『日経研月報』特集より
航空産業におけるイノベーション人材育成への挑戦~「航空イノベーションアカデミー2024」を通じて~
2024年12-2025年1月号
1. はじめに
一般社団法人航空イノベーション推進協議会(以下、AIDA)は、航空業界における技術・政策・産業等に関するイノベーションを推進することを目的に、2018年10月に活動を開始しました。2024年3月時点で正会員・賛助会員あわせて136者、公共会員14団体を有しています。航空機製造事業者、航空会社、空港会社、総合商社、金融機関など、航空業界に関係する多様なプレーヤーが参加している点が特徴です(注1)。
現在、世界の航空産業では、カーボンニュートラルの実現、低高度・中高度の空域活用の拡大、空港運営や航空管制の高度化・省人化、レジリエントなサプライチェーンの構築などのニーズに対応すべく、さまざまな新技術の開発や導入が進められています。これまで航空産業のイノベーションは主にエアバスやボーイング、大手航空会社などの大企業が国家から資金面・技術面で支援を受けながら進めていく形が一般的でしたが、近年では新型の航空機開発や新たなソリューション開発に挑戦する多くのスタートアップ企業が世界各地で立ち上がり、業界におけるイノベーションの担い手となっています。また自動車産業などの異業種からの参入も増えており、宇宙産業ではじまったダイナミックな市場や産業構造の変化が航空産業にも起きつつあります。大きな環境変化が到来するなか、日本の航空産業はどういった目標を掲げ、どのような戦略を持ってイノベーションに取り組んでいくべきでしょうか。
AIDAでは、これまで日本における航空イノベーションを推進するため、国内外の最先端の情報を提供するセミナーの開催や具体的な方策を検討する研究会の実施などに取り組んできました。日本の航空産業の更なる発展のためには、イノベーションを推進する人材の育成が必要との考えのもと、2023年に業界横断的な人材育成の場として「航空イノベーションアカデミー」を設立しました。このアカデミーでは、航空業界に所属する中堅・若手を主な対象に、航空産業の歴史や業界に関する幅広い最新トピックスを、産官学の第一線の講師陣から多角的に学ぶ機会を提供しています。2023年と2024年の2回にわたり開催し、合計で60名を超える社会人や学生が受講しました。参加者の所属は、製造業、航空会社、空港会社、総合商社、保険会社、リース会社、コンサルティング会社、国立研究開発法人、業界団体、大学など多岐にわたっています。
本稿では、航空業界でのイノベーション推進を担う人材に求められる知識や能力について取り上げるとともに、イノベーション人材を育成するための具体的な取組みとして航空イノベーションアカデミーの活動を紹介します。2024年のアカデミーの概要やプログラム内容を詳しく解説することで、アカデミーがどのようなコンセプトで企画・運営されているのかを明らかにします。業界横断的な人材育成の場作りを目指す方々にとって参考となれば幸いです。
2. 航空産業におけるイノベーション推進を担う人材に求められる知識・能力
航空産業は大きな変革の時を迎えています。水素・電動航空機、ドローンや空飛ぶクルマなどの次世代エアモビリティ、超音速機、翼胴一体型のブレンデッドウィングボディ機など、さまざまな新しい航空機の開発が世界各地で進められています。また、そのほかにも持続可能な航空燃料の導入促進、製造・運航などバリューチェーン全体でのデジタル技術の活用、空港におけるロボティクスや自動運転車両の導入、エアラインによるメタバースやMaaSなどの新規事業開発など、業界全体で多くの新しい取組みが立ち上がっています。
高い水準の安全性が求められる航空産業では、新しいテクノロジーの導入に時間がかかる傾向にありますが、世界の航空需要が拡大するなか、より効率的かつ安全な航空輸送システムを実現し、また脱炭素をはじめとする業界全体の課題を解決するため、イノベーションに取り組んでいくことが強く求められています。
特定分野の専門性の枠を越え、イノベーション推進を担う人材に求められる知識や能力は多岐にわたりますが、ここではその中でも特に重要と考えられるものを4つ紹介します。
① 航空産業の歴史と現在への深い理解
