地域の現場から
福岡にてよく出会う2人
2024年6-7月号
2度目の福岡勤務で、誰かの案内のために行くメジャーな観光地めぐりは、もう2回り目以上。そうなると、一人の時間には、よりローカルな地元スポット―例えば、神社や温泉―を各地に訪ねるようになる。そのうちに気づいた。「あれ、以前もこの人にお会いしたな」と。「ああ、ここにもいらしてたんだな」と。その神出鬼没な人物とは、文字どおり、ちはやふる神代に近き伝説的エピソードを持つお2人である。
■神功皇后(じんぐうこうごう)
西暦でいえば200年代(諸説あり)。卑弥呼よりはずっと後の時代、古墳時代よりはずっと前の時代。第14代 仲哀天皇(日本武尊の子供)の皇后で、夫亡き後、第15代 応神天皇の即位まで、約70年間にわたり摂政として政務にあたった。100歳近く生きた。
九州には、仲哀天皇とともに、熊襲(くまそ)征伐のために来た。筑紫の香椎(かしい)宮に来て、天皇自身は崩御。その後、神功皇后は、朝鮮半島に出征して、馬韓(百済)、弁韓(任那・加羅)、辰韓(新羅)の三韓を従えたという。
筑紫から玄界灘を渡る際には、男装の妊婦であった。筑紫に帰国後、息子(応神天皇)を出産。宇美(うみ)や志免(しめ)の地名は、出産と育児の名残という。
香椎宮の祭神は、仲哀天皇と神功皇后。とても立派な枝ぶりのご神木は、三韓遠征から帰還した神功皇后がみずから植えたといわれる綾杉。
香椎宮のように神功皇后を直接お祀りしている神社には、当然、数々のゆかりがある。それ以外に、こんなところにも、という場所がいくつもある。
例えば、有明海に近い大川市にある風浪宮(ふうろうぐう)。その名のとおり海上守護にご利益のある神社。本殿の前には、阿曇磯良(あずみのいそら)の巨像がある。磯良は、海底の竜宮に住んで海亀に乗り、顔や体にアワビやカキがついている。神功皇后の三韓出征の際の海路の安全は、阿曇磯良からの擁護があったためという。現在も代々、阿曇さん家系が宮司をされている。
続いて壱岐にて(壱岐は長崎県だが福岡から船で70分)。壱岐には温泉がある。鉄・硫黄に塩分を含んだ黄褐色の珍しい天然かけ流し温泉。神功皇后が三韓出征の折に温泉を発見、我が子、応神天皇の産湯にその温泉を使わせた。先に、息子は筑紫で生まれたと述べたが、そのあたりの細かいことは、気にしないほうが、ありがたい気持ちで楽しめる。
■武内宿禰(たけうちのすくね)
神功皇后といつもセットで登場すると言っても過言ではない。活躍したのはもっと長く、第12代から第16代までの景行・成務・仲哀・応神・仁徳の各天皇に仕えた。神功皇后の三韓出征でも功績を残した。皇后の産んだ子供(応神天皇)を抱っこしている構図は美術品のモチーフになる。紀・巨勢・平群・葛城・蘇我など中央有力豪族の祖ともされる。
何より驚いたのは、その生存年齢。5代の天皇に仕えているので、寿命は300歳ぐらい。さすがにこれは細かいことでないように思えるが、そういうことになっている。
勢い長寿のご利益がある。香椎宮から少し歩く住宅街に「不老水」という史跡がある。武内宿禰の屋敷跡という。不老長寿の効能があるかどうかわからないが、名水百選のひとつ。(煮沸して)飲める。
また、久留米に筑後国一之宮である高良(こうら)大社がある。その一帯は高良山という小高い山なのでちょっとしたトレッキングになるが、筑後平野の眺めがとても良い。奥宮まで行ってみると、(飲める)湧水があり、武内宿禰の墓所とも伝えられる(他にも各所にある……)。ここはマイナスイオンがあふれ、静寂という雰囲気がピッタリする。駐車場まで降りてきたら、茶屋のところてんで喉を潤すのも良い。
「昼間の観光地が少ない」と自虐する向きもある福岡だが、その地域の歴史というものは、オンリーワンのストーリーであり、オリジナルな本質価値がある。
続けて、「古墳」と「元寇」についても、私なりの発見をお伝えしたいと思ったが、紙幅が尽きたようだ。
なお、今回紹介したお2人のエピソードには諸説があり、やや九州・福岡寄りになっているかもしれないことをご了承願いたい。