桂田隆行さんを偲んで~心からの哀悼を込めて~

2024年12-2025年1月号

庄子 博人 (しょうじ ひろと)

同志社大学スポーツ健康科学部 准教授

加納 堅仁 (かのう けんと)

クロススポーツマーケティング株式会社 ライツマネジメントチーム

永廣 正邦 (ながひろ まさくに)

株式会社梓設計 専務執行役員プリンシパルアーキテクトスポーツ・エンターテインメントドメイン長

佐藤 祐輔 (さとう ゆうすけ)

株式会社MLJ 代表取締役社長

千葉 昭浩 (ちば あきひろ)

AB Bright Lab合同会社 代表

藤本 光正 (ふじもと みつまさ)

株式会社栃木ブレックス(宇都宮ブレックス) 代表取締役社長

岡田 明 (おかだ あきら)

EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 公共・社会インフラセクター パートナー

松山 大貴 (まつやま だいき)

長野市 副市長

植竹 慶仁 (うえたけ よしひと)

一般社団法人さいたまスポーツコミッション事業企画課 主査

桂田さんとの思い出

庄子 博人

同志社大学スポーツ健康科学部 准教授


株式会社日本政策投資銀行の桂田隆行さんが、2024年1月1日に発生した能登半島地震で被災し、亡くなられました。桂田さんは、同行でスポーツと金融を結びつけるという、当時としては新しい挑戦に果敢に取り組み、2012年に「スマート・ベニュー®研究会」を立ち上げ、スタジアムやアリーナの改革を進める第一人者として知られていました。また、桂田さんは、「スポーツサテライトアカウント」や「スポーツGDP」といったスポーツ経済指標の開発と普及に多大な影響を与えました。これらの功績は、政府によるスタジアム・アリーナ改革の指針や、スポーツ産業の成長産業化の政策の基盤となっています。
私は、桂田さんと一緒に日本版スポーツサテライトアカウントのプロジェクトに携わりました。このプロジェクトは、英国のシェフィールド・ハラム大学のテミス氏へのインタビューから始まりました。当時、国民経済計算の基礎から学ばなければならないほど難解な内容で、私たちはシェフィールド駅のバーガーキングで反省会を行ったのを覚えています。反省会が長引いたために特急列車に乗り遅れ、チケットを買い直すことになったのも今となっては懐かしい思い出です。桂田さんは、スポーツGDPを国家の経済統計に組み込むことを目指し、伊藤元重先生に顧問を依頼するなど、経済学の専門家と連携して基盤を固めました。また、スポーツ庁や経済産業省とも協力し、スポーツの経済的な価値が広く認知されるよう、国内外での啓蒙活動にも力を注ぎました。シェフィールド・ハラム大学や英国のスポーツ庁にあたる組織であるDCMSとの関係構築も彼の尽力の成果です。
2023年9月には、フランスで開催されたラグビーワールドカップでの出来事も強く印象に残っています。南アフリカ対ルーマニアの試合を観戦した際、桂田さんはルーマニアのユニフォームを買い、周囲の圧倒的な南アフリカの応援ムードの中、熱心にルーマニアを応援しました。その姿勢は現地のルーマニアサポーターにも好意的に受け止められ、彼らと写真撮影をしたときの嬉しそうな表情が忘れられません。このように桂田さんは、多様な価値観を尊重し、常に人と人とを結びつけることに長けていました。その広がり続ける人脈は「カツラダファミリア」と呼ばれ、彼の周りには常に多くの人が集まりました。スペイン出張でサグラダファミリアの前で桂田さんと撮った写真も、今となっては大切な記念のひとつです。
桂田さんは、スポーツ産業への資金確保の仕組み整備にも関心を示し、イタリアの「スポーツ信用銀行」(Istituto per il Credito Sportivo)を調査するため現地を訪問しました。この銀行はスポーツ専門の金融機関で、スタジアムやアリーナへの投融資も多く行っています。桂田さんは、こうした事例を参考に、スポーツと金融の連携を進める道筋を築こうとされていたのだと思います。
桂田さんの多大な貢献に心から感謝し、彼の思いを忘れることなく、次の世代にその遺志を伝えていきたいと考えています。桂田さん、本当にありがとうございました。

