明日を読む

オリンピックが促すデジタル革新

2024年10-11月号

関口 和一 (せきぐち わいち)

株式会社MM総研代表取締役所長

100年ぶりにパリで開かれた第33回オリンピック競技大会(パリ五輪)が成功裏に幕を閉じた。コロナ禍で無観客開催だった東京五輪から一転し、チケット販売数が五輪史上最多の約950万枚に達するなど大きな賑わいを見せた。筆者もテレビ観戦では物足りなくなり、会期終盤に急遽、現地を訪れた。前職の記者時代からオリンピックで登場する最新技術を取材するため、これまでも会場を訪れていたからだ。
最初は1996年開催の米アトランタ五輪だ。インターネットが登場してから初のオリンピックで、ネット技術が注目された。放送画面にネット情報を重ねて表示する「インターキャスト」という技術をインテルが投入。マイクロソフトも米大手放送局のNBCと共同でニュース専門局の「MSNBC」をこの年に設立した。
次の大きな技術革新が2012年のロンドン五輪だ。スマートフォン登場後初のオリンピックとなり、携帯端末で他の競技をチェックしながら観戦する観客の姿が目立った。技術を担ったBT(ブリティッシュテレコム)は、8万人が入るスタジアムで約1万6000人が同時にスマホを使えるよう、指向性のあるアンテナで観客それぞれに電波があたるようにした。
2021年に開かれた東京五輪でも数々の新しい技術が登場した。トヨタ自動車の電気自動運転バス「e-Pallete」が選手を無人で送迎したり、体操の判定には富士通の判定支援システムが使われたりした。会場の入退管理ではNECの顔認証システムが使われ、様々な自動化が進んだのが東京五輪の特徴だった。
そして今回のパリ五輪で最も注目されたのが「ChatGPT」で話題を呼んだAI(人工知能)技術だ。国際オリンピック委員会(IOC)はパリ五輪の開催に先立ち、今年4月に「オリンピックAIアジェンダ」と名付けたAI活用指針を発表、オリンピック競技に広くAIを取り入れていく方針を打ち出した。IOCのバッハ会長は「パリ大会はスポーツ分野へのAI活用を促す道筋となる」と強い意欲を示した。
IOCが公表したAI指針は5つの項目からなる。具体的にはAIを使った有望な選手の発掘や選手に合わせたトレーニングの最適化、審判の公平性の確保や人員コストの削減、選手に対するネット上の誹謗中傷をAIで阻止することなどだ。ほかにも競技のベストシーンをAIで瞬時に抽出したり、様々な角度から3D映像を見られるようにしたり、スポーツ観戦を一層楽しくするためにAIが使われた。
IOCの方針を受け、最上位スポンサーのインテルは、センサー技術を使った競技データの収集や活用、8Kライブ放送による視聴体験の向上などにAIを活用し、チャットボットでアスリートや来場者の滞在支援なども行った。インテルのAI技術はセネガルなどで有望な選手候補の発掘に大きく役立ったという。
AIの使い方で今回注目されたのがAIスポーツキャスターの登場だ。AIなら競技の進行に合わせてリアルタイムで解説でき、視聴者の好みに合わせた解説やハイライトの提供などもできるようになる。著名キャスターの声を模した解説も可能で、米NBCユニバーサルは米国のベテランキャスター、アン・マイケルズの声をAIで再現し、視聴者の話題を呼んだ。
しかしスポーツ分野へのAIの活用は一方で新たな課題も引き起こす。体操などでは微妙な角度や回転などの判定にAIが活躍するものの、美しさの評価といった点では人間の審判の審美眼が求められる。もしAIと人間が異なる判定を下した場合、そのどちらを優先すべきかといった問題も起きてこよう。
AIは簡単に映像も作成できるため、優勝選手の顔を別人に差し替えるなどフェイクニュースの発信もできるようになる。ネット上の様々な偽情報を人間が瞬時に見分けるのは非常に難しく、そうしたチェックを任せる技術としてもAIの活躍の場が広がるだろう。
個人的には今回のパリ五輪で便利だと感じたのはネットとスマホによる情報サービスだ。チケットは日本から簡単に公式サイトで購入でき、転売の仕組みも用意されていた。関心のある競技や選手を登録しておけばリアルタイムで様々な試合情報を送ってくれた。その意味ではオリンピックはスポーツの祭典ではあるが、様々なデジタル革新を促す重要な場だといえよう。

著者プロフィール

関口 和一 (せきぐち わいち)

株式会社MM総研代表取締役所長

1982年一橋大学法学部卒、日本経済新聞社入社。1988年フルブライト研究員として米ハーバード大学留学。英文日経キャップ、ワシントン特派員、産業部電機担当キャップなどを経て、1996年から編集委員を24年間務めた。2000年から15年間は論説委員として情報通信分野などの社説を執筆。2019年(株)MM総研代表取締役所長に就任。2008年より国際大学GLOCOM客員教授を兼務。NHK国際放送コメンテーター、東京大学大学院客員教授、法政大学ビジネススクール客員教授なども務めた。1998年から24年間、日経主催の「世界デジタルサミット」の企画・運営を担う。著書に『NTT 2030年世界戦略』『パソコン革命の旗手たち』『情報探索術』(以上日本経済新聞社)、共著に『未来を創る情報通信政策』(NTT出版)『日本の未来について話そう』(小学館)などがある。