『日経研月報』特集より
バイオコミュニティ関西(BiocK)が目指すもの
2024年8-9月号
1. はじめに
バイオコミュニティ関西(以下、BiocK)(注1)は、内閣府が策定したバイオ戦略(注2)に基づき2021年7月1日に設立され、2022年4月22日に内閣府より東京圏のGreater Tokyo Biocommunity(GTB)と共にグローバルバイオコミュニティに認定された。また、2024年4月現在で6カ所(北海道、鶴岡、長岡、広島、福岡、沖縄)のローカルバイオコミュニティが認定されている。
我々BiocKのアクションプランとしては以下の三点を大きな柱としている。
・イノベーションの促進
・ネットワーク形成促進
・国内外への情報発信
本稿ではBiocKが目指すものを概説する。BiocKの説明に入る前にバイオインダストリーの動向と内閣府が定めたバイオ戦略について概要を述べる。
2. バイオインダストリーの動向とバイオ戦略
バイオテクノロジーは医療、持続的な食の供給、環境・エネルギー分野での応用が期待されている。健康・医療に応用されるバイオテクノロジーを、健康な血の色から「レッドバイオテクノロジー」、一次生産等に応用されるものを「グリーンバイオテクノロジー」、そしてバイオ製造に応用されるものを「ホワイトバイオテクノロジー」と呼んでいる。ライフサイエンス関係のレッドバイオテクノロジーは再生医療・遺伝子治療などの新しい医薬品の概念、新しい医療機器の開発など比較的身近に見えやすい。グリーンバイオテクノロジーはゲノム編集技術の応用による育種の領域で大きな進展がみられている。近年大きく注目されているのは、環境・エネルギー分野で有用微生物を応用するホワイトバイオテクノロジーである。特に情報学とゲノム編集技術を活用したバイオファウンドリーといわれるバイオものづくりに大きな注目が集まっている。ただコストの面で化成品と対抗できるかが大きな課題として残っており今後の技術発展が望まれる。
2019年内閣府はバイオ戦略を定めて2020年に改定している。バイオ戦略の全体目標として2030年に世界最先端のバイオエコノミー社会を実現するとしている。バイオエコノミーとは再生可能な生物資源(バイオマス)やバイオテクノロジーなどを利活用した、持続的で再生可能性のある循環型の経済社会のことである。石油や石炭などの資源が枯渇し、その一方で人口が増加し、地球温暖化などの地球環境問題が深刻化していることを背景に、2009年にOECD(経済協力開発機構)によって提唱された。
内閣府は世界最先端のバイオエコノミー社会とは、以下の3つの要素が実現している状態であると想定している。
① バイオファースト発想
持続可能な生産と循環による政府が提唱するSociety 5.0 の実現のために、バイオに関する倫理的・法的・社会的問題について議論できる環境の下、まずバイオでできることから考え、行動を起こせる社会を実現する。
② バイオコミュニティ形成
経営者をはじめ社会を主導する立場の者から市民に至るまでバイオファースト発想が根付き、国際連携・分野融合・オープンイノベーションを基本とし、世界のデータ・人材・投資・研究の触媒となるような魅力ある国際的なコミュニティが形成される。
国際的なコミュニティが中核となり、各地域とのネットワークが構築され、ヒト・モノ・カネの好循環が生まれ、各々特色あるバイオによる持続可能な循環型コミュニティ・健康的な生活を送ることのできるコミュニティが形成される。
これらのコミュニティ群を、我が国のバイオエコノミー社会の姿として世界に示し、国内外から共感される「バイオコミュニティ」モデルを世界展開する。
③ バイオデータ駆動
バイオとデジタルの融合により、生物活動のデータ化等も含めてデータ基盤を構築し、それを最大限活用することにより産業・研究が発展する。
国際標準となる測定法・測定機器を生産システムに組み込み、世界で最も生物の活動をデータにできる国を実現する。
BiocKは、以上のバイオ戦略を策定し実行するために基本となる以下の5つの方針を設定している。
(1)市場領域設定・バックキャスト・継続的なコミット
新市場創出・海外市場獲得の視点から目指すべき社会像を描いたうえで、狙うべき市場領域を提示する。社会課題をコストとばかり捉えず、将来の価値に変えるという発想へ転換し、バックキャストによる取組みを提示のうえ、産学官が継続的に評価・対応する。
(2)バイオとデジタルの融合