イノベーションは、現状に疑問を持ち、より良い未来を実現するためのビジョンを構想することから始まります。そして、未来を考えるには、産業の過去と現在を深く理解する必要があります。日本の航空機開発に関して言えば、戦後7年間の空白期間を経てどのように現在の地位を獲得してきたか、海外メーカーとどのように連携してきたか、どのような成功・失敗事例があったのか、またその背後にはどういった歴史的・構造的背景があったのか、現在の強み・弱みは何か、といった知識を持つことなしに、目指すべき未来の産業像について建設的に考えることはできません。
これはエアラインや空港などほかの業種にも当てはまります。また、エアラインや空港の歴史は航空機開発の歴史と密接に結びついているため、それぞれの歴史について、つながりを意識して学ぶことが求められます。複雑に絡み合う歴史の糸を統合した業界地図を自分の頭の中に持つことが、イノベーションに取り組むうえでまず必要です。
② 業界の最新動向を学び続ける習慣
航空産業の歴史は今こうしている瞬間にも更新され続けています。多くの重厚長大な産業がそうであるように、航空産業もかつては変化のスピードが緩やかでしたが、近年では世界各地でスタートアップ企業をはじめとする新しいプレーヤーが登場しています。また、それに呼応して伝統的なプレーヤーもコーポレートベンチャーキャピタルやアクセラレーションプログラムなどを活用して、積極的にオープンイノベーションに取り組んでおり、業界全体でダイナミックな変化が起き始めています。
航空産業の中心は歴史的に欧米にあるため、変化の波を捉え新たな取り組みを構想するには、国内だけでなく海外の最先端の動向に常に目を配る必要があります。オンラインツールの発展により海外の情報にアクセスしやすくなっているため、若手のうちからグローバルな視座を持ち、国内外の最新動向を常に収集する習慣を身につけることが重要です。また、日本という島国ではどうしても国内に留まりがちですが、積極的に海外に出て、実際に自分の目と耳で海外の動向を捉えることも大切です。
③ 航空システム全体を俯瞰する視野
航空産業は、産官学の多様なプレーヤーが密接かつ複雑に関係するエコシステムから成り立っています。航空機やエンジン製造にかかわるメーカーと運航を担うエアラインを軸として、ルール策定や産業政策を司る各省庁などの行政機関、国研や大学などの研究機関・専門機関、航空機の運航を支える空港や航空管制に関連する業務を行う企業、更には銀行・リース・保険などの金融機関など、さまざまなプレーヤーが存在します。新しい技術を導入し、航空イノベーションを推進していくためには、国内外の多様なステークホルダーとの連携・協調が不可欠です。
昨今では特定分野の専門性が重視されがちですが、専門的な知識だけでなく、航空システム全体に対する俯瞰的な視野も同じように重要です。航空機開発を専門とする人材は、航空機の設計や要素技術に関する知識を深く追求するだけでなく、航空機の運航を担うエアラインや空港側のニーズや制約、ファイナンスする金融機関の考え方なども意識することが求められます。もちろん航空システムの安全性を維持するという観点においても、設計から、製造、運用、維持にわたるライフサイクル全般の理解が必要なことはいうまでもなく、スポーティーゲームとも呼ばれる航空産業の事業リスクを理解するうえでも俯瞰的な視野を持つことが必要です。
例えば、現在エアバスを中心に開発が進められる水素航空機を社会に実装するには、技術的な開発だけでなく、水素を供給するインフラ全体のデザインやファイナンスの仕組みづくりも同時に検討していかなければなりません。事実、エアバスは世界各地のさまざまなエアライン、空港、リース会社と提携し、それぞれの視点から課題の洗い出しや対策の検討などを進めています。
④ 業界横断的なネットワーク力と対話力
業界に対する深い知識と俯瞰的な視野を持っていても、業界内の人的ネットワークがなければ、未来への構想を具体的なアクションへとつなげることはできません。そもそも新たな構想を練り上げるプロセスの中でも、業界関係者との対話は必須です。
先に述べた通り、航空業界は産官学の多様なプレーヤーが関わる幅の広い産業ですが、国内の各プレーヤーが日常的に対話できる緊密な関係が築けているかというと、必ずしもそうではないように思われます。日本は市場規模に比して海外よりもプレーヤーの数が多く、また人的な流動性も低いことが、サイロ化を招いている一因と考えられます。特に中堅・若手のうちは社内向けの業務も多く、外に出る機会が限られていることも理由のひとつでしょう。
