Viewpoint
日本に欠けていたもの ~長期停滞の背景~
2024年8-9月号
資本主義は人々の諸々の欲求を原動力に効率的で成長性に富んだ経済を実現してきた。但し、国民の意識の中で、皆の生活の共通基盤となる公共施設や環境を協力して整備しようという意欲、言うならば「公欲」部分が弱いと、衣食やレジャー等、フロー面で個々人の豊かさは実現できても住・環境・文化・福祉・安全等に関わる社会資本ストックの拡充は行き届かず、国民生活の真の向上は期し難い。需要不足で経済も停滞する可能性がある。
1980年代を迎える頃から今日に至る迄の日本は公欲欠如の悪しき典型である。
時間を70年代末に戻すと、当時の大平正芳政権は田園都市国家や文化の時代の構築をテーマとし、社会資本投資を重視した成長路線をとり、石油危機で悪化していた財政に関しては国民が広く負担する一般消費税を導入しようとしていた(同内閣策定の新経済社会7ケ年計画での年平均成長率:GNP5.7%、公共投資6.9%)。高度成長でフロー面での豊かさを実現した後、更なる豊かさを実現する為の最重要課題は社会資本ストックの拡充である。それを、財政を立て直しつつ世界に冠たる経済力を活用して追求しようというのであるから、時代の流れから見ても、大平構想は、これ以外にない正論であった。
が、公欲薄き国民は理解を示さず、大平政権は79年秋の総選挙で敗北、その後なんとか政権を維持した首相が翌年6月に殉職のような死を遂げると、政治の世界では国民負担を伴う社会資本拡充路線は後退する。89年に消費税は何とか導入されたが、目玉の政策は行革・民活・規制緩和・民営化等、聞こえが良く国民負担の無いタイプが主流となった。国民に負担を求めにくい小選挙区制の導入(96年)はこうした傾向に拍車をかけた。
かかる状況に高齢化や不況による政府消費支出の増大も加わり、各所から「民間で出来る事は民間に」、「土建会社が儲かるだけ」、「コンクリートから人へ」といった声があがるなか、経済活動に占める公共投資の水準は40年前より大きく後退(対GDP比:80年度9.4%→20年度5.7%)、この40年間の実際の公共投資は80年度並みのGDP比を保持した場合に比べ累計で6百兆円も少ない。これだけの社会資本が、もし、国民の旺盛な公欲から選び抜かれて列島に蓄積されていたなら、日本は現状に比し格段に便利で安全で文化的で美しい国になっていた筈である。身近な例で言えば、電線地中化でアジアの主要都市からも大きく後れをとるようなことはなかっただろう(東京23区の無電柱化は未だ8%)。一貫して安定雇用を生みつつ、そして、おそらくバブルでスルこともなく、である。
現実は違った。内需の低迷に見舞われた80年代の産業界は60~70年代同様かそれ以上に輸出に活路を求め、折からのドル高にも乗って膨大な黒字を稼いだ。努力を重ねた製造業が成し遂げた快挙だが、マクロ的にはむしろそれが仇となり、日本経済はプラザ合意→円高不況→低金利策→巨大バブル発生→その崩壊という経路を辿って平成長期不況へと突き進み、令和の時代となった今日でも低迷から抜け出ていない。問題は経済領域に留まらない。景気や雇用の悪化による将来不安は国民各層の財布の紐を固くし、それが更なる低迷を呼ぶという悪循環を生み、こうした状況は婚姻率や出生率の深刻な低下にも繋がって、昨年の出生数は73万人、出生率1.2。このままでは民族消滅の危機を招来しかねない。
日本は70年代、米国の識者から「21世紀は日本の世紀」、“Japan as No.1”等と評された国である。そのような国が逆に超長期に亘って経済不振に陥り、社会資本の充実も果たせず、少子化も危険な水準に落ち込んでしまった。痛恨の極みと言う他ない。これには、高度成長で三種の神器的豊かさが実現された後、国民の間に新たな時代にふさわしい欲求としての公欲が残念にも育たなかったことが大きく作用している。
繰り返しになるが、公欲の低さは、まず、時の日本にとり最重要課題と言えた大平政権の社会資本拡充策を退け、後の歴代政権をこの分野から遠のかせ、間接的ながらバブル経済を生んだ。評価は分かれようが、今世紀に入ってからも社会資本整備の一大資金源、郵貯を利回り本位の民間資金にシフトさせた。
大平路線からコースアウトして45年、日本は何故に先人の努力も含め折角築き上げてきた経済力を国民生活の豊かさに繋げられず、逆に苦しんでいるのか、我々は過去を振り返り、再生の手掛かりとすべきである。