World View〈アジア発〉シリーズ「アジアほっつき歩る記」第110回

久しぶりのマカオの変化

2025年6-7月号

須賀 努 (すが つとむ)

コラムニスト・アジアンウオッチャー

昨年までコロナを挟んで8年もの間、行っていなかったマカオ。この半年で2回訪れる機会に恵まれたので、その旅の様子などをご紹介しよう。

マカオへの入り方は多様

タイのチェンマイから飛行機で2時間半、香港空港に到着する。普通はここから香港へ入境するのだが、今回はマカオと書かれた方向に進んでいく。香港入境直前のところに、マカオ行きのバスとフェリーのチケット売場があったが、何と無料チケットをくれた。2024年はマカオの観光キャンペーン中で、もし普通に買えば5,000円ぐらいするらしい。
指示された場所を降りていくと、シャトルトレインがやってきてバスターミナルまで連れて行ってくれる。飛行機への預け荷物が無かったので、すぐにバスに乗ることが出来たが、僅か数人しか乗っていない。「香港マカオ大橋」なるものが出来たと聞いてから随分経つが、このルートを使う人は少ないのだろうか。橋は長く、単調な走行が続き、車もあまり走っていない。まあ香港空港からそのままマカオへ行けるのだから、文句は言うまい。
約40分でマカオ側に辿り着く。イミグレーションに向かうと、向こうから出て来る人々が多い。昼間マカオでカジノにでも行って、香港に帰るのだろう。路線バスに乗るとカジノで有名なリスボア方面へ行くらしいが、いきなり中国との境の横を通った。そのまま珠海にも行けるバスもあるのだろう。
因みに後日マカオから珠海に10年ぶりに歩いて入境したが、以前の大混雑が嘘のように僅かな時間で越えてしまい、かなりの覚悟で臨んだ分、拍子抜けした。珠海への入境方法の拡大や機械による効率化などで行列が無くなったのだろうとは思うのだが、中国景気の低迷にも関連があるのかもしれない。
また2回目のマカオ行きの際は、成田からマカオ航空の直行便に乗った。まさか成田-マカオ直行便があるとは知らなかった。飛行機は中型機で、8割程度の乗客だった。その多くはマカオパスポートを持っていたが、広東語ではなく普通話を話す人が多いと感じられた。日本人は多くはないが、子供を連れた日本人女性がいたので、珠海あたりの駐在家族だろうか。機内サービスは悪くなく、何と今どき新聞が配られたので、思わずもらった。フライトは5時間近くかかり、夜のマカオに降りた。
マカオ空港に初めて降り、普通に入境に並んだが、速やかに入れた。ここから路線バスに乗ろうとしたが、見つからず、聞いてみたら、カジノ行きのバスに乗れと言われたので、そちらに向かった。すると上の方を電車が走っている。なんだ軌道車もあったのか。カジノ行きバスは無料で運んでくれたが、途中で一度乗り換え、その乗り換えが意外と大変だった。マカオ空港から市内は意外と遠い。乗客はカジノへ遊びに行く、広東語を話す中国人が多かった。

マカオの変化

カジノで有名なリスボアが見えたのでちょっと覗いてみる。1987年初めてマカオに行った時、ここのカジノで訳も分からず「大小」をやってちょっと勝った、いい思い出がある。中に入ってみると、その昔の博打場といった雰囲気からはがらりと変わり、観光客が行き交う場所になっている。
因みに空港付近には新しいカジノが沢山出来ているが、見た目はほぼテーマパークで、家族連れが周囲を闊歩していた。1999年のマカオ返還後、カジノの新規参入者を受け入れたが、その健全性が求められ、それは表面上うまくいっているように見えるが、実態はどうなのだろう。コロナ前のあの混沌とした熱気は影を潜め、かなり大人しい空間になっているのは良い方向性だろうか。
ホテルに到着すると、フロントの女性はいきなり普通話を使い、パスポートを見せると“あんた、英語も出来るの、凄いね”という。きっと中国から出稼ぎの女性だろうが、愛想がよくて楽しい。ただマカオなのに広東語が飛んでこない、英語も使われないのは、以前とは雰囲気がかなり違うように思えた。部屋は思っていたより新しくてきれい。コロナ前は中国人観光客が殺到してマカオのホテルも高騰していたが、今は中国の不景気のせいか、随分安くなったと感じる。
夕飯にカレーを食べた。マカオ返還直前に出来た有名店だが、ここでも最初から普通話で話し掛けられ、鶏撈麺と凍檸茶(アイスレモンティ)を注文する。久しぶりの凍檸茶も香港を思い出させるが、料金は日本円で1,300円を超える。以前よく行ったポルトガル料理屋も、サービスは低下し、価格は10数年前の3倍以上になっていて驚いた。円安もあるが、やはり物価は確実に高くなっている。
ポルトガル菓子の「ナタ(エッグタルト)」を売る人気店は相変わらず観光客でごった返していたが、裏通りに回るとそこには昔ながらのマカオ人の生活空間が残っていた。そんな1軒の食堂で朝食を食べてみると、周囲には朝から酒を飲み、大声で広東語を使って仲間と話すおじさんたちがいた。地元感が強すぎて、とてもゆっくり焼売や焼き豚を味わう余裕はなかったが、何となくワクワクする雰囲気が息づいている。
返還後のマカオは中国からの移住者と観光客がかなり増え、言語も標準語化が進んでいる。一方昔から住んでいる地元民の広東語も健在ではある。ただカジノをはじめとした観光客向けのエリアでは英語も一応使えたが、若者の英語離れは進んでおり、香港と同様にそのアイデンティティーにはかなりの変化がみられた。
因みに最近マカオの料金表示はマカオパタカが多いと感じられた。マカオといえば、昔の決済は全て香港ドルで行われ、パタカを見ることなど稀だったが、今はお釣りにパタカは普通になっていた。これは「マカオは香港ではない」という意思表示なのだろうか。

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著者プロフィール

須賀 努 (すが つとむ)

コラムニスト・アジアンウオッチャー

東京外語大中国語科卒。
金融機関で上海留学、台湾2年、香港通算9年、北京同5年の駐在を経験。
現在は中国を中心に東南アジアを広くカバーし、コラムの執筆活動に取り組む。