桂田さんを偲んで

加納 堅仁

クロススポーツマーケティング株式会社 ライツマネジメントチーム


桂田さんは、年末年始で毎年、実家である輪島市へ帰省されるのが恒例行事で、とても楽しみになさっていたことを覚えております。その帰省中に被災され、ご逝去されたことを思うと、大変残念でなりません。心よりお悔やみを申し上げます。
私は、2018~2019年の2年間、株式会社日本政策投資銀行にて桂田さんのもとで働いておりました。今回の寄稿文では、桂田さんのスポーツ分野におけるご実績、私が2年間桂田さんとともに取り組んできたこと、桂田さんのお人柄について、ご紹介できればと思います。

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桂田さんは、同行にて、エネルギー分野、宿泊施設などへの投融資業務にご従事ののち、調査部署にて10年以上、主にスポーツに関する調査及びレポート発出を行っておられました。一例としましては、スタジアム・アリーナを核とするまちづくり「スマート・ベニュー®」概念の提唱及びレポートの発出(2013年)、我が国のスポーツ産業の経済規模[スポーツGDP]の算出(2018年~)、「スマート・ベニュー® ハンドブック」の刊行(2020年)などがございます。直近では、コロナ禍によってスポーツ界が受けた影響に関する調査や、スポーツの社会的価値の可視化を試みるレポート等に取り組んでおられました。
また、スポーツの地域への活用についてのアドバイザーとして、全国各地のスポーツ関連案件に携わり、これまで数多くのご登壇やアドバイザリー業務を行っておられました。

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私の在籍中にて、取り組んできた内容は、主に3つあります。
まず、桂田さんが依頼を受けた講演/委員会、アドバイザー等案件のサポートです。私は日々、自治体やスポーツチームから来る案件依頼について、登壇資料の作成、各案件のブレインストーミング、同行してのメモ取り、場合によっては代理での登壇等を行っておりました。
次に、スポーツ版GDPの経年算出を担当し、日本経済研究所、同志社大学等と連携しながら、国の政策目標の指標化に努めました。これに伴い、関係各所との打ち合わせやレポート発出に関するヒアリングの調整・出張への同行などを行いました。
そして、「スマート・ベニュー®」概念に基づく手引書の作成にも携わり、書籍に係るヒアリング調整や執筆の一部を担当いたしました。
私の在籍当時は、すでに桂田さんはスポーツ業界における第一人者として知られており、日々の業務は、桂田さんのもとに寄せられる問い合わせへの対応が中心でした。調査業務と並行して、各講演や委員会に同行し、時には登壇する機会もいただき、非常に貴重な経験を積ませていただきました。

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桂田さんのお人柄を恐れながら一言で表現しますと、「天性の人たらし」の方でした。先輩・後輩、外部の方を問わず、どのような立場の方にも分け隔てなく接していらっしゃった印象があります。国内外の出張のたびに、行く先々でのユニークなお土産を頂いておりました。同行した海外出張では、さまざまな方へのお土産で、帰りの荷物が一杯になっていたことも思い出されます。桂田さんは、内外問わず、全ての人に対して常に敬意をもって接していらっしゃったのだと思います。
また、桂田さんは無類のお寿司好きとしても知られており、国内外問わず出張の際には日本料理店へ足を運びお寿司を楽しむことが恒例行事でした。私も仕事帰りに連れていっていただき、日々の業務をねぎらってもらうことが多々ございました。
桂田さんがスポーツと金融業界にて長らく第一線でご活躍されていた背景には、調査実績だけでなく、こうしたお人柄が、全国各地の自治体やスポーツ業界における強固なネットワークを築いてこられたのだと感じております。

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桂田さんのご逝去の後、金沢市で行われたお通夜に参列した際、全国各地から多くの弔電が届き、会場中が供花で埋め尽くされていたのを目にしました。桂田さんが、いかに多くの方々と深い交流を持ち、全国数多の案件に携わってこられたかを実感し、身近で働いてきた者として深い感慨を覚えました。
今回、この寄稿文の作成を通じて、桂田さんとの思い出が蘇り、そのご厚情に対し深い感謝の念を抱いております。桂田さんが私たちに残してくださった多くの教えとご縁を大切にしながら、今後も精進してまいりたいと思います。
改めて、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

