World View〈アジア発〉シリーズ「アジアほっつき歩る記」第108回
台湾でB級グルメ散歩
2025年2-3月号
多くの日本人が台湾料理は美味しいという。だが台湾料理とは何か。実は中国各地や東南アジア、はたまた日本からと、さまざまなルート、時期にやってきた料理。今回はグルメ散歩からその歴史の一旦を垣間見る。
木柵のベトナム料理
台北市南部の木柵。この辺には50年ほど前、ベトナム戦争から逃れて台湾に渡ってきたベトナム華人が多く住んでおり、その人々が開いた食堂がいくつか残っていると聞き、興味をもった。店には大きな看板で越南(ベトナム)の文字があった。
メニューを見ると、越南と広式の2つがある。広式とは広東料理系を指す。ベトナムで華人経営の場合、広東系を多く見かけるのでその関連だろうか。広式撈麺と越南カレーを食べてみる。撈麺は確かに以前香港で食べたあの懐かしい味がした。カレーはなぜベトナムにあるのか不明らしいが、台湾のベトナム系食堂には基本的にあるというから驚きだ。そのルーツは是非知りたい。
食後に散歩すると、50年前にベトナムから来た人々を受け入れた住宅が現れる。もうかなり建て替えが進み、高層マンションに変わったものが多い。日本では何となくボートピープルのイメージが強いが、彼らは何らかのコネを持ち、飛行機で台湾へやってきたとも聞く。当初の生活は大変だったようだが、今はどうなんだろうか。これまで台湾には何十回も来ているが、こういう話に出くわしたことはない。台湾の奥深さが見えてくる。
因みに台湾大学の近くに「銀座」という店がある。和食屋かと思いきや、何とベトナム華人が開いたベトナム料理屋。しかも店の看板メニューはカレーだというから驚きだった。店主は3代目で、初代が子供の頃、ホーチミンの華人街ショロンに住んでおり、近所にあった日本人経営の食堂で食べたカレーが忘れられなかったことが店名の由来だそうだ。その後1975年サイゴン陥落前後に台湾に渡り、すぐに店を開いている。台湾とベトナムの知られざる繋がりに絡む日本、実に興味深い。
蘆州の切仔麵
MRTに乗って台北市の西側、新北市の蘆州を目指す。今や大きなマンション群が立ち並び、台北のベッドタウンだが、大きな通りからちょっと入ると、そこにはレトロな街並みが辛うじて残っている。その一軒で朝ご飯を食べることにした。午前9時を過ぎてもお客が入れ替わりでやってくる人気店だった。
蘆州の名物である切仔麵を食す。実にシンプルな麺とスープだが、内臓系に生姜を合わせて食べると、朝から実にすっきりする。この店は100年も続いているらしい。100年前、この辺には台湾南部からの移民が多かったと聞く。だから味付けは南部の特徴である甘めなのだ。移民は花畑の労働者になったという。
蘆州は日本統治時代、包種茶に使う花の栽培が盛んだったが、今や花畑などは全く見られない。台湾茶業は往時ほぼ北部に限られており、台北市周辺には茶畑も多かったが、1960年代の経済成長に合わせて徐々に消えていった。近所に非常に大きな廟があり、その昔この地がかなり栄えていた証が垣間見えた。
大稲埕のいなり寿司
大稲埕とは、日本統治時代は台北の中心地であり、茶などの貿易が盛んだった地域。当然栄えた街には旨い物が存在する。食堂に入ると、まさかの寿司と天ぷらが出てきた。天ぷらは「甜不辣」と書く。よく味がしみ込んでいるおでんのようで、タレも抜群に旨い。食べ終わってから店員に椀を差し出すとスープを入れてくれ、椀に付いているタレの味などを混ぜて飲むのが習いだ。寿司はいなり寿司。今の日本の物と大きくは違わない。日本時代の名残ではあろうが、ずっと残っているのは何とも不思議だ。
以前通り掛かって気になっていた行列が出来るお店に20分ほど待って吸い込まれた。何しろメニューもないようで、会話は台湾語中心。地元民もいれば、恐らくは遠くからわざわざ食べに来た人もいるのだろう。タイでムーコックと呼んでいる焼き豚と、腰花(牛の腎臓)を注文。こりゃ確かに旨い。午前中に2食も食べてしまい、腹に余裕がなく断念したが、次回は絶対名物の鶏肉に挑戦しようと心に決める。
そして後日行列食堂へリベンジに行く。なぜか行列はなくすんなり入れた。やはり鶏肉は見立て通りプリプリで美味かった。腰花スープも久しぶりで美味い。豚の脳みそを頼んで、一生懸命撮影している人がいる。食べている間にだんだん客が入って来てすぐにまた満席になった。
台中の焼きそば
台中で、朝ごはんを食べに行く。昨日台中在住者が『台中の人は朝ご飯に焼きそばを食べる』と言っていたのを思い出し、少し離れた市場へ向かった。市場に着いたが、すでに市場に賑わいはなく、どこに食べる所があるのか分からない。諦めかけた時、突然目の前に焼きそばが現れる。
「炒麺」と最初の方に書かれており、周囲の人もみな食べていたので間違いはない。海苔スープと一緒に頼み、ついでに紅焼肉まで頼んでしまった。豪勢な朝飯を頬張る。朝から幸せを噛みしめられるほど旨い。ここは公設第二市場で古くからやっており、料金も安く、お客さんも年配者が多い。若者はこぎれいなカフェに行くのだろうか。
お店の人とお客のおじさんに「なぜ朝から焼きそばを食べるのか」と聞いてみたが、「なんでそんなことを聞くのか」と逆に怪訝な顔をされた。これが日常生活なのだろう。台中市の北にある豊原は廟東夜市が有名で美味しいのだが、地元民と行った市場の2階も乾麺など美味しいものが溢れており、その匂いだけで引き寄せられたのを思い出す。焼きそばの謎には迫れなかったが、台湾の食文化の多様性には常に驚かされ、その背後には歴史が詰まっている。