World View〈ヨーロッパ発〉シリーズ「ヨーロッパの街角から」第44回

2024年パリオリンピック~カウントダウン、100日前~

2024年6-7月号

松田 雅央 (まつだ まさひろ)

在独ジャーナリスト

今年4月半ば、夏季オリンピック開催をおよそ100日後に控えたパリを訪れた。トライアスロンの水泳が行われるセーヌ川の水質や、都心で開催される開会式の警備の難しさなど、競技以外でも話題に事欠かない大会である。今回は開催準備の進むパリから、期待と不安の入り混じる現地の空気感をお伝えしたい。

清潔になったパリ

筆者が最初にパリを訪れたのはおよそ30年前。それから、折あるごとに足を運んでいる。言うまでもなく世界有数の観光地であり、まちづくりや交通政策でも特筆すべきものがある。2015年に起きた同時多発テロの話題を含め、本誌コラムでも何回か取り上げてきた。
思い返すと、パリの第一印象は必ずしも良くない。街がとにかく汚かったのだ。道路の植え込みや公園は散歩する犬のトイレ代わりで、飼い主がフンを持ち帰る習慣はほとんどなかった。筆者が住むドイツにも同様の悪習は残るが、レベルが違う。また、見た目は美しいセーヌ川の遊歩道も、排泄物の悪臭で閉口したことを覚えている。
それがここ10年くらいだろうか、街は断然清潔になり、その種の嫌な記憶がない。自治体と住民の意識変革のたまものと思われるが、比較的短期間でも都市の雰囲気は大きく変わるものだ。

水質は天気次第

そんな印象を持っていたので、セーヌ川で水泳が行われると聞いた時は、少なからず驚いた。街がきれいになったとしても、河川の水質が泳ぎに適するかどうかは別の話だ。
下水処理の能力強化が急がれており、主催者は至って楽観的だが、河川の水質は天候に左右される。特に、大雨が降ると未処理の下水がそのまま川へ流れ込んでしまう。水質を定期調査しているサーフライダー財団(最新調査は4月初め)によると、水泳が行われるアレクサンドル3世橋などの14地点中、天候にかかわりなく問題ないと判断できたのは、わずか1地点だった。
パリでは200年以上前から近代的な下水網の整備が続けられている。アレクサンドル3世橋にほど近いパリ下水博物館では、本物の下水道が見学順路に組み込まれており、下水の流れる様子を直接見ることができる。悪臭とまではいかないが、特有の匂いを放つ下水が流れ込む川での水泳は、正直、想像したくない。
ちなみに、1867年のパリ万国博覧会で催された下水道見学の展示資料には驚かされた。掘削技術や都市工学が当時の世界最高水準にあり、それを知らしめんとしたわけだ。以来、パリの下水道は観光スポットのひとつになっている。

野外古書店の戦い

セーヌ川といえば、歩道に居並ぶ野外古書店も有名で、風情あるたたずまいが街並みにアクセントを与えてくれる。ただ、警備上の理由から大会期間中の店舗撤去を求められ、店主らの反対運動に発展している。
アレクサンドル3世橋はパリ観光の起点であり、橋の上に開会式のメインスタンドが設営される。その近くで営業するローラさん(写真2)によれば「何とか計画は撤回されましたが、その結果を勝ち取るまで厳しい戦いでした! でも大会期間中に営業できるかどうかは、まだ決まっていません。営業制限はクレージーな話です!」
市民としてテロは怖くないのだろうか?「(オリンピックだからといって)特に心配はしていません。だって、今の世の中、いつどこでテロが起きてもおかしくありませんから」。テロの脅威と隣り合わせで生活するヨーロッパの現実を突きつけるコメントだ。

治安を守る

大会期間中の安全は、治安当局が威信にかけて守るはず。筆者が泊まったホテルのフロント係の意見は「不安はありません。軍隊が警備するから大丈夫です」。
そう。フランスでは日常的に兵士が主要施設や観光名所の警備に加わっている。筆者の知る限り2015年のテロ以来の措置で、今回もパリ北駅で迷彩服を着て軍用ライフルを抱える兵士がパトロールしていた。ちなみにヨーロッパでは、警官であっても自動小銃を持ってパトロールすることが珍しくない。
ノートルダム寺院前の広場でアイスをほおばる親子の脇を、完全武装の兵士が歩く姿はシュールだ。そんな光景を見るにつけ、安全の価値を再認識する。平和な国と地域に住んでいると、つい、そのありがたさを忘れがちだ。

観光都市の集大成

セーヌ川沿いには主要な観光名所が集中しており、開会式や各種競技を通して、その魅力が世界に発信される。現地を歩いてひしひしと感じたのは、観光都市パリが到達した頂点の姿を示し、例えばエッフェル塔が建設された1889年万国博覧会のように、世紀を超えて語り継がれる伝説を残したいという、政府の思惑だ。
主催者がさまざまなかたちで地域をPRしたいというのは当然だろう。しかし、都心開催へのこだわり(あるいは執着)は、生活との軋轢とセキュリティーの隙を生む。また現地から熱気が感じられず、草の根の盛り上がりに欠けるのも残念だ。
それでも、オリンピックの輝きはいつの時代も絶大である。オリンピックとパリの魅力がどのように融合するのか楽しみだ。

著者プロフィール

松田 雅央 (まつだ まさひろ)

在独ジャーナリスト

1966年生まれ、在独28年
1997年から2001年までカールスルーエ大学水化学科研究生。その後、ドイツを拠点にしてヨーロッパの環境、まちづくり、交通、エネルギー、社会問題などの情報を日本へ発信。
主な著書に『環境先進国ドイツの今 ~緑とトラムの街カールスルーエから~』(学芸出版社)、『ドイツ・人が主役のまちづくり ~ボランティア大国を支える市民活動~』(学芸出版社)など。2010年よりカールスルーエ市観光局の専門視察アドバイザーを務める。