市場領域・科学の発展に必要なビッグデータ収集・バイオデータ基盤構築の方向性と具体的施策の実行状況を評価するための定量的な指標を策定する。
(3)国際拠点化・地域ネットワーク化・投資促進
国際拠点を中核に、世界最高レベルの研究環境と海外投資も活用できる事業化支援体制を組み合わせ、優秀な人材、国の投資に比して桁違いの投資を国内外から呼び込める社会システムを整備する。
国際拠点と各地域をネットワーク化し、ヒト・モノ・カネの好循環を促進する。
(4)国際戦略の強化
制度・データ等の国際調和、通商政策との連携、知財・遺伝資源保護を図り、日本モデルを国際展開し、国際競争力を向上する。
(5)倫理的・法的・社会的問題への対応
ELSI(注3)への対応とイノベーションの両立の基盤となる、人文科学・社会科学系と自然科学系の共同によるELSI関連研究の振興と市民との対話を促進する。
産学官が協調したバイオファースト発想による街づくりを行う。
3. バイオコミュニティ関西(BiocK)
BiocKは先述の通り、内閣府が策定したバイオ戦略を実現するための基本方針に則り設立された。
BiocKでは、産業界はもちろんアカデミアおよび官界が共に協力してバイオテクノロジー分野の全体の連携を強化し、新たなイノベーションにつなげることを大きな目標としている。そのために産学官からなる委員会を組成している。
委員会の委員構成は経済団体として関西経済連合会、関西経済同友会、大阪商工会議所、京都商工会議所、神戸商工会議所、アカデミアとして大阪大学、京都大学、神戸大学、徳島大学、大阪公立大学、地方自治体としては大阪府、大阪市、兵庫県、神戸市、京都府、京都市、滋賀県、徳島県、鳥取県、奈良県、福井県、和歌山県、堺市、また国立研究開発法人医薬基盤・健康・栄養研究所、国立研究開発法人国立循環器病研究センター、国立研究開発法人産業技術総合研究所関西センター、国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構、国立研究開発法人理化学研究所、独立行政法人製品評価技術基盤機構、公益財団法人地球環境産業技術研究機構、株式会社国際電気通信基礎技術研究所、関西健康・医療創生会議、関西医薬品協会、日本貿易振興機構大阪本部、独立行政法人中小企業基盤整備機構近畿本部、一般社団法人ライフサイエンス・イノベーション・ネットワーク・ジャパン、一般財団法人バイオインダストリー協会の37団体で構成されている。その事務局はNPO法人近畿バイオインダストリー振興会議、公益財団法人都市活力研究所が担っている。
この委員会の下に分科会を組成し、産業界およびアカデミア中心のオープンイノベーションの仕組みを整えている。現在29の分科会が組成されている(図1)。
特に、産業界の皆様には頑張っていただき、産業界が捉える社会課題の解決に向けての社会実装のためのオープンイノベーションの仕組みを作ることに力を注いでいる(図2)。
産業界中心の日本型のコンソーシアムというのは今まで数多くの失敗例がある。どの会社もリーダーシップを発揮しないために他人事になり様子見になってしまう。そのために責任の所在がはっきりしない。
BiocKではこの点を払拭するためにトップマネージメントのコミットメントを得ることにした。この分科会のオープンイノベーションの仕組みを組成する際には、各社のトップマネージャーと面談して賛同を得ている。
各分科会では社会課題を解決するためのバリューチェーンを作る際にミッシングリンクがある場合にはスタートアップを創出する取組みも行っている。分科会同士の横連携も重要であり、全体を俯瞰する分科会、例えばスタートアップ分科会、パーソナルデータ分科会の活躍には大きな期待が寄せられている。
スタートアップを創生することはバイオコミュニティの大きな役割である。
また、BiocKでは知財戦略、事業戦略、財務戦略、海外展開など、その道の一流の27名のアドバイザーを揃え、ボランティアでアドバイスをお願いしている。これはスタートアップの創出はもとよりバイオベンチャー等の海外進出への大きなサジェッションになると考えている。
国内のバイオコミュニティとの連携は言うまでもないが、海外のバイオコミュニティとも連携機関として広いネットワークを構築している。
4. 魅力あるバイオコミュニティ
BiocKは国際的に通用するバイオコミュニティをつくり、世界に向けて情報発信を行い、海外展開および海外から資金、人材を呼び寄せる使命がある。
コミュニティづくりの成功の鍵はどういうものであろうか。海外人材を呼び込むこと一つでも簡単ではない。
