生物多様性が育む輪島塗ブランド ~トレーサビリティで持続可能な地域としての復興を~

2024年10-11月号

鵜殿 裕 (うどの ひろし)

株式会社日本経済研究所産業戦略本部産業調査企画部 上席研究主幹

2024年1月1日に発災した「令和6年能登半島地震」により、お亡くなりになられた方々に対しまして、心より哀悼の意を表しますとともに、被災された皆様に対しても、心からお見舞いを申し上げます。

1. はじめに

株式会社日本経済研究所が協力した株式会社日本政策投資銀行のレポート「「地域ブランド」としての輪島塗の確立を~「輪島塗再興会社」設立の提案~(注1)」(以下、DBJレポート)が2024年7月31日に公表された。同レポートでは、日本商工会議所が作成した2023年度地域力活用新事業創出支援事業「地域ブランド活用に関する調査研究事業」実施報告書「各地域における地域ブランドを活用した地域経済活性化の取り組みについて(注2)」等に基づき、域内外からヒト・モノ・カネを呼び込む「地域ブランド」となるためには、「潜在力」、「企画力」、「組織力」、「販売力」の4要素のうち、特に価値を担保する仕組みとなる「企画力」が重要であり、それが「販売力」へとつながって、輪島塗をはじめとする伝統的工芸品が産業として持続可能になると指摘している(図1)。

本稿では、価値を担保する仕組みが、産業としての持続性のみならず、生物多様性の確保、ひいては持続可能な地域経済社会の構築にもつながることを、輪島塗を題材にして検討する。

2. 輪島塗ブランド

漆器は、japanとも呼ばれる日本を代表する工芸品であり(注3)、中でも輪島塗は、1975年に伝統的工芸品、1977年には全国の漆器産地に先駆けて重要無形文化財に指定されるなど、その堅牢な塗りと加飾の優美さで高く評価され、広く知られている。
その高いブランドの源泉は、天然の「漆」、木地となる「木材」、地元の小峰山から採取される珪藻土を焼成粉末化した「輪島地の粉」(わじまじのこ)といった材料に加え、124にもおよぶ全国でも他に類を見ないほどに細分化された製造工程とそれによって研ぎ澄まされた職人の高い技術である。そのため、伝統的工芸品としての輪島塗は、天然漆の使用、「輪島地の粉」の塗布、輪島市での製造等といった要件が法律で定められている。
伝統的工芸品以外の輪島塗もあるが、これらの要件に合致している輪島塗は、より高い付加価値を獲得する可能性が高い。しかしながら、使用すれば違いが分かるが、一般の消費者が伝統的工芸品である輪島塗であるかどうかを直ぐに見分けることは難しい。指定された技術・技法・原材料で製造され産地検査に合格した伝統的工芸品に貼られる「伝統証紙」を活用することも考えられるが、現時点で、輪島塗にそうした動きはない。
DBJレポートでも「能登の復旧復興に向けた応援意識も手伝って能登産であることが訴求力を持っているが、効力が消失していかないように提供価値を明確にし、高い品質等を保つための仕組みが必要」と指摘されているが、付加価値を高める手段がある以上、積極的に取り組み、活用していくことが重要である。
漆についても、農林水産省「特用林産物統計調査」によれば、2022年で国内生産量は1.8トン、自給率は6.9%に留まり、需要のほぼ全てを輸入に頼っている状況である(図2)。古くから漆は輸入されており、国産漆より必ずしも質が劣るものではないかもしれないが、漆器が日本を代表する工芸品であることから、国産の漆を使用し、それを証明することで、付加価値を高めることも考えられる。

職人が持つ高い技術についても、匿名ではなく顕名にすることで、商品の差別化に活用することができる。また、自己実現欲求を叶えることにもつながるため、働くことの意味が多様化している現代において、後継者の確保にも貢献しよう。

3. 生物多様性との関係

輪島塗の競争力の源泉となっている「漆」、「木材」、「地の粉」といった材料は、いずれも輪島の豊かな自然がもたらしてきたもので、持続可能な形で生産され続けるためには、環境との調和が必要であり、生物多様性が強く求められる。
生物多様性にはさまざまな側面があるが、我が国が1993年に締結した「生物の多様性に関する条約」では、「すべての生物(陸上生態系、海洋その他の水界生態系、これらが複合した生態系その他生息又は生育の場のいかんを問わない)の間の変異性をいうものとし、種内の多様性、種間の多様性及び生態系の多様性を含む」と定義されている。多種多様な生物がお互いにつながりをもって存在していることを意味し、それ自体に大きな価値がある。また、これにより、自然環境が健全に保たれ、食料や水、燃料、医薬品原料など多くの資源が供給されることで私たちの社会経済活動が支えられており、この構造は輪島塗も同様である。
「漆」のためにはウルシの木の育成が不可欠であり、「木地」のためには健全な森林資源が求められる。「地の粉」にしても自然環境の保全がなければ良質な珪藻土を安定的に供給することは難しくなることから、これら要素は全て深く生物多様性と結びついている。そして生物多様性を確保するために重要な取組みがトレーサビリティ(Traceability)である。

