2040年に向けたデジタルヘルスの活用~バーチャルホスピタルの実現へ~
2023年4-5月号
オランダ、米国、フィンランドといったデジタルヘルス先進国では、健康状態や時間、場所に限定されない新たなヘルスケア提供体制が実現しつつある。本稿では、先行する海外の取組みを通して、日本版バーチャルホスピタルの構築について考察を行う。
1. デジタルヘルス活用に向けた動き
デジタルヘルスとは、IoT、AI、ロボティクスなどを活用した健康・医療・介護といったヘルスケア領域のサービスや製品を指す。コロナ禍を経て、医療・介護の供給体制のひっ迫や遠隔・非接触ニーズが高まったことで、デジタルヘルスの活用が進みつつある。
わが国では、医療・介護費用の増大や従事者の不足、疾病構造の変化、認知症患者の増加などへの対応が課題となっている。2040年頃には高齢者人口がピークを迎え、医療・介護分野は現役世代の5人に1人の従事が必要となることが見込まれる(「2040年を見据えた社会保障の将来見通し」 厚生労働省ほか、2018年5月)ため、この課題に対して、リソースを集約し効率化を高めるデジタル技術の活用が期待を集めている。
政府は、デジタル技術を活用する基盤として、2012年に個人が情報を管理・活用できる「どこでもMY病院」構想を打ち出し、個人の健康記録(Personal Health Record:以下、PHR)や医療機関間の地域医療情報連携(Electronic Health Record:以下、EHR)の利用促進に取り組んできた。2022年6月に閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針2022(骨太の方針)」において、「医療DX推進本部」が新設された。骨太の方針では、マイナンバー保険証による個人の治療データや処方箋データの連携、オンライン診療の促進、AI技術の活用などといったデジタルヘルス関連の政策が注力分野として定められている(図1)。
こうした取組みを政府は進めようとしているものの、2021年6月単月で赤字だった病院が約8割あること(「病院運営実態分析調査」、(一社)全国公私病院連盟)や診療所など小規模な施設が多いため、十分な投資余力がないことから、デジタル化投資は進んでおらず、国全体で最適な医療体制の構築には至っていない。診療所の電子カルテ(Electronic Medical Record:以下、EMR)の導入割合は、4割程度とOECD加盟国の中でも、低い水準にとどまる。また、コロナ禍で規制緩和が進んだことから、オンライン診療対応医療機関数は、2020年5月に前月の9.7%から13.7%に伸長したものの、診療報酬が対面の場合より低いことなどが障壁となり、その後は横ばい程度で推移し、オンライン診療の普及は遅れている。
2. 海外のデジタルヘルスの取組み~バーチャルホスピタルの事例~
コロナ禍では、デジタルヘルスの中でもバーチャルホスピタルの活用が海外を中心に進展した。バーチャルホスピタルは、明確な定義がないため、先行する海外事例から、参考となる主な取組みを時系列に3つ挙げる(表1)。
① 2000年代 IT企業による医療機関向けのデジタル化サポート
2000年頃より、インターネットの普及により、医療機関では、医師と患者間で通信デバイスを用いたオンライン診療の利用が拡大した。約100ヵ国でバーチャルケアプラットフォームを運営する米国のグローバルメッド(Global Med)は、主に専門医療が不足している地方の病院向けに、デジタル化に対応した検査カメラ、聴診器、耳鏡などの医療機器とビデオ会議ソフトウェアを接続したデバイスを提供し、医療機関のデジタル活用をサポートしている。
② 2010年代 医療機関によるデジタルサービスの拡充
2010年代になると、医療機関がバーチャルホスピタルの運営を始めた。2015年に米国で開業したマーシー・バーチャル・ケアセンター(Mercy Virtual Care Center)は、世界初の医療機関によるバーチャルホスピタルで、農村部向けに一箇所のケアセンターから複数の州にサービスを提供している。また、別の医療機関では、バーチャルケア専業のチームを医療機関内に設置する事例もみられる。近年の米国においては、高度な専門医療の提供に加え、脳卒中、心臓病、糖尿病といった慢性病患者の健康状態を遠隔管理するサービスも増加している。