桂田隆行氏追悼文

永廣 正邦

株式会社梓設計 専務執行役員プリンシパルアーキテクトスポーツ・エンターテインメントドメイン長


ご生前の功績を偲び、謹んで哀悼の意を表します。
2024年の始まりは衝撃のニュースでした。
熊本地震を経験した私は能登地方の被害に目を覆わずにはいられませんでした。
そして一本の電話。頭が真っ白になりました。
昨年末、地震発生数日前の忘年会での桂田さんの一挙手一投足が……表情が……頭の中を駆け巡りました。
紹興酒を交わしながら、互いに理想を掲げたスタジアム・アリーナの実現に向け、力を合わせてプロジェクトの成功を強く誓い合いました。
桂田さんの信念が、今なお私の身体の中に焼き付いています。
いつもの屈託のない笑顔で、「来年もよろしくお願いします」と挨拶され、強く握手をしたことを今でも忘れられません。
初めてお会いしたのは、7~8年前のある講演会でした。
それから直接のプロジェクトではご一緒する機会がなかったものの、スタ・アリの審査会やスマート・ベニュー®ハンドブック、さまざまなプロジェクトの件で、その折々にお声かけをいただきました。そして弊社が設計したスタジアムやアリーナにも足を運んでいただきました。
漸く念願が叶い昨年には某アリーナプロジェクトにて初めて仕事でご一緒する機会に恵まれました。待ちに待ったこの機会をいただき、心からワクワクしたのを昨日の事の様に思い出します。
理想を具現化しようとしていた矢先のお別れはとても辛く、悔しく言葉になりません。
桂田さんは2012年に「スマート・ベニュー®研究会」を立ち上げるなど、国内外のスタジアム・アリーナの調査研究の第一人者として、スタ・アリを核としたまちづくりの実現に向け強い思いを持ち日々活動されており、日本のスタ・アリ事業を推進されてきました。
これらの功績はこれからの社会の発展に大きく寄与するものと確信しております。
どうか日本のスタ・アリを核としたまちづくりを天国より見守ってください。
桂田さんの思いを胸に、目指すべき姿を具現化すべく尽力することを誓います。
桂田さんと出会い、そしてご一緒した日々に心より感謝申し上げます。
心よりご冥福をお祈りいたします。

想いを紡ぐ

佐藤 祐輔

株式会社MLJ 代表取締役社長


私はMusco Sports Lighting, LLC(Musco社)というアメリカのスポーツ照明メーカーの日本総販売元である、Musco Lighting Japanの代表をしております。
私と桂田さんとの出会いは、2019年8月に行われた米国大使館主催のセミナーに向けて、特別講師として米国大使館商務部の方からご紹介いただいたことがきっかけでした。初めて会ったときに、目をパチパチさせながら少し早口で話す桂田さんの知識と情熱に魅せられ、今後どんな楽しい仕事が一緒に出来るのだろうとワクワクしたこと覚えています。桂田さんに参加していただいたおかげで、セミナーは自治体、民間問わず、さまざまな方にご来場いただき大成功に終わりました。
その出会いを経て、Musco社がアメリカの著名なアリーナやスタジアムへ導入実績がある事から、日本政策投資銀行Business Research『スマート・ベニュー®ハンドブック ~スタジアム・アリーナ構想を実現するプロセスとポイント~』を執筆するための視察に同行することとなり、アメリカで10日間ほど共に色々な施設を見て過ごしました。旅の中で熱き想いを語りあった事は今でも忘れられない思い出です。
日本に戻ってからも、私と桂田さんの自宅が近かった事もあり、多いときには毎週必ず会うという時期もあったほど親しくさせていただきました。二人でゴルフのレッスンを始め、練習のあとに寿司居酒屋で話すことを、私はとても楽しみにしていました。
桂田さんは簡単に私がお会い出来ないような方も、仕事の関係等に係わらず、きっとこの人たちが出会ったら良い関係が築けるだろうなという想いで、多くの方々をご紹介くださいました。お会いした方々はみな一様に桂田さんの事が大好きで信頼関係が深いため、すぐに打ち解けることができ、楽しくさまざまな事を語り合うことが出来たのは素晴らしい経験でした。
私は2012年まで海外で暮らしておりましたので、事業を立ち上げた頃は高校時代までの友人以外は日本において知り合いがおらず、仕事での繋がりも全くありませんでした。しかし、桂田さんに出会えて、今私の周りにはたくさんのかけがえのない繋がりが出来ました。一緒に良いものを創ろう! と言っていただける方もいらっしゃいます。
多くの方々に支えられてここまでこられましたが、今の私があるのは桂田さんのおかげと言っても過言ではありません。これからも私は彼の想いを紡ぎ、これからの日本におけるスポーツ・エンターテインメントのシーンに寄与していきます。その為に、日々色々なことにチャレンジしていこうと思いますし、おこがましいかもしれませんが、桂田さんのように人に素敵な出会いを作り、更なる発展に繋げていける役割を果たせる存在になれるよう邁進してまいります。
桂田さん、ありがとう! 貴方に出会えて私は幸せです。桂田さんの想いを実現しようと頑張っているたくさんの方々と共に、一緒に想い描いた未来を実現するので見ていてください。またいつか一緒にゴルフやりましょう。今度は一緒にコースに出られるように。

