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財源問題の先送りは可能か?

2023年10-11月号

宇南山 卓 (うなやま たかし)

京都大学経済研究所 教授

岸田政権では財源に関する議論が先送りされているとの批判がある。防衛費増額では5年で43兆円が必要とされるが、支出に見合った恒久的な財源の目処は立っていない。異次元の少子化対策でも、目玉の児童手当の拡充を中心に年間3兆5千億円の追加的な予算が必要とされるが、こちらも財源は明示されていない。とはいえ、財源問題を先送りしようとする傾向があるのは岸田政権に限らない。持続的な支出が必要な政策を着実に実施するには、金額の面でも継続性の観点でも対応可能な財源の確保は不可欠であるにもかかわらず、議論は常に後回しだ。
財源確保とは、結局のところ増税などの負担増か他の政策を廃止するなどの支出削減であり、明白に負の影響を受ける人々を特定することだ。負の影響によって政策効果が打ち消されることもあり、政治的にも大きな摩擦が発生するのが不可避である。それに対し、とりあえず国債の発行によって支出をまかない、その国債を償還するまで誰が損をするのかを未確定のままにすることで負の影響を抑え、政治的にも政策実現を可能にしようという選択が財源問題の「先送り」手法である。
では、財源の議論を避けることで問題は「先送り」できているのであろうか? 現代の経済学のスタンダードで考えれば、その答えはノーである。なぜなら経済主体は将来のことを考慮して行動しており、政府が現時点で立場を曖昧にしても、将来どのような財源確保手段がとられるかを勝手に予想して現在の行動を決めてしまうからである。誰が損をするのかを曖昧にすることで政治的摩擦は先送りできても、財源がもたらす悪影響は先送りできない。さらに、摩擦を避けることにもコストがあり、家計や企業が将来を正しく予想することを困難にし、経済に不必要な混乱をもたらす可能性がある。
たとえば、児童手当の増額を国債発行で実現したとしよう。政府は、児童手当の恩恵部分だけを感じて、子供を追加で産んだり、教育支出が増加したりすることを期待するのだろう。しかし、政府が望むと望まざると、人々は財源がどのように確保されるかまで考慮して行動する。その場合には、いくつかのシナリオがあり得る。
第1のシナリオは、子育て世代は発行された国債を自分たちが償還することになると予期し、それ以外の人は関係がないと考えるようなケースである。この場合、子育て世代は、児童手当の増額はいずれ税などで相殺されると考え、行動を変化させないかもしれない。「将来の増税」と決めたのと同じ結果で、政策は実質的に無効化される。
第2のシナリオは、子育て世代は「将来の増税」を予想するが、現在の高齢者世帯は「すぐに増税される」と考える場合である。そうなると、子育て世代は行動を変えないうえに、高齢者まで消費を抑えてしまう。財源問題の「先送り」は、必要な財源以上の負担感を発生させ経済低迷の原因となり得るのだ。
もちろん、先送りされる財源を誰も自分の負担だと認識しない第3のケースもあり得る。そうなれば、児童手当の増額の効果だけを享受できるようにみえる。政府は、これを狙って「先送り」をしているのかもしれないが、このケースが実現する保証はない。
さらに、問題となるのは「先送り」した時点では、これらのうちどのシナリオが実現したのかが観察できないことである。児童手当の増額にはそもそも何の効果もないのか将来の負担によって相殺されたのかが判別できず、予期しない不況が発生してもその原因の特定は困難である。
人々が将来を考慮する合理的な存在であることを前提にすれば、政府にとって大切なのは「何をするか」ではなく「何をすると思われているか」である。財源問題を「先送り」することは政治的には容易かもしれないが、経済的には合理的な選択とは言えない。財源までを「一つの政策」とし、誰がどのような得をして損をするのかを明らかにして、透明性の高い政策を実行することこそが政府の責任である。

著者プロフィール

宇南山 卓 (うなやま たかし)

京都大学経済研究所 教授

京都大学教授、博士(経済学)。専門は日本経済論、家計分析、経済統計論、応用ミクロ経済学。東京大学大学院修了後、慶應義塾大学専任講師、京都大学講師、神戸大学准教授、一橋大学准教授、財務省財務総合政策研究所総括主任研究官、一橋大学教授を経て、2020年9月より現職。統計委員会臨時委員、社会保障審議会臨時委員。日本政策投資銀行設備投資研究所客員主任研究員、経済産業研究所ファカルティフェロー、財務総合政策研究所特別研究官。主著は『現代日本の消費分析:ライフサイクル理論の現在地』(2023年)。