③ 2020年頃 国による健康な人も対象としたサービス
2020年頃より、健康な人も含めたデジタルケア専用のプログラムが開発され、新しい健康・医療・介護サービスの提供事例が出てきた。その具体事例として、デジタルヘルスビレッジ(Digital Health Village)の取組みについて後述する。
3. 海外における健康・医療・介護情報プラットフォームの取組み
次に、バーチャルホスピタルを含めたデジタルヘルスの情報基盤となるプラットフォームについて、オランダ、米国、フィンランドの事例をみていく。
(1)オランダ 民間運営の分散型プラットフォーム
オランダは、2013年に高福祉国家から国民が自助努力する参加型のヘルスケアに転換し、デジタル技術の活用や予防の取組みを強化した。
同国のプラットフォームは、利用者が参加を表明するオプトイン方式で、家庭医がEMR情報を管理する分散型のプラットフォームである。保険会社が出資する民間機関であるヘルスケアプロバイダーコミュニケーション協会(VZVZ)が、情報の管理・連携を行うLSP(オランダ語の頭文字)を運営しており、国が出資する国立医療ICT研究所(Nictiz)がデータの標準化を担当している(図2-1)。この仕組みにより、EHRも進み、足元では8割超の関係機関が参加している。
また、同国ではPHRの利用を促進するために、民間企業の開発によるアプリの普及を進めている。利用者は、心拍数や血中値の測定、食事と睡眠の習慣など、用途に応じた複数のアプリから選択できる。また国は、アプリ開発事業者や情報共有先の医療機関に国の「Medmij(メッドマイ)」認証を取得させている。このような認証制度により、PHRのセキュリティや品質を担保している。
今後同国では、このようなプラットフォームを活用し、目標に掲げた慢性疾患者や在宅介護向けの新しいサービスを創出し、バーチャルケアに関連する取組みも進める計画がある。
(2)米国 ユーザーを中心にシームレスに情報が連携するIHNプラットフォーム
米国には、IHN(Integrated Healthcare Network)と呼ばれる急性期、亜急性期、外来、リハビリ、在宅などの医療や福祉・介護を一体的な経営の下に運営する事業体がある。IHNは、ネットワークにつながっているメンバー(患者など)に、必要な医療・介護を切れ目なく、効率的に提供することができる。このような医療・介護ネットワークの構築が進むと、患者自身による医療情報の活用や、バーチャルホスピタルから在宅患者向けに必要な医療・介護を24時間365日提供できるようになる。
カイザーパーマネンテ(Kaiser Permanente、以下、カイザー)は、39箇所の病院、723箇所の診療所・介護施設を有する米国最大のIHNである。カイザーは、2002年に将来のヘルスケアの在り方に関する「ブルースカイビジョン」を策定し、ケアの中心にいるべき者はユーザーである「Patient-Centered Medicine」という捉え方を示した。
カイザーは、コロナ禍にバーチャルケアを拡大し、2020年の外来診療のうち約5割を遠隔で実施した(図2-2)。カイザーは、患者の健康・医療・介護の情報をEMRに統合している。その結果、バーチャルケアを実施する際に、医師が患者の全体像を即座に把握でき、薬の処方、検査の予約、画像データの取り寄せ、必要な治療という一連の業務をスムーズに行える。さらに、カイザーは、在宅者向けにウェアラブルデバイスなどを用いて、糖尿病や高血圧といった慢性疾患、心臓病などの専門医療に対して、リモートモニタリングを導入した。患者は家にいながら、これらのパーソナライズ化されたバーチャルケアを利用できる。また、カイザーは、AIを利用した独自の診断サービスの提供も始めた。米国のIHNは、EMRにPHRを紐づけ、双方向に連携するという方法で、バーチャルケアの活用を進めている。
(3)フィンランド 国営の集中型プラットフォーム
フィンランドでは、「社会保障ケアサービスにおけるクライアント・データの電子処理に関する法律」に基づき、社会保険庁(Kela)は2007年、各医療圏が保有するEHRの情報を一元化した集中型の「Kantaプラットフォーム」の運用を始めた(図2-3)。
