『日経研月報』特集より

イノベーションのためのアブダクション思考

2024年12-2025年1月号

紺野 登 (こんの のぼる)

多摩大学大学院 教授

(本稿は、2024年9月18日に東京で開催された講演会(オンラインWebセミナー)の要旨を事務局にて取りまとめたものである。)
1. はじめに
2. 構想力の欠如
3. 創造の論理とアブダクション
4. アブダクション思考
5. ジャーナリングのすすめ
6. 後記

1. はじめに

今日は、私たちの思考の根底に通じるものとしての「アブダクション」を考えていきます。アブダクションとは何でしょうか。一言でいえば、従来の論理分析的思考、あるいは実証主義的・エビデンス思考とは異なる、新たな視点・概念を発見・創出する思考法です。複雑で不確実性が高く、イノベーションが求められるこの時代にこそ必要な思考法です。
2018年に一橋大学名誉教授の野中郁次郎先生と『構想力の方法論』(日経BP社)を上梓しました。日本の「失われた30年」から脱却するために、長く停滞してきたイノベーションへのニーズが出てくるわけですが、私はそもそも構想力をうまく発揮できなかったことがイノベーションの停滞を招いたのだと問題提起しました。イノベーションに必要なものは、何と言っても「構想力」です。実は、世界のイノベーションの最前線にいるのは伝統的企業です。そうした企業が時代を捉え、自己革新を行い新しい価値を創造しています。伝統と革新による持続性が日本が持つ強みであるならば、もっと日本にイノベーションが起きていいはずなのですが、この30年間停滞しているのは、構想力の重要性に目を向けてこなかったからでしょう。
イノベーション経済といわれる時代には、経営者に本質的能力として構想力が求められます。大きな革新や大きな変化の氷山の一角としてイノベーション活動があり、そのバックグラウンドに構想力があって、はじめて価値実現手段としてのイノベーション活動が活発化します。また、官僚主義的組織文化では機能しないため、個々人の自律的な知を集積させることが鍵となります。そこで、個々人におけるアブダクション思考の実践がハイライトされるわけです。創造の思考、論理としてのアブダクションは、単に技法や手法ではありません。それは皆さんの内発的な力です。そのためには、日々のフィードバックのためのジャーナリングが有効です。

2. 構想力の欠如

1970~80年代にかけて、日本企業は世界を席巻しました。特にアメリカの自動車市場は、日本の自動車産業によって壊滅的な打撃を受け、アメリカ製造業の成長率は1990年代初頭にマイナスになります。そして1980年代から、日本的経営に対するリバースエンジニアリングが始まります。1990年代当時、日本的経営やケイレツの研究者がアメリカのどの大学にもいるほど研究されていました。1985年に産業競争力議会が公表した『ヤングレポート』では、イノベーションに関する積極的な提言を次々と行い、米国企業は急速に回復していきます。その頃から、日本企業について研究を深める過程で、「日本人は、新しいコンセプトを与えられると非常な強みと創造力を発揮してモノをつくるが、どうも新しいものを自分たちの手でつくり出す構想力はないようだ。」と考えられるようになり、日本脅威論は徐々に影を潜めていったといわれています。
その後登場したのが、カリフォルニア型イノベーションモデルとしての「オープンイノベーション」です。つまり、日本的経営に対するリバースエンジニアリングの結果として、イノベーション時代の経営がやって来たのです。しかし、日本は1970~80年代の大成功の経験に囚われすぎて次のフェーズにうまくシフトできず、失われた30年を過ごしてしまったということになります。
ここで、先述の構想力が大事になってきます。構想力のある経営者は、自らの構想をもってビジネスに参入します。スティーブ・ジョブズは、インタビューで「僕らが世の中を変えることができ、世の中に影響を与え、他の人が使える独自なものを構築できるのだ。」という考えのもと、一人ひとり、そして組織が構想力を持つ重要性を説きました。この考え方は、アメリカにとって「時代の思考」といえます。こうした経営者がたくさん出てくることで、アメリカの産業は、大量生産、重厚長大の思想からシフトしていきます。
では、イノベーションにおける構想力とは何でしょうか。アントレプレナーやイノベーターは、まず現実認識(観察・洞察)を行い、あるべき状態を見定めることから始めます。その次に、目的を明確にします。しかし「現実界」と「目的界」には必ずギャップがあります。それを埋めるために必要になるのが「知識創造プロセス」です。現実の暗黙知の世界から新たな知を生んで知の生態を変えていく、つまり、暗黙知と形式知の相互変換を行います(図1)。この知識創造プロセスをドライブするのが、構想力です。

