、宿泊・飲食業を見ると付加価値に占める割合は2~4%です。これに代わる代替的な産業も地域ごとに異なりますが、外国人宿泊比率が多いところでは2020年の稼働率は低い状況です。京都、東京は稼働率が大きく落ち込みましたが、しばらくは戻らないでしょう。インバウンドも見込めないので、この部分をどう補うかが重要です。
また、こうした事象への対応策として「円安を利用して製造業を元に戻す」という考え方があるかもしれません。しかし、各都道府県にどれだけの知識ストックがあるか、といった労働投入の研究開発ストックのデータを見ると、1995年当時は地方に企業の研究所があり、知識ストックも高かったのですが、現在は地方の研究所等がなくなり、知識ストックも下がっていることから、製造業復活に期待をかける策も容易ではありません。

4. 我が道を行く-下村氏と宇澤氏に学ぶ日本経済の選択肢

日本はこの30年間、生活習慣病のような状況が続いています。そして、さらにコロナ禍やウクライナ侵攻でその症状は重症化しつつあります。
現在、日本のGDPは世界3位ですが、技術革新を十分活かせず、古い設備で競争しています(図6)。デジタル化が先進している他国と比べて遅れが生じているのは明らかです。ここまで来れば、日本の独自性をきちんと表現できるような指標を目標とすべきではないでしょうか。

日本経済には、3つの選択肢があります。1つ目は、現状の日本の退潮から目を逸らし、閉鎖的に過ごしていくことですが、実際には貧しくなっていくため、国家本位主義に支持が集まっていくでしょう。2つ目は、財政支出が日本を救うという議論ですが、これについては先程述べました。そして3つ目は、1970年以来のさまざまな議論について改めて考えて、欧米追随型でない独自の大きな目標を立て直すことです。
堀内行蔵氏(元法政大学教授)は、下村治氏の「ゼロ成長論」と宇澤弘文氏の「社会的共通資本」の考え方を日本経済の指針としていました。実際、下村氏と宇澤氏は先見の明がありました。
お二方の考え方の基本に、インフレの問題があります。インフレには需要ショックによるものと供給ショックによるものがあります(図7)。供給ショックによるインフレは、GDPが減少するため悪いインフレです。一方、下村氏は当時、需要が増えていくなかでの(高度成長期の)消費者物価の上昇を問題視しませんでした。

ところが石油危機のときには企業物価指数が急上昇し、消費者物価指数を上回っていました。つまりコストが上がる一方で需要が少ないため価格が上げられないという状況です。今、この40年前と同じような状況にあります。このような状況下で賃金を上げる政策を講じることは非常に難しいのですが、下村氏はその当時「ゼロ成長で総需要を抑制し、需給を均衡させるべきだ」と説いていました(注意すべき点として、下村氏は個別市場や産業の規制については触れていません)。これが下村氏の一つの考え方です。現在の日銀による拡張的金融政策は、第1次石油危機後に小宮隆太郎教授が誤りとして指摘した金融拡張政策であり、危ないものです。
また宇澤氏は、インフレのときには、財・サービスを必需財と奢侈財に分け、奢侈財を放っておくべきというお考えでした。必需サービスは社会的共通資本に属するものであり、鉄道、生活必需品、医療、教育等については需要曲線が垂直になっているため、供給ショックが起きると価格がすぐに高くなる、これにより、相対的に所得の低い人ほど物価上昇で不利益を被らないように管理しなくてはいけない、そういう財が社会的共通資本なのだと説いていました(図8)。

なぜ宇澤氏が財・サービスの提供にこだわるかというと、お金をあげてしまうと何に使うのかわからず、かえっていろいろな問題が起きるからです。むしろ、財・サービスで提供すべきだ、というのが社会的共通資本の考え方でした。それが通常の所得政策とは異なる観点です。
社会的共通資本に似た「ベーシック・サービス」との違いは、「豊かさの源泉」を資本と考え、「資本=富」と考えることです。豊かさとはストックです。豊かさは、GDPのようなフローでは表れないものです。GDPも大切ですが、それとさまざまな資産の組合せが「豊かさ」であると考えました。たとえば、道路などのインフラは、それが長期間維持されることで、はじめて持続的、安定的サービスを提供できます。単に、新しい高速道路や橋をつくるだけではなく、あとでどうなるかを考えないといけないのです。従って、「持続的で豊かなこと」とは、基礎的なインフラや社会的共通資本が維持できるようなGDPを確保できる水準を目指すということになります。
たとえばコロナ禍で保健所が足りないといわれました。それ以前に保健所の数を必要以上に減らしてしまったので、こうしたときに安定的サービスが提供できなくなり、国民に自粛を促すことで、必要以上にGDPが下がるわけです。こういったバランスの均衡を考えることが社会的共通資本なのです。こうした考え方は決して珍しいものではなく、Dasgupta report(2021)では、「豊かさの指標」として物的資本(非人的資本)、人的資本、自然資本を挙げています。
ただ日本経済の現状認識と、下村氏や宇澤氏の⾧期的視点にはギャップがあり、このギャップを強制的に埋めようとすると精神論に終始してしまいます。このギャップを埋める方策の一つが、デジタル化です。今回のコロナショックでは、財・サービスの補助がきめ細かくできないことが明らかになりました。日本では、経団連や農協といったグループを通じて補助を実施するシステムであり、そうしたグループからこぼれた非正規雇用者やひとり親家庭等といった人たちを捕捉できないのです。補助金をもらうのにも大変苦労する。個人からのアプローチには大変手間がかかるのです。だからこそ、デジタル化が必要となります。北欧諸国が強いのは、そういった給付のシステムがきちんと構築できているからです。
日本の事業者のテレワークの実施水準は20%台ですが、さらに上げる必要があります。ネックとなっているのは人事評価の公平性です。テレワークをしたい人は3割を超えていますが、人事評価が気になるのです。ここを変えることが重要です。
また、地方自治体と中央政府で共通のネットワークをつくり、そのうえで地方への外資誘致の促進や企業促進もおこなうことも必要です。宿泊業では、地方自治体、保健所、警察等々で違う書類を全部出さなければいけない。そのバックオフィスを節約するためにもデジタル化が必要です。現在、地方のテレワーク率は突出して低いので、早いデジタル化が望まれます。