そのため、キャリアの早い時期から積極的に社外に出て、業界内でのネットワークを一個人として構築していくことが重要です。航空業界の多様なプレーヤーとの交わりは、自身の視野を広げ、航空機産業全体に対する好奇心を深めます。また、将来イノベーション創出に挑む際の仲間づくりにもつながるでしょう。
3. 航空イノベーションアカデミー2024
ここまで航空イノベーションを推進する人材に求められる知識や能力について述べてきましたが、このような人材が登場してくる環境をどのように整えていけばよいかという問題意識から、「航空イノベーションアカデミー」は誕生しました。イノベーションを推進する力を短期間で身に付けることは不可能ですが、アカデミーへの参加を通じて、受講生一人ひとりの中にイノベーションに挑むための基礎とマインドセットが形成されることを目指しています。ここからは2024年に実施したアカデミーの内容を事例に、アカデミーが実際にどのように企画・運営されているかを紹介します。
① 航空イノベーションアカデミー2024の実施概要
表1の通り、航空イノベーションアカデミーはAIDAが主催するプログラムで、日本政策投資銀行グループをはじめとするさまざまな関係者からの協力を得て、企画・運営されています。
アカデミーの開催期間は約3か月間で、大きく3つのタームに分かれ、1タームあたり3回の講座で構成されます。最終回も含めて講座数は全10回で、各回約2名の講師が登壇するため、全体で約20名の講師からの講義を受けることとなります。講座の時間は基本2時間で、受講生が比較的参加しやすい金曜日の18:00~20:00を中心に開催されます。2時間の間に、講師から業界の最新動向についてレクチャーを受けるとともに、大学のゼミに近い形式で講師と対話を行う時間も設けられています。
募集する受講生数は、約30名と受講生同士で顔の見える関係が築きやすい人数設定としています。参加対象は業界に属する中堅・若手で、近い世代同士の関係構築の機会となることが狙いです。オンライン配信はなく、全編が対面での開催のみとなります。
② 航空イノベーションアカデミー2024のプログラム内容について
航空イノベーションアカデミー2024のプログラムの詳細は、表2の通りです。先に述べた通り、3つのタームから構成されますが、各タームの内容についてより詳細に解説します。
まず第1タームですが、産業の未来を構想するためには、産業の歴史と現状をまず知ることが重要という考えのもと、日本の航空産業を主に機体開発の視点から学習します。戦後の空白の7年間を乗り越えるべくYS-11の開発やエンジンの国際共同開発などさまざまな挑戦が行われてきた歴史を体系的に学ぶとともに、その中でどのような産業政策が検討されてきたのかについて講義を受けます。過去を学び、また現在の産業の立ち位置や海外との違いを知ることで、日本の航空機産業が直面する課題を明らかにしていきます。歴史的な経緯と現在の産業構造について理解した後は、未来について考えるための情報を提供していきます。より具体的には、脱炭素を中心に業界内で大きなゲームチェンジが起きようとしていること、世界各地で新たな航空機や要素技術の開発が進められていること、そのなかで日本としても産業の発展のためにさまざまな政策が進められていることを、政策立案の最前線にいる講師陣よりレクチャーを受けます。第1タームが終わるころには、受講生の頭の中に航空産業の見取り図が描かれている状態を目指しています。
第2タームでは、航空機開発から離れ、運航とインフラ側のトピックスに視点を移します。日本の国内エアライン産業はどのような状況にあるのか、海外と比較してどういった非効率が存在するか、地域航空を活性化するにはどうしたらよいか、また新規事業創出に向けてどのような取組みが具体的に行われているか、など幅広いテーマを学んでいきます。また、空港や航空管制を軸とする航空インフラに関しては、人手不足が顕在化するなか、拡大する航空需要に対応すべく、近年進められている新しい取組みについて、解説を受けます。先に述べた通り航空機開発を行うベンチャー企業が世界各国で登場していますが、インフラ側でも、空港民営化事業者、次世代エアモビリティの運航管理システム開発事業者、エアラインの運航改善ソフトウェア開発者など新しいプレーヤーが存在感を示し始めており、ダイナミックな変化が訪れています。実際に新たな挑戦を進める事業者や研究者から取組紹介を受けることで、航空産業における変化の波を感じ取るとともに、自らが変化の担い手となるにはどうしたらよいかという問題意識を抱くきっかけとなればと考えています。