構想力は3つの力からなります。想像力(過去・現在・未来にわたるパースペクティブ)、主観力(周りの人も含めた自分たちが何をやりたいのかという意思や動機)、実践力(現実をどう変えるかの実践的知識)です。そのエンジンとなっている創造の論理が、「アブダクション」です。

3. 創造の論理とアブダクション

冒頭で少し触れましたが、アブダクションは単なる思いつきの方法ではなく、デザイン思考を含めた近年の経営思考(構想力経営)の根幹となる原理です。そこで、企業経営における構想力とアブダクションとの繋がりについて、IMS(イノベーション・マネジメント・システム)等の国際規格を例に解説します。
私は、大学教員の傍ら、一般社団法人Japan Innovation Networkの代表理事を務め、IMS国際規格審議会の代表メンバーとして活動しています。2024年9月10日にISO56001というIMSの認証規格が発行されました。この規格は、例えば、政府や金融機関からイノベーション融資を受けたい時や投資のデューデリジェンスを行う時など、いろいろな場面で活用できる共通言語になります。2018年にはナレッジ・マネジメントのISOが発行されましたが、経営全体の標準が管理型から創造型になっている証左といえます。
しかしISOを軸にしたマネジメントシステムといっても、目指したい未来や実現したい価値に向けてどういうイノベーションを起こしたいのかというスコープと構想力がなければ実現できません。そのためには、新しい視点や考え方を根底にした「組織変革」が重要となります。つまり、目指したい未来や実現したい価値を、短・中・長期で見抜く力が必要であり、そこで要請されるのが、構想力です。構想力がないとブラインドスポットだらけで、これまでの延長線にしかなりません。経営の世界でもこのように、構想力とアブダクションが繋がっているのです(図2)。

アブダクションの考え方を辿ると、科学的発見における創造の論理である科学哲学史に行き着きます。新しいアイデアの生成には、アイデアが生み出される過程(発見の論理)と、論理的に吟味・正当化していく過程(論理的分析)の2つのプロセスがありますが、伝統的に前者は軽視されてきました。
ビジネスの世界も同様です。アイデアを生み出す際、発見の思考プロセスよりも事業化のツールやテクニックに目が向きがちになります。しかし、発見のプロセスは重要であり、そのための理論としてビジネスにおいてもアブダクションが重要となるのです。
次に、既知の情報や事実から新しい結論や判断を導き出す思考プロセスである「推論」に関し、具体的にみていきます。デカルト以来数百年、科学は「帰納法」と「演繹法」の2つの論理からなるとされてきました。観察・実験の積み重ね(帰納)から理論が生まれ、その理論を用いて推論(演繹)します。しかしその前に仮説的な発想がある、と古代ギリシャの哲学者であるアリストテレスは主張します。この考えは長く歴史的に軽視されてきたのですが、20世紀になって掘り出したのが、アメリカの哲学者C・S・パースです。このパースが、アブダクションという言葉を掲げました。
「演繹法」はロジカルシンキングと似た考え方です。一般的原則があり、そこから特定の結論を導き出します。“人間は死ぬ。ソクラテスは人間である。よってソクラテスは死ぬ。”という三段論法です。正しさを検証するためになくてはならない推論ですが、新しい情報は創出されません。人間は死ぬという前提を認めたらそれでおしまいです。確実性は高いのですが、新たな創造はありません。
次に、特定の観察を積み重ねながら一般的な結論、理論を導き出す「帰納法」です。“観察した全ての白鳥は全部白い。よって、全ての白鳥は白い。”しかし白鳥の中にブラックスワンがいると、全ての白鳥は白いという推論は崩れます。
そこでもう1つ大事な推論が、「アブダクション(仮説推論)」です。最も合理的な説明を強引に推測するのです。“地面が濡れている。雨が降ったのだろう。”しかし、地面が濡れているのは、水を撒いたからかもしれません。現代は、複雑な出来事が起こり、先を推論することが難しいからこそ、アブダクション的思考が大事になってくるのです。
伊東俊太郎先生の論文『科学理論発展の構造』に、「創造的思考の本質は新たな観点の発見である。」とあります。すなわちポイントオブビュー(以下、POV)、アブダクションから仮説を立て演繹する、つまり、アブダクションから生まれたPOVを仮説として、事例で検証し、帰納的に観察したうえで、アブダクションで修正するといったサイクル(アブダクション→演繹→帰納)を回すことで、創造的思考を成立させます。
アブダクションは、限られた眼前の事実から未知の状況について最善の説明となる仮説を導き出す創造的思考法であり、ベストアンサーを考えることです。また、アブダクションは、観察された事実、既存の論理では通用しない状況で、別の世界や領域から何かを取り込んでくる、アブダクト(誘拐)する創造的な推論ともいえます。特に不確実性が高い状況下での発見や判断に役立つ、最良の説明への推論といえます(図3)。

