明日を読む
信頼と政治
2025年4-5月号
英語で「信頼」を意味することばにconfidenceとtrustがある。しかし、この二つのことばの持つ意味の幅はかなり違う。
クリントン政権の財務長官のロバート・ルービンの回顧録(Robert E. Rubin, In an Uncertain World, 2003)の8、9章は1997年にタイで始まった東アジア金融危機とこれが世界的に拡大した1998年危機を扱っているが、この2章で、ルービンはtrustを1回、confidenceを36回、使っている。
その使い方がいかにもルービンという人物を表している。trustはスハルトの「信頼できる同盟者(trusted allies)」という表現で使っており、trustとはcronyism(朋友贔屓)と同じだと言わんばかりである。一方、confidenceを手掛かりに回顧録を読むと、危機についてのルービンの見方がよくわかる。
ルービンはこう書く。危機はa crisis of confidenceだった。ここでconfidenceというのはmarket confidence、investor confidence、confidence of both domestic citizens and foreign creditorsのことで、domestic citizensは国内の債権者と同じ意味ととってよい。危機克服には、confidenceを回復し(restoring)、再建して(reestablishing)、confidence of foreign investorsを回復し、「市場の信頼を取り戻し(bring back market confidence)」、「信頼を強化し(shore up confidence)」、「信頼―と投資資金―が戻ってくる(confidence―and investment capital―return)」ことが鍵である。これは政策的には「市場と信頼への効果(effects on markets and confidence)」を考え、「信頼を創造し(create confidence)」、「信頼を構築する(build confidence)」ことである。
trustとconfidenceは意味的に重なるところもあるが、はっきりした意味の違いもある。confidenceという場合、典型的には、その対象は「市場」「投資家」などと明確であり、その判断の基準(confidenceを持てるか、持てないかの基準)も、「基準率(base rates)」と事前確率に大きく影響される。ルービンは何事も確率的に判断したと言うが、confidenceを強調するのは彼らしい。
一方、trustの対象はもっと範囲が広く、その判断においては、特定の情報が欠如し、基準率も事前確率もわからない、そういう中での既知から未知へ「信頼の飛躍(leap of faith)」を要する。また、confidenceの判断とは違い、trustはリスク、不確実性、他人との相互依存の必要性のある場合にのみ問題となる。(B.D. Adams, “Trust vs. Confidence,” 2005)
つまり、ざっくり言うと、confidenceとtrustはriskとuncertaintyに対応する。したがって、「不確実性」が高まると、trustが強調される。バイデン政権時代には、大国間競争の一環として、先端半導体分野でtrusted partnership(信頼できるパートナーシップ)が重視され、最近の米軍、タイ王国軍等の軍事演習ではstrategic trust(戦略的信頼)ということばが多用された。また、さらに言えば、「社会的信頼(social trust)」といったことばの示す通り、trustはコミュニティ成立の基盤的条件である。ルービンがtrustを金融危機対応で考慮の外に置き、市場、投資家、債権者のconfidence回復を重視したことは、振り返ってみると、東南アジアの多くの国が米国へのtrustを失った大きな理由だった。
ポール・クルーグマンは、東アジア危機におけるルービンの政策をconfidenceと「詐欺(con)」に掛けてconfidence gameと呼んだ。ルービン指揮下の米国財務省は危機対応で「正統的な経済分析」を適用せず、最初から「経済学の教科書」を放擲して、「銀行家の正統的アプローチ」を採用した。つまり、経済の基礎条件ではなく、市場の信頼を危機対処の指標とした。そのため、経済政策として意味がなくとも、「投資家の偏見に訴える」政策、ときには「投資家が同僚の偏見と考えることに訴える」政策を重視し、財務省とIMFは、危機に陥ったアジアの国々に、外国人投資家の資金ができるだけ逃げないよう、金利を上げ、為替レートの急落を抑えること、それがもたらす不況を受け入れるよう指示した。つまり、これらの国々に、マクロ経済政策を事実上、忘れるよう、不況を防止する、あるいは緩和するのではなく、深刻化させる政策をとるよう、指示したのである。
ルービンの回顧録を思い出したのは、トランプ政権のここ一ヶ月余の振る舞いを見てのことである。この政権は国内的にも国際的にもtrustとconfidenceをもろとも破壊し、その場限りの取引(transactions)で取れるものを取ろうとしている。そのツケは確実に非常に大きい。