足元では、病院・診療所におけるEMRの普及率は100%に近く、Kantaには、診察記録、介護情報、電子処方箋、検査結果などが格納されている。また、2010年には個人がパソコンなどで自身の診療情報などを確認できる「My Kantaページ」が開設され、2017年には健康データを追加できるPHRの運用が始まった。Kanta上のデータを匿名化した二次データの利用を促進するため、経済・雇用省傘下の政府機関であるビジネスフィンランド(Business Finland)は、企業規模を問わない事業投資、企業マッチングを行い、ヘルスケア産業の新事業創出を後押ししている。
2020年頃よりエストニア、ドイツなどと電子処方箋やCT検査画像がKantaに接続されるようになり、国境を越えた情報連携が行われるようになった。そのほか、集中型プラットフォームを活用した在宅介護向けの遠隔サービスを24時間365日実施している。
2014年に国策として開始された「デジタルヘルスビレッジ(Digital Health Village)」は、前述のバーチャルホスピタルの事例として特に注目に値する。デジタルヘルスビレッジは、医療専門家、ITスペシャリスト、患者組織とともに開発されたデジタルサービスプラットフォームであり、居住地に関係なく全ての国民が利用できる。現在、約2千人のヘルスケア専門家がサポートしている。
デジタルヘルスビレッジは、主に3つの機能を有する。1つ目の「仮想ハブ」では、国民向けに健康時(未病時)の専門家相談サービスを提供し、個人の疾病予防やセルフケアに役立てている。2022年時点で、ウェブ上にはリハビリ、手術、がん、心臓病などの仮想ハブを32箇所設けている。それらのハブの利用を通じて、各個人は自身の健康状態についてより多くの最新情報を取得できるようになり、医療機関の受診回数は必要最小限となった。
2つ目の「デジタルケア管理プログラム(デジタルケアパスウェイ)」は、2022年時点で300程度あり、特定の診断を受けた患者が、医師の紹介で利用できる。患者はデジタルサービス専用のアカウントを持つことで、モニタリング機器を活用した治療や、画像およびビデオを用いた治療段階ごとのセルフケア、リハビリテーションプログラムの提供を受けられる。該当の治療プログラムがある場合、約8割の患者が使用している。
3つ目の「デジタルヘルスビレッジPRO」は、医療・介護分野のプロフェッショナル向けのサービスとして、オンライントレーニング、デジタルサービスツール、個々の専門分野のガイド、検索ツールを提供している。この仕組みにより、専門家間の交流や知識の共有が進み、デジタルケアサービス導入を促す役割を果たしている。
4. 欧米とわが国における健康・医療・介護情報の連携状況
このようにデジタルヘルスへの移行が進む欧米では、データ連携の基盤となるプラットフォームを介して、PHRとEMR、EHRの連携が行われており、家庭医、専門医、薬剤師、看護師、介護士などといった多職種のメンバーがデータを共有できる(図3)。さらに、プラットフォーム上で蓄積したデータは、研究開発用の二次データとして活用が進む。例えば、デジタルヘルスビレッジ内の開発で初めて医療機器認証(CEマーク)を取得した機器は、皮膚画像を読み取り、医師の診断をナビゲートする機能が付いている。その結果、クラウド上での診断をサポートするサービスが実用化された。
一方、わが国では、PHR、EHRの相互運用が可能な仕組みとなっておらず、二次データも含め情報が分散した状態で蓄積されている。ただし、2022年にデジタル田園健康特区に選定された岡山県吉備中央町や長野県茅野市、石川県加賀市などでは、ヘルスケア情報の一元化に向け、スマートシティの基盤となる都市OSを介し、米国の医療データ標準化団体が定めた医療情報の標準化規格を用いたPHRとEHRの相互連携に向けた取組みが始まっている。また、スマートシティ計画を進める福島県会津若松市においても、2022年度に都市OSを介してPHRとキビタン健康ネット(県のEHR)を連携した「バーチャルホスピタル会津若松(PPK)」のサービスを始める予定である。
5. 2040年に向けたデジタルヘルスの活用~日本版バーチャルホスピタルの実現へ~
これまでみてきたように、デジタルヘルスの活用が進むと、ヘルスケアサービスは、健康状態や時間、場所に限定されることなく、日常生活の場でも提供ができるようになる(図4-1)。
