『日経研月報』特集より
多様性が生み出す企業のイノベーション
2024年12-2025年1月号
“日本は不思議な国。今日の聴講者は全員日本人で、皆がネクタイを締めている。あなたは毎日同じ電車に乗り、同じ服装で会社に向かっていないか? そのような環境では、イノベーションは生まれにくい。”
これは、2025年の働き方を予測したベストセラー『ワーク・シフト』の著者であるリンダ・グラットン教授の2012年来日講演で、私が“イノベーションを起こすためのポイントは?”と尋ねた際の回答である。変わらない日常の繰り返しや、同じメンバーとの議論だけでは新しいアイデアは生まれにくい、と暗に示されたようで、大きな衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えている。
企業がイノベーションを生み出すためには、多様性が鍵となる。異なる業界や文化的背景、専門性を持つ人々が集まることで、斬新な視点やアプローチが生まれ、革新的なアイデアが見つかりやすくなる。多様性には、性別や年齢、人種といった目に見える違いだけでなく、思考や価値観の違いも含まれる。企業が多様性を取り入れるためには、異分野の人材を採用し、部門横断的な連携を促進することなどが求められる。
私は英国や米国などでの駐在経験を通じ、各地で働く人々の思考や価値観が大きく異なることを実感した。日本人は与えられた仕事を決められた手順で忠実にこなす傾向にある一方、海外では柔軟性が重視され、人材の流動性も高い。グラットン教授との対話は、その後、海外の幹部を日本に招き、国内外の人材交流を進める契機となった。
この多様性は、必ずしも社内に限らず、社外とのコミュニケーションを通じて育むこともできる。例えば、コロナ禍で普及したワーケーションでは、日常では得られない新たな視点や気づきが得られ、私自身も富良野や宮崎で実践してその効果を体感した。2020年には社内のリモートワーク制度を変更し、時間と場所を柔軟に選択できる働き方の一環としてワーケーションを可能にした。
イノベーションを成功させるためのもう一つの鍵は、オープンイノベーションである。自社内だけで革新を追求するのではなく、外部のパートナーやスタートアップ、大学、研究機関などと連携することで、社内では得られない知見や技術を取り入れ、より広い視野で新たなビジネスや製品の可能性を探ることができる。
私が社長時代に始めたアクセラレーター・プログラム「TRIBUS」は、リコーグループのリソースを活用し、新しい価値創造にチャレンジするスタートアップや社内起業家を支援する取組みであり、リコーの主力事業であるワークプレイスやイメージングの領域を越えて、社会全体の幅広い課題解決を目指している。TRIBUSでは、資金や先進技術の提供にとどまらず、リコーグループの社員が持つ多様な知見や経験を活かしてサポートすることで、新たな価値の創出につなげている。
イノベーションが持続的に生み出される組織風土を醸成するためには、挑戦する文化を根付かせることが重要である。新しいアイデアや事業は必ずしも成功する訳ではなく、失敗を恐れるあまり革新的な試みを避ける企業文化があると、社員が挑戦する意欲を失ってしまう。TRIBUSのピッチ審査では、社内の経営会議のような雰囲気にならないように配慮し、審査員の半数以上を社外の方にお願いすることにした。これにより、多様な視点からの評価を得ることで、公平かつ新しい発想を重視した審査が可能となった。
さらに、自分の専門分野にとらわれず、新たな知識を学び、成長を志す社員を育成することも欠かせない。私は社長就任2年目に「社内デジタル革命」と称して、全社員が自らAIやRPAを活用して業務改革・改善を行う取組みを始めた。同時に、社内副業制度の導入やTRIBUSの立ち上げなど、社員自らが捻出した時間を自分の成長の為に活用できる制度を充実させた。これにより、業務時間の20%を興味や関心のある他部署での活動に充てられるようになり、幅広い知識や視野を活かして本業に取り組むだけでなく、新規事業の開発にも積極的に挑戦できる環境を整えた。
このように、私はこれまで、会社の文化や仕組みを変え、イノベーションを生み出すためのさまざまな仕掛けを行ってきた。大切なことは、変革を実践するのは社員自身であるということだ。「会社が変わって社員が変わるのではなく、社員が変わることで会社が変わる」と言い続けてきた。
決して、イノベーションなんて自分には縁が無いとは思わないでほしい。イノベーションとは、意外な所に潜んでいる、“なるほど、その手があったか!”という発見そのものである。やり方を少し変えてみるだけでも、また、やらなくてもよい業務を見直して削減することさえも、立派なイノベーションといえるだろう。業務削減を通じて生み出した時間を活用し、外の世界に触れたり、副業に挑戦したりすることが、これまでの変わらない日常や連続的な仕事の流れから離れ、革新の心を持って新たな一歩を踏み出すことにつながる。
“その手があったか!”と上司や同僚に言わせることができたなら、あなたは既に立派なイノベーターである。