前述の通り、ビジネスの世界では、演繹思考や帰納思考が主で、アブダクション思考(デザイン思考)が欠けていることが多いのです。これらの推論の論理を企業経営にあてはめて考えてみます。例えば、日本企業が海外の学者の戦略論を自社の経営の前提にすることがあります。これは演繹法による考え方で、現状の戦略を確認するには有効ですが、そこからは新しい戦略は生まれずイノベーションに繋がるとは限りません。ほかの例として、企業の中期経営計画の1ページ目に「〇〇調べ。市場は2030年にこうなる。」といったグラフがよく出てきますが、これも演繹法で、その市場予測が大前提となるため、それを崩すような戦略は出てきません。一方で帰納法は、いわゆるエビデンス・ベースド・アプローチであるため、これにより生まれた仮説を検証することで理論は生まれますが、経営の世界ではエビデンスによる理論構築には時間がかかるために、再現性の証明は現実的ではありません。ここで、どうしてもアブダクションが大事になります。なぜならアブダクションは、仮説形成とフィードバック、ピボッティング(※1)を繰り返すために現実の戦略を創発するからです。現実からの戦略を創発する意味で、アブダクションは大変有意義なのです。
アブダクションが起こる背景に、暗黙知の働きがあります。20世紀の科学哲学者であるマイケル・ポランニーは、我々には「暗黙的に知る」という行為が働いているといいます。科学の世界では、当時、発見は演繹と帰納からなるとされており、主観性・創造力・暗黙知といったクリエイティブな要素は入っていませんでした。これらの要素を入れることは科学の世界では厳しく批判されていましたが、それにチャレンジしたのが、ポランニーです。例えば、アインシュタインの相対性理論は想像力の産物であると述べました。そして、我々の直感は、知性や論理的思考に先回りして、新たな統一や価値をもたらすのだという暗黙知のコンセプトを打ち出したのです。暗黙知は、我々の知識世界の90%以上を支配しているといわれます。この暗黙知から出てくる考え方が、アブダクションです(図4)。

4. アブダクション思考

イノベーションは、言い換えれば「試行錯誤するという仕事」です。このイノベーションに必要な試行錯誤をうまく繰り返していくための思考法が、アグダプション思考です。
アブダクションには間違い主義という面があります。日本は失敗することを嫌う傾向がありますが、これはイノベーションの世界には向いていません。「失敗」を「ポジティブ・フィードバック」に変えていく意味でも、アブダクション思考をイノベーションのベースに持つことは必要です。例えば、日本ではロケット打上げに失敗するとすぐに謝罪記者会見を行いますが、米国のSpaceX社は失敗するたびに資金が集まります。失敗は学習過程であり、失敗をすることが価値になっています。失敗したら隠すのではなく、ポジティブ・フィードバックを価値に換えているのです。
次に、実践的なアブダクションについてご説明します。C.S.パースは、経験に基づいて実践的価値を追求する「プラグマティズム」の創始者でもあり、記号学の祖の1人でもあります。パースが研究したのが、兆候から本質を直観する探索的推論で、実用的な知のあり方です。例えば、猟師が森に入り、木の皮が剝がれているのを見て(記号:兆候)、「皮を剥ぐのは鹿(猟師の現実世界の知識)である」がゆえに、猟師はそこに鹿の存在(対象)をイメージする、といった一連の思考です。この論理的思考は実践的アブダクションといえます。この方法を実践することで象徴的な人物が、シャーロック・ホームズです。彼はちょっとした兆候からとんでもない結論を導き出します。この発想もまさにアブダクション思考なのです。
また、アブダクションは、AI社会に必須の思考法です。Explainable(説明可能な)AI(XAI)は、AIの決定や予測を、人間が理解し解釈できるようにする技術や手法で、人間のソフトの面で研究されています。得られた結果(対象)から背後にあるロジック(因果関係)を説明し、エビデンス(記号)と全体の関係を推論し知識化します。そのために、XAIの分野では、アブダクションを基にした研究が進んでいます。そのほかにも、不確実な状況で意思決定する手法であるOODAモデル(※2)や回転軸を意味する先述のピボッティングなど、われわれの周りにはアブダクション思考を基にしたさまざまなモデルが登場しています。
アブダクション思考のためのポイントを5つ挙げます。兆候を見逃さない、異端に目を向ける(見逃さない)、直感だけに頼らない、自分の経験のデータベースを活用する、そして、目的を忘れないことです。