5. 結語:明日に架ける橋

新しい資本主義を考える際に必要なことは、「確固たる骨太の長期的ビジョンとそれを繋ぐ工程」を考えることです。それは、官民を挙げてのデジタル化でしょう。各分野で新たな制度を考え、政策をデジタル化に乗せていくことが重要だと切に思います。

●質疑応答

Q 下村先生のゼロ成長論への言及がありましたが、日本としては、ロシア、イタリアのような低成長率を受入れざるを得ないのか、それともやはり成長は必要と考えるのか、どのように考えられるでしょうか。
宮川 下村氏のゼロ成長論は財・サービス市場の均衡を意識しており、そこを突破するイノベーションについては、あまり重きを置いていなかったのではないかと思います。しかし日本は省エネ等でかなり力を発揮しました。いまでも日本がイノベーションの力をある程度発揮することができれば、成長に対して悲観的になる必要はありません。克服すべき課題は、人材も含めてイノベーションの力を引き出すことだと考えます。
一方、宇澤氏は、社会に必要なストックのためにどれだけの投資をして、消費されるのか、それを集合した結果としてGDPが決まってくる、という考え方でした。そのため「どこを目標にするか」という視点はなかったと思います。生活に必要な行動をするためにどれぐらいのGDP水準が必要か、どう乗り切るのか、について計算しなくてはいけない、という考え方です。
そして、成長についていえば、私はやはりデジタル化への投資が重要と考えます。政府、地方自治体主導でデジタル化により新しい仕事をつくり、IT業界の構造改革を進める。その過程で、短期的にもGDPを増やすような地固めを行っていくことが必要です。

著者プロフィール

宮川 努 (みやがわ つとむ)

学習院大学経済学部 教授

1978年3月 東京大学経済学部卒業。1978年4月 日本開発銀行(現日本政策投資銀行)入行。1987年6月 ハーバード大学国際問題研究所客員研究員。1988年6月 エール大学経済成長センター客員研究員。1989年6月 日本開発銀行設備投資研究所主任研究員。1992年7月 日本経済研究センター主任研究員兼務。1999年4月 学習院大学経済学部教授(現在に至る)。1999年4月 日本経済研究センター主任研究員兼務(2006年3月まで)。2006年3月 経済学博士(論文博士)取得(一橋大学)。2006年7月 Center for Economic Performance, London School of Economics 客員研究員(2007年1月まで)。2009年4月 学習院大学副学長(2011年3月まで)。2010年3月 (一社)日本経済学会理事(2014年6月まで)。2015年4月 学習院大学経済学部長(2017年3月まで)。2015年5月 統計委員会委員(2021年10月まで)。2020年10月 日本学術会議連携会員(現在に至る)。
主要著書 『コロナショックの経済学』(編著) (中央経済社、2021年)、『生産性とは何か』(ちくま新書、2018年)、『インタンジブルズ・エコノミー』(淺羽茂氏、細野薫氏と共編)(東京大学出版会、2016年)、『Intangibles, Market Failure and Innovation Performance』(Bounfour氏と共編)(Springer、2015年)、『世界同時不況と景気循環分析』(浅子和美氏、飯塚信夫氏と共編著)(東京大学出版会、2011年)、『グラフィックマクロ経済学 第2版』(滝澤美帆氏と共著)(新世社、2011年)、『生産性と日本の経済成長 JIPデータベースによる産業・企業レベルの実証分析』(深尾京司氏と共編著)(東京大学出版会、2008年)、『長期停滞の経済学』 (東京大学出版会、2005年)、『日本経済の生産性革新』 (日本経済新聞社、2005年)、『失われた10年の真因は何か』(岩田規久男氏と共編著) (東洋経済新報社、2003年)