〈アメリカ発〉シリーズ「最新シリコンバレー事情」第2回
IT産業の隆盛が生む深刻な格差社会
2023年4-5月号
2023年になり、早くも3月になった。季節感のあまりないカリフォルニアは基本的に雨期と乾期に分かれていて、通常は11月の終わりから雨期に入り3月の終わりごろまでが雨の多い季節、そして4月から11月までは全く雨の降らない乾期となる。そんな感じで日本とは異なり季節感が乏しい分、1年の進み方は加速度を増しているように感じられる。
さて話が少し逸れたが、昨年の終わりごろからシリコンバレーでは大手企業を中心としたレイオフ(従業員の解雇)の嵐が吹き荒れている。昨年末11月のMeta(元Facebook)の11,000人をはじめ、今年に入ってGoogleの親会社であるAlphabetで12,000人、Amazonで17,000人などに加え、Sales forceや eBay, PayPal, Ciscoなどでも数百から数千人単位の解雇など、昨年末からの累計で、シリコンバレーを中心としたIT企業300社以上でレイオフが敢行され、現時点での解雇者総数は10万人を超えているとの事。当然アメリカのレイオフは非常に事務的で朝会社に行くと、机の上、もしくはメイルにて解雇通知が届き、機密保持の原則から従業員はその日(長くても午前中いっぱいぐらい)で私物以外の持ち出し禁止となり、警備員に付き添われて会社を去るスタイルが一般的。勿論、会社としては退職金に加え、2,3か月の失業手当などの保証はするものの、実質的な解雇なので失業した従業員はまた新たな仕事探しに奔走しなければならない。それでもハイテク企業の従業員平均給与が日本円で2,000万円に近いこの地では、このレイオフによって企業側は相当な人件費の削減になっている。
ただ、実はその裏側で、大規模レイオフを敢行した企業は、新しい業種などで新規に大量募集をかけている事も事実だ。1月に大量レイオフをしたAlphabetは、現在200近いポジション(職種)で、新たに世界中で従業員の大量採用を実施している。このような大規模レイオフには、ただ単に表向きで言われているような売上の低迷や業績不振といった大義名分による解雇の元で、新たな事業への転換やトレンド分野への集中といった新陳代謝を確実に実施している背景があるのだ。正直このあたりが、こちらの新鋭企業の凄いところで、いつでも手枷、足枷についた鉛玉のような不採算部門や事業を切り捨てていく柔軟性は、残念ながら日本の大企業では考えられない動きである。だからこそ彼らが世界を短期で席巻する身軽さと行動力を備えているのだと強く感じる。
そして、新陳代謝を完了した後の新規事業への参入や、新たなトレンドの分野に向けての開発力の強化については、まさにスピード感が重要な要素となっている。特に昨今ではこの先10年の産業予測として、間違いなく爆発的にニーズが増える新しいモビリティ関連事業、通信ネットワーク、次世代半導体、電池といったハードウェア関連では、その分野に精通したエンジニアは引っ張りだこ。また、昨年11月にOpenAIがリリースしたAIシステム、ChatGPTの発表が起爆剤になり、今では、Googleの「Bard」、Metaの「CICERO」など、次々に大手が新しいAIシステムを公表し、まさにAI戦国時代の様相が顕著になってきた。どこに軍配が上がるかは未だわからないが、この分野での覇者となるためには一日も早い製品の完成が必要であり、そのための大規模な開発人材の確保には巨額の資金が投じられている。一説によれはAIのエンジニアのヘッドハンティングは通常給料の1.5倍は当たり前。初任給でも1,500万円は普通で、ヘッドハンティング市場での相場は大体2,000~3,000万円、これに各社のストックオプションなどもついて、一挙に億単位の収入になる例も多いそうだ。
さて、このような新陳代謝による企業の新規事業への参入や、人材の投入によって、この地の人件費の高騰は予想をはるかに超えたものとなり、当然、生活物価も恐ろしい値段になっている。コロナの影響で一般的になったリモートワークの影響で、シリコンバレー全体で2020年からは家賃が更に高騰。現在は少し落ち着いた感があるものの、日本でいう2LDKのアパートの平均家賃は大体4,000ドル。日本円で50万円を超える。生活物価もかなり高く、食費でいえばラーメン一杯が約2,000円、家族4人でラーメン屋に行ったらチップも入れると1万円コースが当たり前である。マクドナルドのMEALセットでさえ最近は1,500円近くで全然バリューになっていないのが現状だ。
そして、これによって生じる所得格差と物価高に伴い、当然この地には公務員や行政に携わる人たちをはじめハイテクとは縁のない既存のビジネスを生業とする大多数の人々が存在するが、ハイテク企業に従事する人々との間で貧富の差が急激に増大し、それが今かなり深刻な問題になってきている。街にはホームレスの人々が溢れ、町中に彼らのテントが点在。特に大手企業の周辺や、都市周辺部では路上生活を送る人々を目にしない事はない。その数は把握されているだけでシリコンバレーの南の中心地、サンノゼで約1万人、サンフランシスコでは約2万人以上といわれている。正直、これほど痛ましいことは無い。もちろん行政や大手企業の有志達による資金援助で、この状況に対しての救済措置や仮設住宅の建設などは進んではいるものの、残念ながら焼け石に水といった状況だ。また自分が住んでいるサンノゼの町の周辺でも週一回の食料品配給にはいつも早朝から長蛇の列ができている。そして生活物価の高騰により、今まで行政や教育関係に従事してきた人たちが次々に物価上昇の影響が少ない州外へと移住。そのために教員不足や行政対応の遅延などの影響も出てきているようだ。これらの対策として、昨年あたりから話題に上っているベーシックインカムの支給を実施する市町も現れ始めた。シリコンバレーに隣接する海上輸送のメインポートがあるオークランド市では、今年から本格的なベーシックインカムの実証試験をスタートさせている。これが今のシリコンバレーの現状である。
さて、振り返ってみると自分は今まで、IT産業の発展とは、人類すべての利便性を高め効率化し、更に高いクオリティの生活の実現とハッピーライフを送るための手段であると考えていた。ところが実際にふたを開けてみれば、今のIT産業の発展は、一部の企業による市場の寡占が進み、富を独占することによって大多数を占める一般市民との間に、所得格差という深刻で取り返しのつかない大きな亀裂を生みだす事に成り代わってしまっている。世界を代表するIT産業の集積地であるシリコンバレーの現状が、まさにその状況を顕著に表す最もわかりやすい例になってしまっている事は本当に残念でならない。
未だに日本では、新たな事業や起業創出のために、シリコンバレーを枕詞とした数々のイベントやプロジェクトが立ち上がっているようだが、参加者の目指す起業や新たなビジネス創出のゴールが、今のシリコンバレーの現状のように深刻な所得格差という結果を生み出してしまっては本当に意味がないと憂慮している。このようなプロジェクトに関係している団体や行政は先ず、今のシリコンバレーの状況の負の部分までしっかり精査し、認識したうえで、日本の将来に向けての新たな起業創出のプロジェクトにしてもらいたいと願うばかりだ。