5. ジャーナリングのすすめ

最後に、アブダクションと共に活用する技法としての「ジャーナリング」についてお話しします。ジャーナリングは、日記とは異なります。両者は似てはいますが、ジャーナリングはリフレクション理論に基づく自己のポジティブフィードバックシステムの構築であり、自分の行動や思考の「ログ」を取ることによって自身のデータベースを構築し、さまざまな発想を目的に繋げていく技法で、アブダクションと非常にマッチングがいいのです。
毎日15分間のジャーナリングで、自信に繋がり、困難に立ち向かうモチベーションが急上昇するという研究結果もあります。ピーター・ドラッカーは、ジャーナリングを非常に重視し、これを50年以上続けました。ローマ皇帝だったマルクス・アウレリウスの『自省録』はビジネスマン教養本の定番ですが、単なる日記ではなく、リーダーとしての自己フィードバックのためのジャーナリングといえましょう。
時間には、客観的な時間と主観的な時間があります。日常的な時間の流れは、客観的時間です。パッと何かに気が付いて永遠を感じる、これは自分の深層に触れる刹那であり、主観的時間です。ジャーナリングは、その2つの時間のクロスポイントに出てくるようなログをきちんと取ることです。これを貯めておくと、新しいPOVが開けるのです。イノベーションは、急には起こりません。目的のために日々の小さな努力を積み重ねるダイエットに似ているかもしれません。
例えば、9ヶ月間の観察、ジャーナリング、フィードバックによって目的を達成する伝統的習練などがあります(図5)。多くのスタートアップは、このような手法を活用し、自分のPOVを探します。我々は往々にして日々の生活に流され、本当に自分のやりたいことを見つけられずに過ごしてしまいがちです。そうならないためにも、自分に向き合うジャーナリングを行い、目的のためにフィードバックをすることが大事です。

アントレプレナー社会、あるいはイノベーション経済の時代には、表層的なツールや手段の習得ではなく、自分自身が時代の思考を身に付け、創造的能力を成熟させていくことが求められます。自分が変わらずして、世界は変わらないのです。

6. 後記

セミナーが終わってから、経済学におけるアブダクションというテーマに話が及びました。経済学におけるアブダクションの応用は、特に英国の経済学者、トニー・ローソンの「超越論的実在論」の枠組みで興味深い発展を遂げています。ローソンは、経済現象の背後にある構造や内的メカニズムを解明するために、レトロダクション(遡行推論)あるいはアブダクション(仮説的推論)を用いるべきだと主張しています。例えば、南米のある地域で起きた旱魃が世界経済に影響するといった事象を、ローソンは電気回路の短絡(ショート)のメタファーで説明しようと試みるのです。

(※1)企業経営やスタートアップにおけるイノベーションのための機敏な「方向転換」や「路線変更」を表す用語として使われている。
(※2)観察する(Observe)、自分の位置を知る(Orient)、決める(Decide)、行動する(Act)を略してOODAモデルという。意思決定と実行の流れを表すフレームワークで、この4つのプロセスを用いることで、迅速で正確な戦略設計、意思決定を行うことが可能となる。

著者プロフィール

紺野 登 (こんの のぼる)

多摩大学大学院 教授

多摩大学大学院教授(知識経営論)。博士(経営情報学)。エコシスラボ代表、一般社団法人Japan Innovation Network(JIN) 代表理事、Future Center Alliance Japan(FCAJ)ファウンダー・理事。
著書に『ビジネスのためのデザイン思考』、『知識創造経営のプリンシプル』、『利益や売上げばかり考える人は、なぜ失敗してしまうのか(目的工学)』、『構想力の方法論』などがある。