あなたとの旅

千葉 昭浩

AB Bright Lab合同会社 代表


令和6年の正月、桂田さんの悲報に際し、友人達へ言葉にならない電話をかけた夜を今でも忘れられない。誰に何を話したかあまり思い出せないが、早く知らせねばと焦っていたことだけは覚えている。半年が過ぎた今でも夜分になると電話が来るかなぁ~と、ふと思うのである。不思議なことだけど。
桂田さんとの旅の始まりは2017年の春、私が早稲田大学大学院へ入学した時から始まった。入学早々に、共通の恩師である間野先生から「千葉さん、AEG社の最新モデルを見たいけど、何処が良いだろう」という問いに、「上海なら1泊2日で行けますね」と回答、「じゃあ土日で行けるね」といった感じで、即スケジューリング。そして、週末なら桂田さんも行けるし、アリーナとまちづくりという彼の研究にも寄与するから誘ってみようということで、慌ただしく3人で上海へ。メルセデス・ベンツアリーナの視察を終えた夜、世界のスポーツビジネスの潮流とスマート・ベニュー®を核とした新たなまちづくりを熱く語った夜が上海の華麗な街と共に忘れられない。
その年の秋、私達は揃ってJリーグの欧州スタジアム視察に参加。1週間で6ヶ国、12ヶ所のスタジアムを視察するという超濃密な視察を終えた夜、それぞれの社用で視察団一行と別れてデュッセルドルフに残った私と桂田さん。この1週間の視察でさまざまな事業や収益スキームをヒアリングできたことは、二人にとって溢れんばかりの示唆となり、興奮冷めやらない我々はスタジアム&アリーナ談義が尽きることのない夜を過ごした。1週間ぶりのジャパニーズビールと日本酒に加え、慣れ親しんだ酒の肴が二人をいつになく饒舌にしてくれたのは間違いない。
デュッセルドルフで語り尽くした翌朝の別れ際、彼にシンガポールへの旅を提案した。「OUR Tampines Hub」は、私が前職のシンガポール法人の代表をしていた時に参画したプロジェクトであるが、2017年のJリーグ欧州スタジアム視察には無いスキームで、桂田さんに是非見てほしいと提案した旅だった。公共自治体が整備するスタジアムやアリーナは単にプロフィットセンター化に留まらず、さまざまな社会課題を解決する場所であってほしい、大型ショッピングモールなどを併設して収益を賄う欧州型の複合スタジアムに少なからず違和感を抱いていた自分は、スマート・ベニュー®を提唱する彼に強く共感を求めていたのかもしれない。シンガポールの夜もやはりジャパニーズビールと日本酒と鮨が二人を饒舌にしてくれた。
2023年秋、私がラグビーワールドカップの所用で渡仏するというタイミングに、彼はロンドン出張とのことで、「じゃー、ボルドーで合流しよう」という言葉を交わしながら、ニアミスとなってしまったことが今では悔やまれるが、何度も語り明かした歩みはこれからも彼の想いと共に進めて行きたい。
会いたくなったら誰かを誘って芝公園の鮨屋だね。夜分の長い電話が恋しいよ、桂田さん。

