World View〈アジア発〉シリーズ「アジアほっつき歩る記」第109回

ベトナム南部 カントー 華人の街で

2025年4-5月号

須賀 努 (すが つとむ)

コラムニスト・アジアンウオッチャー

最近ベトナムには何度も来ているが、今回は初めての街、南部のカントーに行ってみた。カントーといってもベトナム在住の日本人でも「関東」と連想してしまうほど、知られていない街だが、知り合いの華人研究者から「ベトナム華人を調べるならカントーでしょう」と言われたのがきっかけで行ってみることにした。

カントー

ハノイから国内線で2時間。カントーはメコンデルタの中心都市。街を歩くと大きな川に出合い、川沿いには大きなホーチミン像が立っている。カントーにとってこの川が繁栄の源となっていた。広東系の同郷会館、廣肇会館があり、周辺を散策しても、華人の顔を持った人々が沢山おり、漢字表記の店も見られる。やはりここはホーチミンなどと比べても華人に対する寛容度が高いと感じられる。
華人街ともいえる食堂街。すぐに美味しそうな広東系の鶏飯屋に引き寄せられる。何となくチャーシューも追加したが、どちらも安くて旨い。やはりベトナムの華人食堂が広東系中心であることに間違いはない。ついでに味も間違いはない。カントー博物館では植民地時代の解放運動の戦士などが沢山顕彰されている。だがカントー華人の歴史が学べるかと期待していたが、残念ながら深くは取り上げられていなかった。華人の歴史はちょっと微妙なのだろうか。
カントーの中心から20分も歩くとそこには中国寺がいくつかあった。寺巡りは楽しかったが、建物は新しいものが多く、21世紀に入ってから、海外移住者らの寄付によって新しく改修されたものが多いことに気づく。街は全体に落ち着いており、散歩していても静かで気持ちがよい。

車で古い町並みが残るビンドゥイ地区へも行ってみた。東洋と西洋の文化が入り混じった往時の独特な建築が有名で、フランス映画「愛人/ラマン」の舞台として撮影に使われたというお屋敷が残っていた。どう見ても富豪華人の家で、広々としており、奥行きもある。ここがどんな家で、どのような経緯で残っているのかなどは分からないが、広い庭には花が咲き、100年以上保存されている歴史を知りたくなる。
この建物がある道を歩くと、確かに古びているが、結構建て替えが進んだ感じもある。大きな通りに出ると、古い廟(龍泉古廟)がある。川沿いにあるもう一つの廟も合わせて見学する。確かに100年以上前に華人は川を遡り、ここから上陸したのだろう。

ソクチャン、バクリュウで

カントー大学の先生らとカントー郊外への日帰りツアーに参加した。約1時間南へ走っていくとソクチャン省ソクチャン市という場所に着く。市内中心部は華人人口が3割を超えるといい(省全体ではクメール人が50%を越え、華人は20%弱)、そこに天后廟があった。かなり立派な、しかも新しい建物で驚く。中に入ると潮州会館とも書かれている。この辺の華人の中心が潮州系だと分かるが、彼らは既に潮州語は話さず、ベトナム語での会話が主流らしい。
続いて30分ぐらい車に乗り、ビンチャウという街に着く。ここは街並みがきれいで新しい雰囲気。清明古廟(本頭公廟)に行くと、潮州人だと名乗る男性が現れ、この辺の家庭では今も潮州語が話されていると華語で説明してくれる。一緒にいた女の子は学校で華語を学んでいるが、恥ずかしいので話せないという可愛らしさ。
この廟を改装するにあたっても、やはりこの地から海外に飛び出した華僑たちからの寄付が大きい。アメリカやカナダが多いようだが、寄付額の通貨も色々とあって面白い。更にはこの地を離れてホーチミンなどへ出た人々も沢山いることも寄付一覧表で分かる。尚この廟の中には「三山国王」が祀られている。これは潮州系の信仰するものであり、やはりこの付近も潮州系華人が多いことを証明している。後方には教育熱心な華人が建てた大きな学校も見える。

更に行くと田舎道に廟があった。名前は福興古廟だがかなり新しい。この廟の近くに約100年前に作られた大きな建屋、広い庭があった。ホーチミンに出て成功した華人が、故郷に錦を飾ったのだろうか。頼という姓で、祖先は中国河南省から南下したと説明があった。この屋敷の構造はどことなく客家の三合院に通じるものがある。客家は中原発祥という説の真偽は別にして、頼氏は客家ではないか。
少し走ると、また天后廟があった。かなり小ぶりで特徴はないが、ここで石を祭っているのを見た。これはクメール系の影響が強いと説明を受ける。我々は華人の観点でこの地域を見てきたが、実は元々はクメール系のエリアであったと思い至り、歴史の複雑さを実感する。
車は東に進むとバクリュウという新たな省へ入った。更に華人色が強いと言われ、外を眺めると、確かに華人のにおいがする。川の横にある旧市街地には、漢字が多く見られ、狭い道には古廟や同郷会館もいくつもあった。天后宮が大きい。中には関帝廟も完備されている。その横には使われていない華人学校があり、広肇会館の文字も見えるので、この辺は広東系が多いのだろうか。次回はゆっくりと見学したい街だった。
カントーへの帰り道、1時間ほど走ると車は止まった。「土産でも買ったらどうだ」と言われて降りてみると、そこはまるでテーマパークのように大きい。漢字で新華園食品という文字が見える。聞いてみると潮州系企業で、ここの名物菓子は潮州月餅を改良したというからさすが商売上手と唸る。
メコンデルタに入植した華人、そして生産した米を輸出した潮州商人など、カントー付近には日本には知られていない歴史がある。今では古廟などにその残影を微かに見るのみだが、その歴史は幾重にも重なりあって、実に興味深い。

著者プロフィール

須賀 努 (すが つとむ)

コラムニスト・アジアンウオッチャー

東京外語大中国語科卒。
金融機関で上海留学、台湾2年、香港通算9年、北京同5年の駐在を経験。
現在は中国を中心に東南アジアを広くカバーし、コラムの執筆活動に取り組む。