2040年頃に高齢者の人口がピークを迎えるわが国では、健康増進・疾病予防から入院治療までの一般的な保険医療を提供する二次医療圏において、2040年段階で2015年時点と同水準の病床を高齢者に提供するためには、大都市・地方都市では、さらに約10万床を確保する必要がある(図4-2)。財源や人手などの制約から医療施設の新増設は厳しいため、デジタルヘルスを活用した在宅向けサービスの拡充が期待される。一方、過疎地域では約1万床が余剰となるものの、高齢化率の高い過疎地域ほど人口密度が低下し(図4-3)、医療機関や介護施設の経営悪化や余剰分が削減される場合は一施設が広範なエリアをカバーするといった課題に直面する。そこでは、遠隔地からのサポートがあるヘルスケア提供体制の構築が必要不可欠である。また、医療機関や介護施設の維持が困難な過疎地域では、在宅サービスに加え、公民館などの公共施設の活用を進める必要もあろう。このような地域ごとに異なる課題の解決を図るためには、国策としてシームレスなヘルスケアサービスを提供する「日本版バーチャルホスピタル」が求められる。その実現のためのポイントを5つ挙げる(図4-4)。
① バーチャルケアの提供
海外事例でみた健康・医療・介護のシームレスなバーチャルケアの提供を行うためには、医療だけにとどまらない、日常生活を含めたサービスメニューの開発が必要不可欠である。その際、ヘルスケアプロバイダーが開発を主導し、足元で取組みが遅れているデジタルサービス・機器をメニューに組み込むことで、データに基づく質の高いケアが提供できる。具体的には、フィンランドのデジタルヘルスビレッジで取り組んでいる「健康時(未病時)の健康相談」、治療段階ごとの画像・ビデオ・モニタリング機器を活用した「デジタルケア管理プログラム」、「デジタル医療機器開発」が参考となる。
② 公的なサービス基盤となるプラットフォーム構築
バーチャルホスピタルの取組みを効果的に進めるには情報基盤となるプラットフォームの構築が重要である。わが国では、高齢者を支えるサービスを地域一体で提供する地域包括ケアがあり、218の地域医療情報連携ネットワークが存在する。公的なサービス基盤となる官民連携のバーチャルホスピタルのプラットフォームには、地域ごとのネットワークを束ねる仕組みが必要不可欠であり、全国の医療情報を集約しデータが連携できるオランダの分散型プラットフォームが参考となる。なお、マイナンバーを公的な接続ポイントとして活用することも考えられよう。
③ ユーザーの主体的な関与
ヘルスケアサービスが治療から予防へシフトするなかで、ユーザーがヘルスケアデータを持てるようにして、自身の健康状態に積極的に関わり、管理・理解し、予防に役立てる。
④ 官民連携
オランダやフィンランドでは官民連携でプラットフォームの構築やサービスの提供を行っている。わが国においても、ヘルスケアデータの標準化を図り、民間技術を取り入れたバーチャルホスピタル事業を協力して進める。併せて、人材育成の場としての活用も期待される。
⑤ マネタイズ
初期コストが大きいプラットフォームの運営は、一定数の利用者がデータを使用することで収益が上がる。都市OSのように限られた一地域だけの活用では事業化が困難であるため、各都市OSを地理的な制約のないバーチャルホスピタル上で接続する。さらに、各地の医療・介護施設とも連携することで、利用者の母数も増やせる。将来的には、国際標準に基づいた医療情報の活用を進めることで、フィンランドの事例のように、海外のヘルスケアデータとの相互連携や海外への事業展開の基盤としての活用も可能となる。
2040年に向けて、これら5つのポイントを踏まえることで、日本版バーチャルホスピタル(デジタル)と地域(リアル)が連携したヘルスケア提供体制の展開が可能となる(図4-5)。足元では、バーチャルホスピタルに関連した動きとして、前述の「バーチャルホスピタル会津若松(PPK)」に加え、順天堂大学病院や東北大学病院も構想を公表し、わが国のデジタルヘルスの取組みが進展しつつある。世界に先駆けた高齢化対応が求められる課題先進国として、大都市・地方都市と過疎地域が抱えるそれぞれの課題解決を図るためには、限られたリソースを集約し、広域化・効率化に資するバーチャルホスピタルによって、最適なヘルスケア提供体制の構築が可能となる。データの標準化を進め、効果的に蓄積、運用するプラットフォームの構築およびシームレスなヘルスケアサービスや医療機器を提供する日本版バーチャルホスピタルの実現に向けた動きが進むことを期待したい。