行政主導の大型研究学園都市構想の失敗事例から学ぶことは数多くある。アメリカマサチューセッツ州ケンブリッジ市にあるケンドールスクェアは世界で最もイノベーティブな場所と称され、世界一のバイオ拠点に発展しているが、ハード面でのケンドールスクェアのコピーでは機能しない。まずは魅力ある街づくりを心掛けなければならない。
そのためには、
① 職住融合(働くだけの街から生活を楽しむ街へ)
② 利便性(交通・買い物・娯楽など)
③ 多様性(国籍・言語・教育施設・異文化共生など)
にも十分に考慮する必要がある。
重要なのは世界的なバイオコミュニティづくりは街づくりと表裏一体の関係にある点である。
また、クラスターマネジャーの資質が大きく問われる。海外のようにクラスターマネジャーはコミュニティの顔として長くその職に留まりリーダーシップを発揮する必要がある。加えてコミュニティの顔が見えるリーダーとして域内各機関と交流することが肝要である。
筆者が政府に要望したいのは優秀なクラスターマネジャーをアサインするにはそれ相応の対価を支払う必要があるという事である。
5. スタートアップ創生とエコシステム構築
バイオコミュニティの大きな役割の一つとしてフラッグとなるスタートアップの創生と域内のエコシステムを構築することである。
筆者は優れたスタートアップは優れた研究(研究者)が基本となり、意欲のある投資家と出会うことから始まると確信している、例えば、1976年に設立されアメリカカリフォルニア州サンフランシスコに本社を置くバイオベンチャー企業のパイオニアであるジェネンテック社(Genentech Inc.)は、現在、売上規模では日本最大の製薬会社である武田薬品工業を上回る。
ジェネンテック社を創立した研究者であるハーブ・ボイヤーと投資家であるボブ・スワンソンとの出会いがジェネンテック社を創生した。
カリフォルニア大学サンフランシスコ校の教授だったハーブ・ボイヤーは、スタンフォード大学の教授であったスタンリー・コーエンと共同して、大腸菌の中で目的とする遺伝子を発現させるためのDNA組み換え技術を、1970年代前半に開発しDNA組み換え技術を応用可能なものにした。
一方、アメリカマサチューセッツ州ケンブリッジに本社を置くバイオジェン社(Biogen Inc.)は1978年に設立されバイオテクノロジー分野では最古参の会社の1つである。創業者としてウォルター・ギルバート、フィリップ・シャープ、チャールズ・ワイズマンがいる。彼らがスイスにおいて3名の投資家と共に設立した。ギルバートはDNAの塩基配列を直接読めるマクサム・ギルバート法を開発して、1980年にノーベル化学賞を受賞している。
我が国は基礎研究力の低下がいわれて久しい。注目度が高い論文数の国際順位も低下をたどり、2000年には4位だったところ、2018年には10位にまで低下している(桜井林太郎 朝日新聞デジタル 2021年8月11日 14時00分)。新型コロナウイルス研究での研究力低下はさらに深刻であり、論文数、被引用数においても15位以内には入っていない(2021年デロイトトーマツ COVID-19関連研究動向の国際比較)。新しい課題に対応できないことが露呈された。
平成5年はスタートアップ元年といわれスタートアップ設立に政府の手厚い後押しがみられたが、短期的な実用化指向に囚われずに同時に基礎研究力の向上を図らなければならないと感じる。
ともかく、アメリカにおいてはサンフランシスコベイエリア、サンディエゴエリア、ボストンマサチューセッツなどでジェネンテック社、バイオジェン社の成功事例により、成功者によるコミュニティが形成され、さらに次のスタートアップ企業、次の起業家へとつながるエコシステムがうまく回っている。我が国も製品を生み出せるスタートアップの成功事例をいくつも作ることによりエコシステムをうまく機能させる必要があると考える。
バイオ産業は従前より、日本市場だけを見てガラパゴス化してきたきらいがある。
まず海外への販路開拓をしていかなければならない。海外企業とのアライアンスを考える際には自社、自国に知財権を持ったままどのように相手と交渉するかにある。バイオベンチャーのエグジットはIPOだけではない。M&Aされるのも大きなエグジットである。近年各企業は独自のベンチャーキャピタル(CVC)を持ち、良い研究シーズを探索し投資している。なかなか進まない大企業とは違い動きの軽いスタートアップを利用する訳である。成功事例を自社の中に取り込もうと努力をしている。