桂田さんありがとう

藤本 光正

株式会社栃木ブレックス(宇都宮ブレックス) 代表取締役社長


宇都宮ブレックスの「新アリーナ構想」は現在進行中で、毎日のように関係各所とのMTGや、その資料作成に勤しんでいる。
PCを開き、アリーナ関連の資料やメモなどの書類に目を通すと、「桂田」の文字が今でも目に入ることがある。
プロスポーツ経営一筋で、アリーナ建設に関しては素人同然だった私に、親身に一から教え込んでくれたのが桂田さんだった。
構想の当初、まるで濃密な霧の中を歩き始めるような暗中模索だった中、桂田さんと話すと毎度必ず気付きを与えてもらったり、人との繋がりを作ってもらったりと、進むべき道を明るく照らし続けてくれた。
いただいた資料や、教わったことのメモ書きが手元に多く残っており、今もこれらを頼りにしているので、その度に桂田さんの名前を目にする日々が続いている。
桂田さんとは、messengerでやりとりすることが多かった。
何か困りごとがあると、友人に連絡するような感覚で気軽にメッセージを送らせてもらい、その度に親身に返信をいただいた。
今でも、当時教えてもらった内容を思い出そうと、履歴画面を開くことがたまにあるが、「ここの部分をもうちょっと深く聞きたいんだよな……」ということがあると、つい返信欄に打ち込もうかと思ってしまう。
一人では解決できないような難問が立ちはだかると、「桂田さんに聞けば返信をくれて、当時のように霧を晴らしてくれるのではないか」と。
桂田さんのような特有な魅力のある人物に出会うことはそう多くない。
仕事での出会い・付き合いのはずが、まるで古くからの友達のような感覚でフランクに接してくれる。
かといって、知識や情報量では業界随一のはずなのに、偉ぶったり、自慢話は一切なく、むしろ常にこちらに敬意を払ってくれた。
仕事の枠を越えてでも付き合いを続けていきたいと心から思わせてくれる、人間的魅力に溢れる人だった。
その特有の魅力から、誰からも愛され、この業界のキーマンは全員が桂田さんと繋がっていると言っても決して大袈裟な表現ではないくらい、幅広く、色んな人と関係を築いていた。
人気者がゆえに引く手あまたで多忙を極めていたに違いないが、それでも私達の新アリーナ構想のことを常に気にかけていただき、多くのご協力をいただけたことには感謝しかないし、桂田さんなしには、ここまで構想が進むことはなかったと断言できる。
常に頼ってばかりだったので、「いつか恩返しを。」と本人に常々お伝えしていたが、何も恩返しできないままとなってしまったのが何よりも心残りでならない。
「スタジアム・アリーナを通じて、多くの人の笑顔が生まれ、まちがにぎわう」
「そういった光景が全国に広がっていく」
桂田さんはきっとそんな想いを持っていたことだろう。
桂田さんの「想いを継いで」という表現はあまりにもおこがましいが、少なくとも私達は、宇都宮で夢のアリーナを必ずや実現させるために今後も全ての力を注いでいく。
そして構想が実現したら真っ先に、きっと今でも天国から私達のアリーナ構想を心配し、気にかけてくれているに違いない桂田さんに報告し、感謝の気持ちを墓前にお伝えしに行きたい。
「桂田さん、本当にありがとう。これでほんの少し、恩返しができたでしょうか」と。

