World View〈アジア発〉シリーズ「アジアほっつき歩る記」第105回
マレーシア人が住みたい街~タイピン~
2024年8-9月号
マレーシアにはこれまで何度も訪れているが、“マレーシア人が一番住みたい街”と友人から教えられた「タイピン」には行ったことがなかった。今回はマレー半島中部の街、タイピンの魅力を、タイピンの旅を通じて紹介してみたい。
150周年を迎えたタイピンを歩く
ペナンから車でタイピンへ向かった。当初はバスで行く予定だったが、バスだと街から10㎞以上離れたバス停で降ろされ、そこから自力で行かないといけないと教えられ、知り合いの紹介で車に乗せてもらい、華人オーナーが経営している湖畔の宿へ向かった。タイピンといえばタイピン湖。その景色を楽しむリゾート地として知られている。宿代はそれほど高くなくて嬉しい。
気持ちよい朝を迎えるとすぐに湖まで出かける。このゆったり感、何とも言えないリゾート感。道路に大木が倒れ掛かり、その間を抜けて行くのは何とも愉快な気分になれる。特別の何かがあるというわけではないが、多くの市民、旅行客が楽しそうに散策しており、さすがマレーシアで一番住みたい街に選ばれるだけのことはあると感じられる。
街中には漢字が非常に目に付く。広東会館などと書かれた同郷会館がいくつも見える。古びて味のある建物が多く、ちょっと時間が止まったような雰囲気もある。マレーシアでも華人が多い街タイピンは、今年で街が開かれて150周年だという。1874年に炭坑開発で街ができ、華人が労働者として大量に入植したと聞いた。
勿論イギリス人も入って来た。1915年に建てられた立派な英国式学校を見つけた。湖の反対側には初期のタイピンでイギリス人などが居住した場所もあり、古い住居やクラブなど植民地的な建物も残されている。さらには教会なども見え、その先には立派な刑務所があった。向かいにはもっと立派な博物館まである。
1883年に建てられたという博物館の展示は豊富で見応えがあった。実は刑務所はそれより早い1879年に出来ているというから、ちょっと面白い。近所の墓地には第二次大戦中に亡くなった、マレーシア、オーストラリア、インドなどの兵士の墓が並んでいる。よく見ると年齢は若く、半分ぐらいは氏名不詳だった。戦った相手は日本軍であろう。
旧市街地を歩くとムスリムモスクやヒンズー寺院が目に入る。福建会館など華人系の建物があるかと思えばその先にはまたモスクがあり、大きな学校もあれば、その向こうの教会も立派で、かなり混沌とした雰囲気が漂う。100年以上前、この街は今より賑やかで、さらに混沌としていたのではないか。
この地では長距離バスは役に立たないと分かったので、次の訪問地イポーには列車で行くことにした。タイピン駅、何とここがマレーシア初の鉄道敷設地、鉄道駅であると書かれていて驚く。駅舎は新しくなっているが、その横には今や食堂となっている旧駅舎が残っている。新駅舎でイポー行きのチケットを手に入れた。
タイピンは、暑くても何となく散歩を続けてしまう街。湖の裏道を通ると、周辺には古い家が並んでいる。昔の別荘のような木造家屋もあるが、今やだれも住まず、手入れもしていないので、荒れ果てていた。何だかもったいないな、ここに住もうかな、などと思わせてしまう雰囲気がある。そのうちマレー系が住民となるのだろうか。
クアラセペタへ
この地に住む華人が“さあ、いこう”と言って車を走らせる。どこへ行くのかと思っていると途中でいきなり炭焼き工場に入っていく。何でもここで作られた炭を日本企業が購入して、日本へ運んでいるのだとか。それでわざわざ寄り道してくれたらしい。150年前、森林を開拓して炭坑が掘られたことと関連があるのだろうか。
それから30分ほど行くと、なんと海に出た。クアラセペタ、中国名は「十八丁」というらしい。何とここはミニ観光地になっており、簡単な宿泊施設やレストランがある。週末はここから、鷹に餌をやったりホタルを見たりするボートクルーズなどが出ており、結構賑わうという。ただ平日の夕暮れ時、人影はほぼない。
この地にもマレーシアで最初に鉄道が敷かれた駅があった。ということは、午前中に見たタイピン駅はここと繋がっていたのだ。炭坑から出た物を鉄道でここへ運び、船で外へ出していたということだ。往時の重要拠点、今は誰も顧みない駅の名残。そこには『PORT WELD 1885』と刻まれていた。
雨が降り始めたので急いで帰る途中に古いお寺があり、その横に比較的新しい、大きな船の模型が飾られていた。何となく明代初めに中東まで7度の大航海をした鄭和(ていわ)を祭っているようにみえる。まさかここまでやって来たのだろうか。数百年前は未開の地だと思っていたが、実は歴史があるのかもしれないと思うと、ちょっとワクワクする。
タイピンの美食
フードコートにはさまざまな料理が並んでいる。ミーレブスというマレー系の麺を食べてみると、かなりスパイシーなカレー麺。中国語では吉霊麺と書かれていて、ちょっと神秘的な名前だった。コーラを飲みながら流し込む。カレー麺といえば、華人の街イポーで以前美味しい汁なし麺を食べた記憶があるが、やはり日本人にとっては華人系料理が口に合うようだ。いずれにしても、インドと中国の食文化の融合を象徴するカレー麺、如何にもマレーシアらしい一品だろう。
美味そうな海南チキンライスを見かけた。思わず座って食べると実に旨い。店員はマレー系の若い女性で英語が通じなかったので、とりあえず5リンギ札を渡したら、0.5リンギのお釣りをくれた。まさかと思ったが、僅か日本円にして140円だった。タイピンはKLなどと比べて物価も安い。これなら毎日くるよ、と思いながらこの素晴らしい街を後にした。