6. ライフサイエンスにおけるオープンイノベーションに必要な人材とは
最近必要性がいわれているオープンイノベーションをうまく機能させるには、いわゆるプロデューサー人材(インタープレナー)の育成が今の日本では最も重要である。私も前職では人材育成には苦労した。日本のライフサイエンス企業では、研究の面白さだけでなく、知的財産的視点、経済的視点などの多角的側面から技術の良し悪しを素早く見極めることのできる人材が不足しているといわれている。今後、コミュニティではこのような人材、しかもグローバルな視点を持ったオープンイノベーションのための人材を育てる必要があろう。
グローバルな視点を持った人材というのは世界動向を迅速且つ正確に把握し、世界中のアカデミア・バイオベンチャーの情報を得、交渉できる人材である。これは従来の事業開発担当部員とは異なった能力も必要となる。特に強調したいのは、オープンイノベーション=コミュニケーションマネジメントであることである。必要なのは「心の動き」を感じ取る修業を積むことである。
・「自分の心」の動き。
・「相手の心」の動き。
・「集団の心」の動き。
を如何に読み解くかが重要なスキルとなる。
オープンイノベーションとは基本的に一流の人の頭を使って考えるということである。
海外のベンチャー企業はとにかくプレゼンテーションがうまい。多くの日本のバイオベンチャー企業と違い、聞き手の創造力・想像力をかき立てるようなプレゼンテーションを行う。反面、チャンピオンデータを強調するきらいもあり、このあたりをきちんと評価する必要がある。
誤解して欲しくないのは、製薬企業においても研究をきちんとできる人の育成は必要である。それをしないと外部研究の正当な評価を得ることは不可能である。上手なプレゼンテーション、論文に簡単に騙されてしまうだけである。
政策大学院大学名誉教授・東京大学名誉教授黒川清、一橋大学名誉教授石倉洋子によれば、これから必要とされるグローバル人材は、以下の5つの「力」を兼ね備えることであるという(注4)。
① 現場力(読んだり、聞いたりした話から判断するのではなく生で体験・行動し、自分の目と耳で得た情報から判断する能力)
② 表現力(単なる語学力ではなく、まず自分なりのメッセージをもち、そしてそれを多くの人に伝える能力。また他者と意見を闘わせたいという意欲)
③ 時感力(時間や順序に対して敏感であり、必ずどんな形でも物事を達成するまで詰める能力)
④ 当事者力(常に「自分」は何ができるか、何をすべきかを考え、行動に移し、結果を求める能力)
⑤ 直観力(ものの本質を見極める力。複雑な状況の中で、押さえるべき「ホット・ポイント」を見出し、そこに集中する能力)
私はこれらの要件は、グローバルな視点を持ったオープンイノベーションのための人材に非常に重要であると考える。ただ言うは易く、行うは難い。各社このような素質を持った人材は数少ないと思われる。このような人材は必ずしも理科系出身である必要はない。文科系出身でもゲートキーパーとしては理科系人材以上に力を発揮する場合も数多い。コミュニティはこのような素質を持った人材を見つけ出し、育成する必要がある。
以下の知性をそなえて、非常に多様化した専門家を統合できる人を育成することが急務である。
① 思想、② ビジョン、③ 志、④ 戦略、⑤ 戦術、⑥ 技術、⑦ 人間力
今後これらをそなえた人材が活躍し、日本のライフサイエンスのみならず日本全体のオープンイノベーションが促進されることを期待する。
7. 今後大切なこと
コミュニティにおいて大切なことはヒト、モノ、カネを海外から呼び込み、日本のバイオテクノロジーをグローバル化し、海外に日本のバイオ産業、バイオテクノロジーのプレゼンスを如何に示していくかにある。また次世代を担う人材育成も大きな鍵である。
今後我々の継続的な努力と共に皆様の一層のご理解ご協力ご支援を期待している。
(注1)https://www.biock.jp
(注2)https://www8.cao.go.jp/cstp/bio/bio2020_honbun.pdf
(注3)ELSIとは、倫理的(Ethical)・法的(Legal)・社会的(Social)な課題(Issues)の略称。新規科学技術を研究開発し、社会実装する際に生じうる、技術的課題以外のあらゆる課題を含めて対応すること。
(注4)世界級キャリアのつくり方:20代、30代からの「国際派」プロフェッショナルのすすめ 黒川清,石倉洋子著 東洋経済新報社 2006年5月