「カツラダファミリアン」として

岡田 明

EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 公共・社会インフラセクター パートナー


彼をひとことで表現すると「第一印象で人を油断させる達人」。少しはみ出したシャツ(大体右側)と屈託のない笑顔、ありがとうございます~の優しい声にほとんどの人は一瞬で警戒の壁を取り払われてしまったのではないでしょうか。
桂田さんを中心に回っていた、海外のビジネス視察や夜のネットワーキング(飲み会ですが)は強い想いを持った方々が多く妙な連帯感と濃い繋がりがあるのですが、これらに集いし人々は「カツラダファミリアン」といつしか名乗るようになりました(命名できたことはわたしの誇りのひとつです)。
基本プロトコルはスポーツビジネス、題材はスタジアム・アリーナ、潤滑油はアルコール類に加えて定番のお・す・し。
US出張をご一緒した際も、到着初日に「お寿司いきましょう」、翌日も「おすし~♪」と楽しそうにリクエストする姿はとてもあけっぴろげで曇りがなく、その後も集まりの際には「おすしすしすし~」が合言葉のようになっていましたが、今になって思えば、個性豊かなメンバーをギュっとひとつの方向に向けるマジックワードだったのではないかなと思ったりしています。
もちろん彼のお仕事面での姿にも触れなければいけませんが、会議や打ち合わせの際は鋭く切れ味のある指摘、提言をされており、バンカーとしての誇りと責任を強く感じたものです。
日本にスマート・ベニュー®を実現し、よい社会を創っていく。まだ見ぬ姿を仲間内では「カツラダファミリア」を目指して活動しているんだよね、とよく会話したものです。
生前、本家サクラダファミリアにちなんでカツラダファミリアは永遠に完成しない、と冗談っぽく話していましたが、いまでは日本中にスマート・ベニュー®が姿を現し地方創生やスポーツビジネスそのものの価値向上が実現しつつあります。
桂田さんが設計してくれたカツラダファミリアは、多くの人々が影響を受け(みんなカツラダファミリアンでいいかと)、これからも発展していくと思っています。
最近になってようやく、休日と夜中の電話がかかってこないことが物足りなく寂しく感じるようになりました。とはいえスタジアム・アリーナの話をする仲間と会えば、彼のマジックワード「おすし~♪」が一瞬で場を温め議論を活性化させてくれます。これからもいつもあなたをそばに感じよりよいカツラダファミリアづくりに邁進していこうと思っていますよ。ありがとう「ミスター・スマート・ベニュー® 桂田隆行」

桂田隆行君と過ごした8年間

松山 大貴

長野市 副市長


桂田隆行君との最初の出会いは、2015年の冬であった。
2015年10月スポーツ庁創設に伴い、私は経済産業省からスポーツ産業担当としてスポーツ庁に出向した。初出勤の時に、まっさらな私のデスクに置いてあった一つの冊子が、「スマート・ベニュー®研究会 報告書」であった。
当時、政府内では新たなスポーツ産業振興策が求められているなかで、私は、“観る”スポーツ振興策がやや力強さに欠けており、さらに世界各国ではプロリーグ・チームを中心にスポーツ産業が大きな成長を遂げている一方で、我が国のプロスポーツ振興が重要だと考えていた。そのようななかで、プロスポーツ振興のみならず、地域活性化の起爆剤にも繋がる「スマート・ベニュー®」という考え方に大いなる可能性を感じたのだ。
すぐに面談を依頼し、やや緊張の面持ちで私の前に現れたのが桂田君であった。正直に言えばスポーツとは縁遠そうな風貌ながらも、国内外のスポーツ施設の状況や課題、地域への波及性などを熱く語る姿を見て私が感じたのが、桂田君のスポーツの持つ可能性への信念とスポーツへの深い愛情であった。
これを機に、桂田君とは昼夜を問わず頻繁に会い、私の相談相手、政策立案部隊の一員となって、その結果が、我が国で初めてスポーツ産業振興が成長戦略に謳われた「日本再興戦略2016」に繋がったのだ。
私がスポーツ庁を離れても、酒を酌み交わしながらスポーツを語りあい、時には試合観戦が大好きな桂田君からの誘いで私の家族とともにさまざまな競技を観戦するなど、同じ歳の大切な仲間となっていた。
桂田君はスポーツ界内外を問わず多様な方からの相談を受け、またさまざまなプロジェクトや地方自治体にも関わり、全国各地を飛び回る多忙な生活を送っていた。そんな中で、彼が常々言っていたことが、「もっと現場感、手触り感が欲しい。最初から自分の手で作り出したい。」という渇望感であった。「必ずその時が来る。その時は一緒にやろう」と常々話をしていた。
私は2022年夏に長野市に赴任し、長野五輪開催都市として、さらに日本再興戦略に掲げた内容を具現化するべく、「スポーツを軸にしたまちづくり」を掲げ、今さまざまな取組みを始めている。赴任直後から、桂田君にも度々相談をしながら準備を進めていた。
2023年12月末、桂田君を長野市に招き市職員たちとの勉強会・決起集会を開催し、翌年からの本格的な活動を予定していた。その日、長野駅終電間近の改札口で、「ついにその時が来たね。年明けからよろしく!」と言い合ったのが、桂田君との最後の別れとなった。
私は学生時よりスポーツに携わる仕事をするという密かな目標を持っていた。桂田君と出会い、共にしたこの8年間は私の願いが結実した時間である。そして傍らには常に彼がいた。桂田君と語り合ったスポーツの未来、これを実現することが私の次なる目標である。

