『日経研月報』特集より
いま日本で万博を開催する意義 ~万博は「オワコン」か?~
2025年2-3月号
2023年秋、財務省から突然の派遣命令を受け、2025年大阪・関西万博の準備に当たることになった。なぜ今日本で万博を開催するのか。多額の公費を投入してまで今更万博を主催する意味がどれほどあるのか、万博自体が「終わったコンテンツ(オワコン)」ではないのか。赴任当初の会場建設費の増額への厳しい批判もあり、予備知識もなく悩みながら、ともかくも2025年4月からの遺漏なき開催に向けて力を尽くしてきた。
1970年の大阪万博は、当時の人口の半数を超える6千万人超の観客を集める歴史的イベントとなった。この頃までの万博は、新しい科学技術や世界各地の文化を一堂に集めて多くの人々に周知し、さらなる産業文化の発展を促すことを目的としていたが、その後、先進国全般が低成長化し、万博の主眼も単なる科学技術や文化の紹介だけでなく、地球温暖化といったグローバルな社会課題にどう対応するかといったテーマを重視する方向に移ってきた。開催地も欧米中心から、2010年上海、2021年ドバイ、大阪関西の次の2030年はリヤドと、高成長国か資金を豊富に有する国が多くなっている。
準備を進める間にさまざまな方のご意見を伺い、議論をした結果、日本で今万博を開催する意義について、今はこう考えている。
我が国は、①世界最速の少子高齢化の進展、②世界最悪の財政状況、③元来省エネ先進国であったが原発事故の影響もあり温暖化ガス削減に高いハードルがある、④自動車産業を始めとするモノづくりで成長を確保してきたが、EV市場には後塵を拝し、電機、鉄鋼といったかつての主要産業の世界的地位は凋落し、ITなど先進産業には乗り遅れているなかで、成長のドライブとなる産業を見つけ切れていないこと、などなど、まさに課題先進国である。実質賃金は長期にわたって伸び悩み、貿易収支の黒字が縮小するなか、資本収支で経常収支の黒字を維持(かつて稼いだ遺産で食いつないでいる)し、それがゆえに可能となる大量の国債発行とそれによる財政の下支えで国民の生活の質を維持しているのが実情だ。さまざまな中長期的な課題に解を見つけていかないと、生活の質の低下は免れない。
大阪・関西万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」である。「いのち」をキーワードとして、環境の問題、高齢者や障がい者を含む多様な方々が共生できる社会、平和、そしてそうした社会を実現するツールとしての未来社会におけるさまざまな技術を紹介し、考えることが目的とされている。ウクライナやイスラエルといった紛争当事国を含め世界がリアルに一つの場に集う機会となり、多様な価値観が交流しあい、いのちの在り方を見直すことで未来への希望を世界に示す。単なる展示に限らず、テーマウィークといった枠組みでさまざまな社会課題について海外の識者も含め議論する機会もある。上記のような日本が抱える諸課題についても、さまざまな側面から解決の糸口を探るきっかけになろう。
例えば、万博で使用するEVバスの多くは中国製であり、空飛ぶクルマについては日本以外の企業が開発した機体が主に飛行し、日本勢は主役ではない。他方で、カーボンリサイクルの実証や、iPS細胞を使った臓器の展示など、日本の強みを発揮できる分野も多くある。日本の参加企業や海外の参加国はこぞってそれぞれの最先端技術を展示・紹介するはずである。海外からは万博の場に多くのビジネスミッションも訪れる。日本が世界から遅れている分野についてしっかりと危機感を共有すること、そして海外の企業とも連携しつつ、日本の強みを発揮できる分野を活用して、新たな成長エンジンとなる産業を開拓するきっかけとすることができれば、必ずや将来の日本経済の成長に貢献する万博となる。
いろいろ御託を並べてきたが、会場に来ていただきたい。世界最大の木造建築物であるリングに登り、世界各国や日本企業等の工夫を凝らしたパビリオンや展示を見て歩き、さまざまな新技術の体験、世界各地や関西の食など、純粋に楽しめる要素を沢山用意している。人形浄瑠璃や漫才、宝塚など関西をはじめ日本・世界各地の文化も体験できる。多くの方に来場し楽しんでいただくことが、自ずと日本の将来に貢献する。万博は決して「オワコン」ではない。