4. トレーサビリティの重要性

トレーサビリティとは追跡可能性であり、資源の採取から消費までの全過程を追跡し、その履歴を明確にすることである。これにより、対象となる製品・商品等がどのような環境でどのように生産されたかを把握することができ、生物多様性の確保に大きな役割を果たす。
例えば、森林伐採のトレーサビリティを構築することで、違法伐採を抑制し、森林生態系の保全に寄与することができるなど、持続可能な資源管理を実現することができる。
それだけではなく、その製品・商品等がどのような経路を経て消費者の手に渡るのかを明確に示すことで、生物多様性に配慮した選択を行いやすくなり、消費者の信頼性を高めることができる。
ほかにも違法取引の防止などが想定されるが、最も大きな効果は、明示することが難しかった非経済的価値を経済的価値に置き換えることが可能になることである(図3)。

これまでも製品・商品等の高付加価値化を目的に、新たな機能を追加する研究開発や設備投資などが行われてきた。地球温暖化を含む生物多様性崩壊の危機が広く認識されるにしたがって、生物多様性の確保を目指してトレーサビリティに取り組むことが、研究開発や設備投資などと同様に、製品・商品等の付加価値を高める手段ともなる状況が形成されている。
輪島塗においても、トレーサビリティに取り組むことで、ブランドの源泉となる材料の適切な利用を担保するだけではなく、個々の職人の技術の高さを見える化することにもつながり、場合によっては、その技術を高めるモチベーションにもなるものと考えられる。

5. 持続可能な地域の構築を

トレーサビリティをはじめとする価値を担保する取組みは、製品・商品等の付加価値を高めるだけではなく、地域の稼ぐ力を維持・拡大するための手段としても有効である。
地域の経済は「生産→分配→支出」と流れる所得の循環によって成り立っており、この循環をより強く、より太くすることで、持続可能な地域経済社会を構築することができる。そして、製品・商品等の付加価値を高めることができるように、価値を担保する仕組みの構築に取り組むことで、地域で循環する所得の規模を大きくすることにつなげていくことができる。

例えば、ワインの銘醸地を保護するために始まったフランスのAOC(Appellation d’Origine Contrôlée:原産地統制呼称制度)は、ワインの価値のみならず、地域の価値をも高め、ワインツーリズムの対象地域としてのブランドとなっている。輪島塗においてもトレーサビリティの取組みを進めることで、産地への関心が更に喚起され、かつ、職人の工房も目的地としての訴求力が高まり、域外から人を呼び込み、消費を獲得するという稼ぐ力の拡大に貢献すると考えられる。また、トレーサビリティなどの価値を担保する仕組みにはデジタル技術の導入が不可欠であり、それに取り組むこと自体が、地域に新しいクリエイティブ的な産業を創出し、地域の所得循環を強く太くする可能性がある。

6. おわりに

輪島塗は、輪島市を代表する地域資源であり、トレーサビリティで価値を担保する仕組みを構築することは、地域全体に大きな裨益をもたらす取組みである。
一方、輪島市には、有形無形の地域資源が豊富にあり、生物多様性とも関係が深い第1次産業は農林漁業のいずれも域外から所得が流入する移輸出産業である。令和6年能登半島地震で多大な被害を受けているが、道路や港などのインフラ復旧に伴い、回復が期待される。その意味では、豊かな食文化を背景にアメリカで最も住みたい都市といわれるようになったポートランドのように、将来的には、豊かな日常生活そのものが同市の産業基盤ともなる可能性がある。その時に、輪島塗が豊かな日常を代表する産業として存続しているかどうか、復旧から復興に至るここ数年が重要な転換期であろう。
輪島塗が、トレーサビリティを通じて生物多様性に貢献すると同時に恩恵を受け、地域を代表し、地域に裨益する資源として持続的に育まれ、復興のシンボルともなるよう、業界・地域をあげた価値の見える化への積極的な取組みが期待される。

(注1)株式会社日本政策投資銀行北陸支店レポート「「地域ブランド」としての輪島塗の確立を~「輪島塗再興会社」設立の提案~」https://www.dbj.jp/upload/investigate/docs/3d400c4fe5c80a98a9ab78248b578652.pdf
(注2)日本商工会議所「2023年度地域力活用新事業創出支援事業「地域ブランド活用に関する調査研究事業」実施報告書「各地域における地域ブランドを活用した地域経済活性化の取り組みについて」」(当社調査受託)https://www.jcci.or.jp/file/chiiki/202405/2023brand.pdf
(注3)17~18世紀にかけてヨーロッパに輸出された日本の漆器が非常に高く評価され、その結果「japan」という言葉が漆器を指す一般的な名称として使われるようになったことに由来している。

著者プロフィール

鵜殿 裕 (うどの ひろし)

株式会社日本経済研究所産業戦略本部産業調査企画部 上席研究主幹

1993年日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)に入行、運輸省(現・国土交通省)出向、富山事務所長などを経て、2017年に日本商工会議所地域振興部出向、20年4月より当社出向。