最後の第3タームでは、航空産業のエコシステム全体に視野を広げて、さまざまなプレーヤーがそれぞれの立場でどのようにイノベーションに取り組んでいるかを学習します。具体的には、ドローンや空飛ぶクルマなどの次世代エアモビリティの現在地や今後の展開、民間エンジンアフターマーケット市場の現状と課題、航空産業におけるデジタル技術活用の重要性と必要性、航空機向け素材の革新、航空機電動化によって新たに登場するビジネスチャンスへの挑戦、など多岐にわたるトピックスを業界の第一人者の講師陣より解説いただきます。このタームを通じて、受講生は航空産業が多様なプレーヤーから構成されていること、各所でさまざまな挑戦が行われていること、そしてそれらの取組みは全てつながっていること、そして全体としてのつながりを理解せずに新たな取組みを構想することはできないことを実感します。
全タームを通じて、航空業界におけるプロフェッショナルとはどういった人材か、また個人としてどういった挑戦をしたいのかが講師陣より投げかけられます。3か月間の開催期間中、受講生は今後の自分のキャリア形成や仕事に対する向き合い方についても思いを巡らせることとなります。
③ グループワークについて
講義部分は講師からのインプットが中心になりますが、受講生がアカデミーから得た学びをアウトプットする機会として、グループワークの時間を設けています。開催年によって異なりますが、2024年は第2タームの最終回とプログラム全体の最終日にあたる10回の計2回実施しました。
グループワークを行う狙いは、学んだ内容を実際にアウトプットすることで頭の中に定着させること、言語化する機会を提供することで航空業界の課題を自分事として捉えるきっかけとすること、さまざまな企業から参加するほかの参加者との共同ワークを通じて業界を超えて対話することの楽しさや難しさを実際に体験すること、にあります。
実際のグループワークでは、5人1組のチームに分かれ、与えられたテーマについて3時間程度のディスカッションを行います。特に最終回は、各受講生が航空産業における課題を自ら定義し、その課題を解決するイノベーティブなソリューションを考えてくるという事前課題を個別に行ったうえで、その内容をチーム内で共有し、最も優れた提案を選び、更にそれをチーム全員でブラッシュアップする分厚い構成となっています。最後には全体発表会を行い、優秀チームを選定します。このプロセスを体験することが、受講生一人ひとりのキャリアにおいて貴重な経験になるものと考えています。
広くて深い航空産業の全てのトピックスをわずか3か月の期間で網羅的にカバーすることは不可能ですが、卒業後も特別講義や視察会などを開催し、継続的な学びと交流の機会を提供しています。2024年も「防衛産業における最新動向」と「ホンダジェットの開発」をテーマに2度の特別講演会を開催しました。こういった活動を通じて、このアカデミーがひとつのコミュニティとして形成され、航空業界でイノベーションを推進するために継続的に活動していく土台となればと考えています。
4. おわりに
業界横断的な人材育成の場づくりを進めることはAIDAにとっても新たな挑戦でした。2年間の運営と企画を通じて、こういった場の必要性を改めて強く実感しています。変化し(Volatility)不確実で(Uncertain)複雑(Complexity)で、曖昧(Ambiguity)なVUCAと呼ばれる先の読めない時代だからこそ、産業の歴史と現在をしっかりと学び、業界全体を俯瞰する視野を持って、広いネットワークを構築し続けることが重要と考えています。本稿で紹介した航空産業が抱える課題や新たに登場しつつあるイノベーション、そしてそれを担う人材に必要な知識やマインドは、全ての産業に共通するものです。本稿をきっかけに、業界横断的な学びと交流の場が他の産業にも立ち上がっていくことを願っています。
最後に本アカデミーに協力いただいている共催・後援団体、日々の企画・運営に尽力くださっている事務局の方々、そして受講いただいた皆様に、厚く御礼を申し上げます。皆様方の理解と協力なくしてはこのアカデミーは成り立ちません。これからも日本の航空産業の発展のためにともに挑戦していきましょう。
(注1)一般社団法人航空イノベーション推進協議会AIDA Web(https://aida.or.jp/)