もっとさいたまからスポーツを。ミスター「スマート・ベニュー®」桂田隆行氏の功績

植竹 慶仁

一般社団法人さいたまスポーツコミッション事業企画課 主査


さいたまスポーツコミッションの植竹です。
桂田様のご逝去の報に接し、いまだに深い悲しみを感じております。桂田様は生前、常に温かく見守ってくださり、多くの方々に深い影響を与えました。その優しさとご功績は決して忘れることはありません。今回、執筆の機会を賜りましたのでさいたま市スポーツアドバイザー(2019年1月より委嘱)としてのご功績をお話しさせていただきます。
本市では、現在整備中の都市公園内に、「みるスポーツ」の拠点となるメインアリーナと、市民利用の機能を継承するサブアリーナからなる、「(仮称)次世代型スポーツ施設」の整備について検討を進めております。構想の序盤から桂田様にはアドバイスや各種ネットワークを提供いただき、共に汗をかきながらさいたま市に新たに必要なアリーナの機能や整備・運営手法について議論を進めてまいりました。
桂田様との数々の思い出の中で、特に浦和のお打ち合わせ後にご一緒させていただいた居酒屋での時間は忘れられません。彼が浦和レッズサポーター文化に深く興味を持ち、地元の文化そして、〆に選んだ寿司を美味しそうに頬張った桂田様の笑顔が今も思い出されます。
桂田様の功績に、「スマート・ベニュー®」の概念を全国のさまざまなスタジアム・アリーナ構想に植え付け、これまでのコストセンターだったスポーツ施設をプロフィットセンターにする契機を作り上げることにご尽力いただいたことが挙げられます。私はこれからも桂田様のご遺志を引き継ぎ、さいたま市のスポーツ振興とまちづくりを推進してまいります。桂田様のご功績に心から感謝し、その思い出とともに、未来のさいたま市の発展に貢献していくことをお誓い申し上げます。

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今年1月1日に発生した能登半島地震により、株式会社日本政策投資銀行地域調査部に所属していた桂田隆行さんが逝去されました。桂田さんは、スタジアム・アリーナを活用したまちづくりやスポーツ産業市場の企画調査を担当し、全国各地のスタジアム・アリーナ整備関係の検討委員会に参画するなかで、「スマート・ベニュー®」を推進した第一人者です。この功績は、桂田さんの全面協力のもとで実現した連載「スポーツが照らす地域学」第12回(最終回)に『スポーツ分野における日本政策投資銀行の取り組み』としてまとめられています。弊誌では、桂田さんへの追悼集を企画し、スマート・ベニュー®に関連して桂田さんと深く関わりのあった方々から、桂田さんとの思い出や功績をお寄せいただきました。桂田さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。弊誌はスポーツに対する桂田さんの遺志を引き継ぎ、今後もスポーツを核とした地域振興など、スポーツに関連する記事を発信してまいります。

著者プロフィール

庄子 博人 (しょうじ ひろと)

同志社大学スポーツ健康科学部 准教授

加納 堅仁 (かのう けんと)

クロススポーツマーケティング株式会社 ライツマネジメントチーム

永廣 正邦 (ながひろ まさくに)

株式会社梓設計 専務執行役員プリンシパルアーキテクトスポーツ・エンターテインメントドメイン長

佐藤 祐輔 (さとう ゆうすけ)

株式会社MLJ 代表取締役社長

千葉 昭浩 (ちば あきひろ)

AB Bright Lab合同会社 代表

藤本 光正 (ふじもと みつまさ)

株式会社栃木ブレックス(宇都宮ブレックス) 代表取締役社長

岡田 明 (おかだ あきら)

EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 公共・社会インフラセクター パートナー

松山 大貴 (まつやま だいき)

長野市 副市長

植竹 慶仁 (うえたけ よしひと)

一般社団法人さいたまスポーツコミッション事業企画課 主査